地域の力を育む教育とは何か?ーESD先進地、気仙沼の10年【前編】

ESDでは、防災、牡蠣養殖、伝統文化、生物観察、植樹、野外活動などの分野で、地域の人たちと連携しながら体験型の教育を提供する。

ESDでは、防災、牡蠣養殖、伝統文化、生物観察、植樹、野外活動などの分野で、地域の人たちと連携しながら体験型の教育を提供する。

少子高齢化が進み、さらに予想を超える自然災害が頻発する中で、全国の各地では「持続可能」をキーワードとした地域社会づくりが行われている。そうした中、教育を中心に据えてその解決の糸口を探る試みが、宮城県気仙沼市で着々と進んでいる。

地域の多様なセクターがつながりを深めながら環境・防災・国際理解などについて総合的に学ぶ場を設けるESDという教育手法。気仙沼では10数年前から取り組みが始まった。長く「ESD先進地」として日本をリードしてきた同市の取り組みを追った。

中学生は“復興の戦力”だった

震災当日、震度5強の大きな揺れと津波に見舞われた気仙沼市階上(はしかみ)地区の住民は、海抜30メートルの高台に建つ階上中学校を目指した。卒業式を翌日に控え、紅白の幕が張られた体育館には最終的に約2000人が集まり、入りきれなかった人たちは解放された教室も住居として利用した。赤ちゃんからお年寄りまで、着の身着のままで逃げた人たちを受け入れた階上中学校の生徒約150人は、大人たちと一緒に段ボールで避難所を設営し、炊き出しや水くみを手伝うなど、大人と同等の働きを担っていた。お年寄りの話し相手になったり肩をもんだり、小さな子に絵本を読み聞かせる姿も、あちこちで見られた。

文科省の新学習指導要領が導入された2002年から、総合的な学習の時間(教科の枠を超え、体験や課題解決に重きを置いた総合的な学習)を中心に、ESDの一環として防災学習に取り組んできた階上中学校。「私たちは未来の防災戦士」を合言葉に、地域を歩いて危険地域を確認しながらの防災マップ作り、友達や地域の人と協力してのバケツリレーや放水訓練、応急手当や心肺蘇生、AED使用などの救命救急講習を行い、全国表彰を受けていた。そうした学びが、実際の場面で生きた。 「震災の時、生徒たちは大人に守られる存在ではなく、“復旧復興の戦力”でした。卒業生も駆けつけ、力を貸してくれました。校庭に仮設住宅ができる夏休みまでの間、生徒たちは自分で考え、地域の人のためにできることを積極的に行っていました」と今野勝美校長は話す。

震災後は、避難所設営訓練をバージョンアップした。生徒会長を中心に、保健委員会は救護スペースを作り、運営委員会が地区割りを行い、防災委員会は支援物資を割り振りし、広報委員は避難者リストを作るなど、より実践的な訓練を行っている。また、観光エリアの海辺は海抜が低く、住民被害が多かった地域だけに、同校は13ある自治会と連携して階上地区防災教育推進委員会を立ち上げた。年に1回、自治会ごとに実情に合わせた総合防災訓練も実施し、「もしも」に備えている。

大きな嬉しいことが二つあったと今野校長。「昨年の冬、ボヤを見つけた帰宅途中の中学生が、地域の人に声を掛けてバケツリレーで消火にあたり、連絡を受けた消防が来た時にはほぼ鎮火させていました。また6月には、今年成人した卒業生3人が『地域の役に立ちたい』と消防団に入りました。頼もしいです」。少しずつ、しかし確実に、子供たちの行動に、防災教育の成果が現われている。

子供が生き生きする学びの場を作る市教委や専門機関が連携し、実現

気仙沼市では、総合的な学習の時間が始まった2002年からESDにつながる取り組みが開始した。英語教育における文科省研究指定校だった面瀬(おもせ)小学校がフルブライト基金の助成プログラムに選抜され、米国の小学校との交流がスタート。当初のテーマは国際環境教育だったが、宮城教育大学、市教育委員会も連携しながら、2005年には面瀬中学校、気仙沼高校が加わり、米国テキサス州の小中高校と「水辺環境」をテーマにした取り組みに拡大した。

2002年の面瀬小の国際環境教育を教員として主導した及川幸彦氏は、単に自己紹介や地域の説明で終わる国際交流ではなく、テーマを設定した上で地域独自の状況を比較し合うことで、共通部分と差異に驚き、生き生きと学ぶ日米の子供たちの様子を目の当たりにした。「教育の楽しさは人づくり。同じことをやるならワクワクする活動がいいし、子供が生きる力を伸ばせる場を作ることが教員の役目。子供たちは、ローカルベースの体験を大事にしながら視野を広げることができました」と及川氏。面瀬小はこうした取り組みで、日本水大賞・文部科学大臣賞などを受賞している。

ただし、ただでさえ忙しい学校現場の目を、新しい取り組みに向けることは容易ではない。面瀬小の例からESDの効果を認めていた気仙沼市教育員会は、同小から異動した及川氏を中心として、市内にESDを広げるための骨格づくりに着手した。その一つは、連携の仕組みづくりだ。小・中・高・大の縦の連携、他校に実践を広げる横の連携、行政やNPO、産業や専門機関が学校を側面から支援する連携システムを市教育委員会のリーダーシップの下に構築した。そして2005年、国連大学が「国連・持続可能な開発のための教育の10年」の地域拠点として気仙沼を含む仙台広域圏をモデル地域の一つに認定すると、2008年にはユネスコスクールの加盟を通して、市内全小・中・高校でのESDの取り組みが一気に進んだ。

さらに、学校現場での実践を促進するために教育委員会の教育研究員制度を活用。毎年10名ほどの研究員が、ESDモデルのカリキュラムやガイドブックなどを作成した。幅広いネットワークで学びを支え、教員の負担を増やさず、それまでの活動をブラッシュアップさせる方法を提示する「気仙沼ESDモデル」は、こうして確立された。

ESDとは?

スクリーンショット 2014-10-17 22.20.53

Education for Sustainable Developmentの略で、「持続可能な開発のための教育」。持続可能な社会づくりの担い手を育む教育として環境、経済、社会、文化の各側面での総合的な学習を行う。2002年、「持続可能な開発に関する世界首脳会議(ヨハネスブルグサミット)」で、当時の小泉総理大臣が「ESDの10年」を提唱。国連第57回総会で採択、ユネスコが主導機関に指名され、2005年から各国で取り組みが進んでいる。10年の最後の年にあたる今年11月、「ESDに関するユネスコ世界会議」が岡山市、名古屋市で開かれる。

→「ESDで「顔が見える」地域、社会につながることで、多くの命が守られた 」【後編】