「ぶっちゃけ、右腕やって良かった?」右腕OB・OGの本音トーク!

震災以降立ち上がった東北の団体のリーダーの元に、若手経営人材「右腕」を3年間で約200人派遣してきた「右腕派遣プログラム」。東北で活躍する「右腕」とリーダーのインタビューを紹介します。

2015年11月17日に行われた右腕OB・OGトークライブの模様をお届けします。「右腕」とは、東北をフィールドとして新しい事業・プロジェクトに取り組むリーダーのもとに、ETIC.が取り組む「右腕プログラム」によって1年の期限付きで送り出された意欲あふれる人材のこと。

「どうして右腕になったの?」
「右腕の経験で何が得られた?」
「右腕が終わったあとは、どういうキャリアを歩めるの?」

そんな疑問や不安に、右腕経験を経てそれぞれのステップに進み、社会で活躍するOB・OGが率直に答えてくれました。一年間限定の「右腕」として東北の優秀なリーダーの下で働き、その後の道はあなた次第。そんな関わり方を探ってみませんか。

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山内(進行):まずは自己紹介からお願いします。

黒田:私は、2012年8月から陸前高田未来商店街の立ち上げのサポートに入りました。民間の立場から地域づくりに一年間携わり、その後も陸前高田に関わり続けています。商店街には、飲食店、医療、雑貨、お菓子屋、夜のスナックなどに加えて、まちづくりの事務所も入っています。

橋本:私は、2013年2月から1年間、岩手県釜石市の三陸ひとつなぎ自然学校で右腕として活動しました。釜石の内外を結びつける事業を行う団体で、当時はまだスタートアップ期だったので、社団法人化のための基盤強化の仕事をしました。インターンや首都圏からのツアーの受け入れ、地元の子供たちの体験プログラム、釜石にボランティアに来る人のサポート・マネジメントなどの事業を経験しました。また、もともと旅行会社に勤めていたのですが、私は休職をして右腕になり、1年後に復職しました。

松下:去年の8月末から1年間、ISHINOMAKI2.0で右腕をしていました。仕事内容を一言で表すと、「カオス」です。おもしろい町をつくろうと、行政や住民の皆さんとの合意形成に携わり、いろいろな活動を生み出しました。僕は現在もISHINOMAKI2.0と雇用契約をして石巻に関わっています。

山内:住民との合意形成とはどういうことですか?

松下:地域課題を考え、予算の用途を決める協議会にアドバイザーとして入りました。石巻市は、「小学校区」という新たな地域の枠組みを取り入れて、疲弊した町内会ではできないこともやってみるというモデル地域になっています。

松下 嘉広 氏(一般社団法人ISHINOMAKI2.0 右腕OB) 岐阜県出身、現在30歳。建物の施工や設計に従事していたが、建築の観点からまちづくりについての知見を深めたいと右腕に参画。宮城県石巻市において、行政と住民を対象に通訳や調整などの業務を行い、石巻市の進めるコミュニティ形成に貢献。現在は右腕として参加していた一般社団法人ISHINOMAKI2.0と協働し、時にはメンバー、時にはよきパートナーとして事業を継続して実施している。

松下 嘉広 氏(一般社団法人ISHINOMAKI2.0 右腕OB)
岐阜県出身、現在30歳。建物の施工や設計に従事していたが、建築の観点からまちづくりについての知見を深めたいと右腕に参画。宮城県石巻市において、行政と住民を対象に通訳や調整などの業務を行い、石巻市の進めるコミュニティ形成に貢献。現在は右腕として参加していた一般社団法人ISHINOMAKI2.0と協働し、時にはメンバー、時にはよきパートナーとして事業を継続して実施している。

東北に飛び込んでいった理由とは___「東北は幕末の京都。きっと凄い人がいる。」

山内:皆さんは、そもそもなぜ右腕になられたのですか?

黒田:もともと商社への入社を機に東京へ来て、システム・IT開発などをしていたのですが、一年目で合わないと感じ、次の転職先など探していろいろなイベントに行った中で地方の地域の仕事に出会いました。もともと旅行が好きで、自分が実際に訪れて素晴らしいと思った地方の歴史や文化、風景を次の世代に残していきたいと感じていました。そして震災が起こり、お世話になったETIC.の職員の方から右腕の話を聞いて、東北に関わりたいと考えるようになりました。自分には専門的なスキルもなく不安でしたが、今一番大変な地域に行きたいと思い、会社を辞めて東北に行きました。

山内:右腕になろうと決意した時に思い描いていたことについて、今振り返るとどうですか?

黒田:当初は中間支援に将来携わろうと考えていたのですが、右腕になった後は打って変わって、自分のふるさとや他の好きな地域で自ら仕事を創っていきたくなりました。この変化は、商店街の経営者さんたちからの影響が大きいです。最初は戸惑いましたが、一緒に汗水流して働く中で、ビジネスの考え方・経営者目線でのまちへの思いを見につけました。陸前高田に行っていなかったら、今の自分には至っていませんでした。

橋本:右腕にエントリーしたきっかけとしては、①東北と関わりを持ちたかった、②自分を変えたかった、③縁とタイミングと勢い、という3つですね。震災後に東北に関わりたい思いはあったのですが、すぐ現地に行くことはできず、2011年の年末に日帰りボランティア活動という形で初めて訪れました。そこからは月一回程度東北に足を運ぶようになりました。突き動かされるようなものがあったというか、一からやろうとしている地域の人と関わり、気持ちが動いたんです。また、当時は入社から五年ほどが経ち、不満はないものの淡々と日々の業務をこなしていてその先のビジョンがなく、何となく変わらなくてはいけないなあと感じていました。そんな中で右腕プログラムのマッチングフェアに行き、東北のリーダーの方々の熱い思いに触れて、人材が求められていることを感じ、勢いでエントリーしました。いつもの私は引っ込み思案で、不安が先にくるのですが、その時は行きたいという思いだけで、悩まずにすとんと決めてしまいました。

山内:休職についてもお話を聞かせてください。

橋本:最大で1年間休める、ボランティア休職制度を使いました。仕事を辞める覚悟はありましたが、私の場合、転職やキャリアアップという視点での右腕参加ではなかったので、休職を選びました。

松下:僕にとって、右腕になった最大の目的は自らのスキルアップです。マッチングフェアに行った際、「東北食べる通信」のリーダー高橋さんの「東北は幕末の京都だ」という言葉を聞いて、東北にはきっと凄い人がいる、これは絶対に良い勉強になるぞ、と思い、自分のやりたかったことに最も近かったISHINOMAKI2.0に入りました。もともと設計事務所に勤めていて、まちづくりはやったことがなかったものの、やってみたいという思いがあったんです。結局、右腕の経験はスキルアップのトランポリンになりましたね。また、自らのスキルアップのためと考えていた仕事が、石巻のためにもなった自信があります。

橋本 かな子 氏(三陸ひとつなぎ自然学校 右腕OG) 新潟県出身、現在30歳。2008年神戸大学海事科学部卒業後、大手旅行会社に勤務。東日本大震災後にボランティア活動に参加し東北と関わりを持つようになる。長期的な視点で根源的な部分の復興に関わりたいという思いから、会社を休職し右腕に参画。岩手県・釜石市の三陸ひとつなぎ自然学校の法人化に向けた体制強化、協力団体との連携強化、また、復興ツーリズム及び子ども事業のサポート等に取り組む。現在は勤めていた旅行会社に復職し、東北で得た視点を活かしてツアー企画を担当している。

橋本 かな子 氏(三陸ひとつなぎ自然学校 右腕OG) 新潟県出身、現在30歳。2008年神戸大学海事科学部卒業後、大手旅行会社に勤務。東日本大震災後にボランティア活動に参加し東北と関わりを持つようになる。長期的な視点で根源的な部分の復興に関わりたいという思いから、会社を休職し右腕に参画。岩手県・釜石市の三陸ひとつなぎ自然学校の法人化に向けた体制強化、協力団体との連携強化、また、復興ツーリズム及び子ども事業のサポート等に取り組む。現在は勤めていた旅行会社に復職し、東北で得た視点を活かしてツアー企画を担当している。

右腕になる前は嫌で嫌で仕方なかった仕事。今では何にでもチャレンジできるようになった。

山内:実際現地でやってみてどうですか?

松下:正直、今石巻で取り組んでいる多機能自治は制度としてはまだ手探りな状態です。誰も教えてくれないので、自分で実践していくしかないんです。

右腕としては、現場を動かす責任者の役割を担いました。ISHINOMAKI2.0はいい意味で放任主義で、バイタリティで何でも変えられる、オープンでやりやすい環境です。実際にこういうやり方でまちづくりができるんだなあというのが自分で経験することで分かり、とても勉強になりました。今は行政と一緒に石巻を今後どうするか考えています。

山内:黒田さんは、3年間飛び込んで、どんなことを学び、経験してきたのですか?

黒田:学んだことは本当にたくさんあります。専門スキルがない中、若さと体力で出たところ勝負でした。「君は何が出来る人なの?」と言われても、前の仕事とリンクしてできることは実質皆無でしたね。商店街の事務局に入り、掃除からイベント企画やSNSの発信まで幅広い仕事をすべて一人で行いました。まずは地域のことを分かろうと、震災で取引先がなくなり小売りをやっているお店での手伝いもしました。他にも、公営住宅に住んでいるおばあちゃんが買い物した商品が重くて運べないので一緒にご自宅へ届けたり、草刈りをしたり。とにかく親しくなるような努力をしました。商店街の事務局の仕事より、そちらの方が多かったですね。すると段々、地域の人から頼まれることや、自分ができることも増えてきて、立ち位置が見えて来たんです。そうして右腕期間が終わったあとも残ってくれないかと言われ、残ることに決めました。

主体的に何かを取りにいって、問題に直面したときに、自分の頭で考えて課題を解決する。商店街の経営者の皆さんから、そんなマインドを学びました。会社員だったころは仕事が嫌でしかたなかったのですが、東北に来てからは様々なことにチャレンジする精神を持って楽しめています。現在は、行政の官民連携をサポートするコンサルの仕事にも、商店街の仕事と半々で携わっています。

黒田 征太郎 氏(陸前高田未来商店街 右腕OB) 兵庫県出身、現在29歳。「これからは地域に関わる仕事がしたい!」という想いで3年勤めた会社を退職。幼少時に阪神大震災を、2011年には東京で東日本大震災を経験し、今一番助けを必要としている地域・東北に何らかの形で関わりたいと考え右腕に参画。岩手県陸前高田市の陸前高田未来商店街プロジェクトでは、運営事務局として商店街の人たちと関わる町の人たちが目指すゴールに向かって走っていけるようサポート。現在は東北での経験を活かし、官民連携のまちづくりに関わり日本各地を飛び回っている。

黒田 征太郎 氏(陸前高田未来商店街 右腕OB) 兵庫県出身、現在29歳。「これからは地域に関わる仕事がしたい!」という想いで3年勤めた会社を退職。幼少時に阪神大震災を、2011年には東京で東日本大震災を経験し、今一番助けを必要としている地域・東北に何らかの形で関わりたいと考え右腕に参画。岩手県陸前高田市の陸前高田未来商店街プロジェクトでは、運営事務局として商店街の人たちと関わる町の人たちが目指すゴールに向かって走っていけるようサポート。現在は東北での経験を活かし、官民連携のまちづくりに関わり日本各地を飛び回っている。

右腕の経験を活かして、自分が好きな道で自分にしかできない仕事をする。マインドさえあれば職に困ることなんてない。

山内:右腕終了後のキャリアの悩みはよくありますが、マインドさえあれば地域にはいくらでも仕事を見つけられます。いろいろな人と出会うことができるので、仕事に困るという人はなかなかいないんです。必ずその後につながるネットワークができます。

黒田:交遊関係は本当に広がり、若い人からお年寄りまでいろいろな年代の人とつながりができました。右腕終了後は何も決めていなかったのですが、地域の人との関係性を大事にしてきて、そこから仕事の紹介が来ました。色々な仕事の中からも取捨選択をしているのですが、結局自分の理想の方向に進んでいますね。今ではもっと先のビジョンが出来て、まだまだ道半ばだと感じています。仕事には困りません。むしろ人手が足りていないのが東北の現状。アンテナさえ立てればOKなんです。

橋本:黒田さんの話にはとても共感します。現地の活動は、それまでの仕事と両極端というくらい経験を活かせなくて。自分の立ち位置や役割も時々見失いそうになったのですが、そんな環境の中で自ら「どうにかする力」がすごくつきました。前は組織の中で周りがどうにかしてくれて何とかなっていた部分があったんですが、東北では、ゼロからのスタートで、手探りのところから皆で考えていく必要がある。よそものとして入って、人間関係を地域の中で作っていかなくてはいけない中で、自分でどうにかしなくては、という状況に置かれました。どうすれば上手く人間関係をつくれるのかという悩みや、また、地域で大事にしていたものは大事にしつつ、外の視点から意見を言うバランスの問題…。それでも、今振り返ってみると、どれもどうにかなったと感じがします。以前の私はどこかで自分の限界を決めていたのですが、東北で活動するうちに、勝手にここまでしか出来ないと決めていた部分も、気づいたら乗り越えられていて、成長したと思います。

今は旅行会社でパンフレットを作り、旅行を通じて皆さんと地域をつなぐ仕事をしています。右腕になる前は、消費者や旅行をつくる側の目線しかなかったのですが、右腕を経験して、地元を大事にする地域づくりの感覚と目線も身につけられました。自分の会社で、都市の目線と地域の目線の両方をもっているのは私だけです。自分だけのこだわりを持ちつつ仕事が出来ていて、仕事に対するモチベーションも変わりました。

山内:仕事がすごく多層化している中で、いかに多様な視点を持てるかは、これからにおいてもとても重要ですよね。

松下:僕は、自分の地元に右腕の経験で得たものを持って帰りたいと思い、実際に地元の役所で石巻での仕事の話をしたところ、来年度からぜひ協力してほしいと言われ、関わり始めることになりました。右腕経験者がその後も仕事に困らないのは、仕事の多様化という背景があるのかもしれないですね。東北は、他の地域にはないチャンスに溢れた、夢のような場所で、役割に困ることは絶対にありません。自分の経験からも身をもって体感しています。

山内:皆さん、本日は貴重なお話をありがとうございました。

聞き手:山内幸治(NPO法人ETIC.事業統括マネージャー)
書き手:大熊遥(NPO法人ETIC.震災復興リーダー支援プロジェクト事務局)

記事提供:みちのく仕事(NPO法人ETIC.)