3月11日で震災から3年が経った。多くのマスメディアが、この日ばかりは復興を語り、フェイスブックは3年前の思い出で埋め尽くされた。9月11日も、8月15日もそうだ。この日ばかりはテロや戦争の悲惨さを思い出す日になっている。
テレビというのは残酷な装置で、スイッチが入っている間のみ、我々に世界をみせてくれる。映像と音で、時には感傷的に、また時にはダイナミックに、遠く離れた、いまここではない世界を見せてくれる。でも、それは、画面に映っている間だけだ。我々は、チャンネルを変えることで、一瞬で違う世界へ移動し、そしてスイッチを切って、忘れてしまう。
ベネディクト・アンダーソンは、新聞を「一日だけのベストセラー」と呼んだ。今日は新鮮なニュースが盛り沢山の新聞が、翌日には古紙になってしまう。我々はマスメディアを通じて情報を大量に消費する。短期間に、同期的に。
3月11日が過ぎたいま、ではどうすれば東北の復興を伝えられるのか?テレビに映らず、新聞に載らない、この面白き世界をどうやって届ければいいのだろうか?風呂場で少し考え、まずは「東北復興新聞」を続けりゃいいんだと、単純な答えに辿りついた。細くとも、しなやかに。(T)
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