編集後記vol.19

新潟県は越後妻有(つまり)を訪れた。人口7万人。産業は斜面ばかりの土地を段々畑で拓いた農業だけ。年の半分は深い雪に閉ざされ、地震もある過酷な環境。過疎化、空洞化だった。

地域を変えたのはアートだった。00年から3年毎の「大地の芸術祭」。里山全体を会場にした珍しい祭典の来場者は初回の16万人から、5回目になる昨年で50万人に。海外からもファンが詰めかける世界屈指の芸術祭に成長した。廃校を利用した宿や美術館、畑の中のオブジェ、古民家レストランなど、昔ながらの暮らしや自然とアートの融合は美しく、東北復興にも活かせるアイデアの宝庫だった。

15年前はほぼ反対者のみ。主催NPOとボランティアが4年半かけて家々を回り、2千回以上の説明会を繰り返した。やがて住民も作品作りに加わり、訪れた人と語らうようになった。日本一閉ざされた地域が、世界に開かれた地域になった。

東北被災三県の市町村数は128。うち沿岸は37。1つひとつに無限の可能性があるのだと改めて感じた。自然や文化、精神性を活かしながら、自由に、大胆に。「過疎地域の世界的見本となる〇〇町」、「世界中にファンのいる〇〇市」を夢想しながら、上越新幹線で帰途についた。(編集長)

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