産業復興へ向けた秘策を考える 事例に学ぶ・再建企業の経営哲学【前編】

復興庁は4月、被災地の企業の再建事例を集めた報告書「被災地での55の挑戦—企業による復興事業事例集—」を公開(下表)。震災への対応策について4つの視点でまとめられている。同時に見えてくるのは、強い信念をベースとしながら経営改革を行い、外部の力を巧みに活用する経営のあり方だ。今後も続く産業復興への道のり。本特集では、その中心となる、現地に根ざした企業たちの経営哲学に注目した。

地域の生活インフラを担い続ける。

スーパーマイヤ 徹底した地域密着志向の打ち手を連発

震災時に店舗でマネジメントにあたったマイヤ株式会社の新沼さん

 岩手県大船渡市に本社を置くスーパーマイヤ(株式会社マイヤ)は、三陸沿岸を中心に16店舗を展開する地域密着型のスーパーマーケットチェーン。震災時には本部と大船渡、陸前高田、大槌で六店舗が被災した。
 当時店舗のマネジメントを担当していた新沼敏宏さんは震災当日のことをこう話す。「停電時にお客様が来店すれば、店内中のワゴンを外に出し、店頭での販売を行った。レジがなくおつりを出せないので、ひとり10個までと決めて基本的に100円で売った。現場判断の連続でした」。
 直後の混乱を現場判断で乗り越えたマイヤ。その後の復旧も早く、3月中には出張販売と移動販売を始め、8月以降は本設・仮設併せて5店舗を展開し、売上も震災前のレベルにまで戻している。
 震災時の対応やその後のスピーディな復旧の背景に見えるのは、マイヤの危機管理の取り組みだ。同社では、大きな震災を前提とした防災訓練や対応マニュアル、地震保険への加入、安否確認システムの導入など、最大限のリスクマネジメントに取り組んできた。
 そして、マイヤの戦略的なリスクマネジメントの根底には、「地域密着」の生活インフラとして、地域住民の生活に必要なものを届けることを最優先にするという経営哲学がある。新沼さん自身、社長から「価格は一番ではない。社長方針がそうではないと知ってくれ」と言われたという。「嘘をつかない。愚直に。お客様がどう感じているかを考え、場面場面で省みる」というのが新沼さんにとっての「地域密着」だ。

地域の多くの方に商品を届けたいと始めた送迎マイクロバス

 「地域密着」の哲学はパート社員たちにも浸透している。地元でできたおいしいものを食べてもらうために、パートスタッフが自宅で料理をつくりそれを試食で進めたり、レシピを作成してつけたりする。何か住民の手伝いができないか、皆が常に考えている、そんな気持ちがリピーターを呼んでいる。そのようにしてマイヤは地域での高い支持を受けているのだ。
 その後の移動販売や店舗の再建においても、仮設住宅の立地にあわせて展開。それでも来店が難しい顧客に対してはマイクロバスによる送迎を行い、さらにはネットスーパー事業にも取り組んでいる。
 地域密着の理念があらゆる打ち手につながり、顧客との信頼関係、早期の経営再建につながったと言えるだろう。

地元の味を守り抜く。

ヤマニ醤油高田営業所 ファブレス化や分社化によるビジネスモデル再構築

ヤマニ醤油高田営業所 代表の鈴木さん

 岩手県陸前高田市の高台に、ヤマニ醤油高田営業所がある。ヤマニ醤油は創業140年あまりの老舗の醤油蔵元。地元の飲食店や個人宅に「御用聞き営業」という独特の営業手法で醤油やつゆなどを届けてきた。
 津波によって生産設備のすべてを失ったヤマニ醤油では、唯一残ったレシピを頼りに、自社で製造設備を持たない「ファブレス経営」に大きく舵を切った。従来商品の製造・販売を維持するため、ヤマニ醤油株式会社の本体は味とブランドの管理に集中し、製造は花巻にある同業の佐々長醸造に委ねた。佐々長醸造とヤマニ醤油は先代の頃からのつきあいで、現在の社長の新沼茂幸さんと佐々長醸造の畠山了一工場長も旧知の間柄。水も風土も違う土地で「地元の味」を復活させるパートナーとして最も信頼できる相手だった。
 140年続いた蔵元の信用度は高く、漫画家のやなせたかし氏によるラベルの提供や、大手洋菓子店ヒロタとのコラボレーション商品の販売といった新しい展開が生まれている。
 一方で、ヤマニ醤油というブランドを育てた地元での「御用聞き営業」の再開は、陸前高田市在住の元従業員8人の有志が発足させた別会社ヤマニ醤油高田営業所に任された。本社跡のがれきの中から見つかった顧客台帳と各販売員の記憶を頼りに一軒一軒顧客を洗い出して訪問している。従来の販売量にはまだ遠く届かないが、本来の顧客である陸前高田の人たちにヤマニ醤油の味を届けたいという一念で毎日御用聞きに出かけている。

仮設店舗で復旧した ヤマニ醤油高田営業所

 「震災前から持っているものって、ベルト一本だけ。あとは全部流されました」と語る代表の鈴木泰治さんは、自分自身津波にのまれ仮設住宅で暮らしながら事業に取り組んでいる。町の復興がどう進むのかわからず、再建途上の本体からの資金援助も望めない。それでも、「この街で住み続けるためにも覚悟するしかない。今日を頑張り、一週間頑張り、一か月がんばる繰り返し」と、鈴木さんは語る。
 ファブレスに徹したヤマニ醤油本体の判断、それを受け入れた佐々長醸造の支援、地元陸前高田で暮らし続け、伝統の味を届け続けることに対する高田営業所の人々の覚悟。これらがあったからこそ、ヤマニ醤油のビジネスモデルの再構築(リストラクチャリング)は実現できた。そしてその根底にあるのは、地元の味を守り抜くという強い想いだったのだろう。

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(文/出藍社松崎光弘)

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