阪神淡路大震災で父親を亡くし ボランティアで東北に行った女性の夢「20年分のありがとうを伝えたい」

[3.11からの夢] 小島汀 24歳 会社員|兵庫県芦屋市

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東日本大震災と向き合い3月11日を「はじまり」に変えた30人の夢を掲載した書籍『3.11からの夢』とのコラボ記事です。

父を失った私が、東北に行って知れたこと

私は東北が大好きだ。いつでも、「よく来たね」と言って迎えてくれる家族がいるから。会いたいひとがいるから。

震災が起こるまで、東北のひとのあたたかさとか、魅力とか、美味しい海の幸だとか、何ひとつ知らなかった。あの日に起きた津波がとにかく憎かった。テレビの前で何もできずにいる自分が、本当にちっぽけに思えた。悔しかった。「何かしたい」と思って、はじめて東北に行った。でも、何もできなかった。津波が襲った町は、あまりにも残酷すぎた。私がここに来る意味はないかもしれない。そんなことを思っていた。

けれど、そんな私に「小島さんが元気な姿を見せに来てくれることで、自分たちもこんなふうになれるんだって、希望になるんだよ」と教えてくれた先生がいた。私の父は、阪神淡路大震災で亡くなった。私は3歳だった。その事実を受け止めるにはあまりにも幼すぎた。

でも、私は今、お父さんの死を受け入れられている。それは、私が成長するにつれて、震災と向き合うきっかけをつくってくれたひとがいたからだ。これまで20年間、たくさんのひとが忘れずにいてくれたことが、本当に嬉しかったから、私はただ、してもらったことをそのまま返していきたいと思った。

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津波で親を亡くした女の子が、私の膝の上に乗って遊んでいた時、なんだかホッとした。私も震災のあと、こうやって、ひとの膝に座って遊ぶのが好きだったなぁって思い出した。中1の子が、「津波の前に戻りたいなぁ」とつぶやいたのを聞いて、隣にいて寄り添ってあげられてよかったと思った。学校に行けずに引きこもっていた女の子が、私の震災の話を聞いて、外に出るようになった。何もなくなってしまった町を散歩しながら、「ここに私の家があったんだよ」と教えてもらった。

この子たちの、この瞬間を受け止められる存在でよかったと思った。

神戸の震災でお父さんを亡くしたからこそ、気付けたことがあった。「生きている」というただそれだけのことが、誰かの希望になれるんだ。「何かしなくちゃ」って思ってたけど、そうじゃない。自分のために、東北のひとたちのために、いっぱい笑って生きていきたいと思う。

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記事提供:3.11からの夢(いろは出版)