[寄稿]支援財団の活動を通じて感じる3つの課題意識

(本稿は東日本大震災東日本大震災復興支援財団・専務理事の荒井優氏の寄稿文です)

先日、復興庁にて「(仮称)復興支援に関する財団法人連絡会」準備会というものがあり、2時間超の会議に参加してきました。趣旨としては、
・助成団体同士の横の連携を深め
・応募側にとってより良い仕組みを検討しよう
ということです。個別に存じ上げている方や一度お会いしたかった方などが多数いらしていて、一同に集まる意義を十二分に感じるいい機会でした。

各財団の取り組みを5分ほどお話しする機会がありましたので、荒井からは当財団の取り組みを簡単に紹介した上で、以下の3点をお話しさせていただきました。

1)震災復興関連の奨学金を実施している財団等の同種の連絡会の必要性
2)福島(正確には放射線に関する課題とでも言えばいいのかなと思いますが、、、)に関する連携の必要性
3)震災復興における「助成」のあり方についての知見を深める場の必要性

奨学金関連連絡会の必要性

被災にあった小学生から大学生までの奨学金は、様々な団体が実施しています。一方、予算上の問題で全ての応募者を「合格」とすることがかなわず、どうしても「不合格」としなければいけない事態が生じます。実際、僕たちの財団でも、経済的困窮を抱えている高校生への給付型奨学金の「まなべる基金」(月2万円を卒業まで給付します)では、1000名分の募集枠に対して2000件以上の応募があり、半分ほどの高校生を「不合格」とせざる得ませんでした。

これはとても苦しいことでした。

やらないほうがよかったのじゃないのか、と思うほど悩み苦しみました。「不合格」となった学生が、再び別の応募用紙に、一から記入をする姿や、その結果について想像をすると、本来意図していないのにやる気がある学生の芽を摘んでしまうのではないかと恐れています。これは、震災関連の奨学金を実施している団体の担当者なら、だれもが経験をしていることだと思います。ゆえにこそ、すこしでも、できるところから連携をしていきたいと思っています。

放射線問題への連携の必要性

放射線の問題を何とかしたいという想いから始まっている活動への助成は、すべからく難しい問題を抱えています。○ミリシーベルト、○ベクレルという数値があるのは事実です。その評価については、大丈夫派からムリ派、さらには絶対ダメ派まであるように見受けられます。どの考え方が正しいという事を決めるのは僕たちのやれることではありません。故にこそ、みんなそれぞれの立場で頑張っているからこそ、助成組織側としてポリシーを決めることが非常に難しいところにあります。

でも、すべての考え方は、大好きな地域を汚されたことへの怒りと悲しみから始まりってはいて、最終目標は、今をいきる大人として子どもたち・次代への責任をどの様に果たすのかということに向かっているということでは、見ている山の頂は同じだとおもうのです。違いは登るルートだけなので、互いに認め合い応援をしあう関係性にあるはずだと思うのです。

ポイントは、「信頼関係」なのだと思います。

残念ながら、この問題で悩んでいる人たちからは、いまや、政治も行政もメディアも信頼を失っています。僕たちのような外から支援したいと思っている人たちも、本当の信頼は得ていないのだろうとも思います。「信頼関係」を構築するべく努力をする場が必要なのだと思います。バラバラにやっている時期は過ぎたと思います。みんなで同じ頂上を目指して登らないといけない。

研究会作って議論して、委員会を正式に立ち上げて、弾を込めて、予算を取っていく・・・。そういう牧歌的な(皮肉を込めて)行政のあり方ではなく、また「熟議」という平和時なやり方でもなくて、涙流して、ケンカ上等で、歯ぎしりしながら、それでも大人の責任として子供たちに誇れる未来を創る決断をしていくための、その根っこを支える場、人の輪が必要なのだとおもいます。

信頼関係を構築するためのあらゆる方策が必要なのではないでしょうか。そのためにも、まずは、関係する人たちを集めていかなければいけません。どんな立場、考え方であろうとおそれずに集まり、ワールドカフェなどのワークショップの形式などを取りながら、議論をしながら、みなで頂上を確認する手段を根気よく探っていくしかありません。

「助成のあり方についての研究」の必要性

僕たちも今まで2度、「子どもサポート基金」という名前で約120のNPO、ボランティア団体、各種団体、個人に合計2億円の活動に対して助成をしてきました。

その中で、震災の緊急支援というフェーズから、復興へと移りつつある昨今、とても悩んでいるのが「支援が被災者の自立を阻んでいるのではないか」、もっと直接的に言えば「支援者がいるから被災者がいつづけるのではないか」ということです。

これは、僕らのように「復興支援」を名称に名付けている組織にとっては、アイデンティティクライシスでもあるのだと思いますが、真の復興支援とは「被災者が、自分の足で立ち上がって、被災者ゼロになる」ことなのではないのだろうか、と思うのです。

特に、「無料のサービスを提供する」という支援のあり方は、そろそろあり方についての是非を検討をするべきなのではないかと思っています。もちろん、無償の奉仕自体は、ある一定の時期までは必要なことだと理解をしていますが、しかし、何者も「失ったものを全て取り返す事はできない」現実において、どこかで被災者自身が(大変に酷な言い方である事は重々承知の上ですが、、、)現実を直視し、自ら立ち向かわないといけないのだと思います。

という、考え方そのものがどうなのか、またそのような考え方をどうやったら助成の仕組みに反映しうるのか、現地に訪れてみなさんのお話を聞く度に悩んで帰ってきて、そもそも本当に僕たちは地元に住む皆さんのお役に立っているのか。復興に寄与できているのか。悩んでいて、できれば誰かに相談をして、アドバイスを求めたいと思っているのです。

東北の復活は、日本全体の重要ごと

蛇足ながら、本質的には、東日本大震災は
・地震と津波の影響による問題
・原発事故由来の放射線問題
の二つのまったく異なる問題があり、対応もまったく異なります。

前者については、より被災自治体に意思決定と予算を回し、国の関与は小さくしたほうがいいと思います。国は人材面での応援をどんどん行って、復興業務には沢山の若い官僚の力を使わないと時間的に間に合わないと思います。

後者については、これこそ国が全面に全力で全速力で取り組むべきで、県や一民間企業(今は国営ですが、、、)に任せるものではありません。福島県外に住んでいる人にとっては、ものすごく意外かもしれませんが、普通に福島に住んでいると「国がこの問題に何かしてくれている」という意識はほとんどないと思います。

なので、僕としては「復興庁は「原発事故対策庁」と名前を改めるべき」と言いたかったのですが、それはまた、別の席で。。。

蛇足ついでに、最後にもう一つだけ述べさせてください。
震災から月日が経って、感じていることは
・今、被災地で向き合う課題は
「震災前からわかっていたこと」
ということです。つまり、震災前から顕在化していた、または、潜在的に横たわっていたということです。少子高齢化、産業の縮小、低い教育水準、後継者問題など。そして、これは、今回の震災にあった地域のみの課題ではなく日本全体を覆っている病魔なのだと思います。10年、20年かけてゆっくりとやってくるはずのものが、一気に突然に目の前にきたのだと思います。

その意味でも、彼の地の復活は、日本全体の重要ごとなのです。

この国の行く末を考える人たちは、(それは、決して政治家や官僚や経営者ばかりではなく、家族や地域といったコミュニティーについて責任を持つ僕たち自身に他なりません)何が起きているか、何をしようとしているか、何ができたか、できなかったか、今こそ、その場に赴いて知る時なのではないでしょうか。

SONY DSC文/荒井優(あらいゆたか)東日本復興支援財団専務理事
ソフトバンク社長室勤務。福島県を中心に被災地を渡り歩き被災者や復興支援団体への助成・支援を行う。また復興関係者の横のつながりを活性化するコミュニティ「芋煮会」を開催している。