産業復興へ向けた秘策を考える 事例に学ぶ・再建企業の経営哲学【後編】

より良いライフスタイルを提供する。

株式会社オノデラコーポレーション 前例となり、地域に選択肢をつくる

オノデラコーポレーション専務取締役の小野寺靖忠さん(左)

 気仙沼の市街地の一角。仮設商店街の一階にあるアンカーコーヒーは、仮設店舗とは思えないほどの落ち着きのある空間だ。運営する株式会社オノデラコーポレーション専務の小野寺靖忠さんは、アメリカの大学へ通いヨーロッパで働いており、故郷の気仙沼に戻った際に「生活の中にコーヒーショップとカフェラテのない生活があまり豊かでないと感じた」ことが立ち上げのきっかけになった。
 「少子高齢化が進む気仙沼。18歳で人口が流出する背景には、仕事場や遊び場における『選択肢の少なさ』がある」。その選択肢の一つとして「コーヒーショップと共にある生活」を提供する事で、ここに住みたいと思う人を増やしたいと考えた。またフランチャイズビジネス化することで、都会で働く人がオーナーとして田舎に帰る仕組みをつくれないかと試行錯誤を繰り返した。震災前には、ドライブスルーの店舗や大型書店内での出店など、テイクアウト主体の店を五店舗展開、港近くに焙煎工場を作るまでに成長していた。
 震災では、このうちの二店舗と焙煎工場、製菓工場、事務所、自宅が津波に流され、焙煎前の生豆もすべて失った。再建にあたっては、知人からの紹介で出会ったクラウドファンディング「セキュリテ応援ファンド」の第一期の募集に参加した。「前例が無いことでも、誰かが始めて風穴を開けておけば、後に続く人が出る。被災地に一つの選択肢が増える。『田舎暮らしが豊かじゃない』とコーヒーショップを始めたのも一緒。選択肢があれば、何とかしようという人が出てくる」という気持ちだったという。

仮設店舗ではあるがコーヒーのある豊かなライフスタイル提供にこだわる

 募集したファンドでは2450万円が集まった。しかし、小野寺さんはまだその資金に手をつけていない。物件の不足や建築・内装コストの高騰などさまざまな理由から温存している。「使わないと意味がないんじゃないか」という声もあるが、今投資すればその多くが高騰した部分に回ってしまうため、それはおかしいと小野寺さんは言う。
 「『より良いライフスタイルを提供する』というのが一番の姿勢。復興、復旧後10年たった後も、そこに生き続けることを主眼に入れて、事業に取り組む必要がある」。そう考える小野寺さんは、気仙沼市の震災復興市民委員会に参画するなど街の復興にも積極的に取り組んでいる。その中で描かれている町の未来像には、「世界一の港町」として「おしゃれでかっこのいいまち」などが盛り込まれている。こうした町の復興と歩調を合わせつつ、資金が生きるタイミングを腰を据えて計っている状況だ。

共存共栄できるしくみをつくる。

一般社団法人三陸海産再生プロジェクト 市民ファンド手法による流通変革

プロジェクト支援先との 打ち合わせの様子

 震災で多くの事業者が大きな被害を受けたが、中でも漁業へのダメージは大きかった。港の復旧もままならない中、漁具や設備も整わない。それらが復旧したとしても従来の流通の仕組みでは、漁業者の収益はなかなかあがらない。水産業の世界では流通の立場が強く、漁師には価格決定権がないのだ。こうした課題を解決しようと考えたのが、石巻で水産加工業を営む木村隆之さん。津波によって壊滅した自社の施設・設備の復旧を進める一方で、震災前から感じていた「魚の値段を決めるのは加工業者、流通業者。漁業者が市場で一番弱い立場にあるのはおかしい」という問題意識に立ち向かう決意をした。
 縁のあった東京の会社の支援を受けつつ、協賛する漁師を組織化。2011年5月に立ち上がったのが一般社団法人三陸海産再生プロジェクトだった。
 このプロジェクトは、支援を希望する会員からの入会金を、漁業者が共同で利用できる加工設備や漁具の整備にあてる。そこで生産された加工品は、会員に対しては特別価格で提供されるというもの。支援者をそのまま顧客にする市民ファンド的な手法を用いて、海産物の流通を変えようという枠組みだ。

支援金で購入した定置網の網づくりをボランティと行う

 これまでに約2000名の会員から5000万円ほどの資金が集まり、2700万円ほどがすでに設備や漁具の購入に充てられ、ワカメやカキ、養殖のりなどが販売されている。
 自社の復興も見通せない状況の中、全く異なる事業に無償で取り組むことに対してさまざまな議論もあった。しかし、「水産業の現状を変えたい」という想いでプロジェクトを進める木村さんたちの姿に多くの人々が賛同し協力するようになったと言う。
 漁師と加工業者が流通で協力し、製造で協力し、と徐々に協力関係が強化されるようになれば、水産業の構造自体が変わる。それは結果として自社のみならず業界全体の収益向上につながる。すべてが失われた今だからこそ、漁業者と加工業者、消費者が一体になって新しい仕組みをつくる必要がある。そんな哲学が、「復興」ではなく「再生」という言葉に込められている。
 2013年春、新工場の完成に伴い、木村さんは本業の水産加工の復旧に専念するようになった。プロジェクトの代表理事と事務局体制はボランティアに委ねられたが、支援先の漁業者が直接東京の市場に営業する取り組みが始まるなど、新たな動きも生まれている。

ここで取り上げた四社に限らず、事例集に掲載されている企業の多くは、震災を期にビジネスモデルの大幅な変更や再構築(リストラクチャリング)、投資・経営計画の修正などを行っている。戦略的に考えるならば、被災地以外に移転し、新たな事業に取り組むという選択肢もあり得る。それをせずに現地再建にこだわるのは、「地域があってこそ自社がある」「自社は地域の担い手である」という強い意識があるからだ。
 言い方を変えれば、地域の担い手としての役割を果たすことが経営の主題となっている。
その地で暮らし続けるという前提の下、長期にわたって必要とされていることが戦略の要となる。そして、それが求心力となり再建につながっていると言えるだろう。

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(文/出藍社松崎光弘)

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