他地域に学ぶvol.3 徳島県 神山町 「奇跡のNPO」が起こした転入者増【前編】

徳島県は、県内全域に整備されたブロードバンド回線を生かし、企業のサテライトオフィス誘致に成功していることで全国的に知られている。中でも人口約6300人の神山町(かみやまちょう)は、2011年の転出者139人を、転入者が151人と上回ったことで注目を集めた。この偉業の立役者であり、メディア等で「奇跡のNPO」と呼ばれた「グリーンバレー」の理事長、大南信也さんを訪ねた。

20年の積み重ね。アートからワークへ

徳島市の市街地から車で40分、里山の風景が広がる神山町。

徳島市の市街地から車で40分、里山の風景が広がる神山町。

大南さんらの活動は90年から始まった。99年には「アーティスト・イン・レジデンス」を開始。これは毎年夏から秋の3ヵ月間、国内・海外のアーティストが滞在して作品を制作し、展覧会を開催するプログラムだ。応募者の8割が海外からで、終了後も滞在を続ける人も。さらに美術大学の課外授業やインターンシップも進み、多様な人が集まり交流する気風が醸成さてれていった。

07年からは、アートだけでなくさまざまな分野の人をターゲットにした「ワーク・イン・レジデンス」プログラムを始動。ここで特筆すべきは、地域のNPOであるグリーンバレーが「パン屋」「カフェ」など町に足りない機能を持つ人を「逆指名」し、仕事ごと移り住んでもらうという取り組み方だ。08年頃から移住者が増え、10年頃からはサテライトオフィス開設が加速した。

今日まで20年間。活動の中で、大南さんが学んできたこととは何だろうか。

過疎地域に必要なのは「循環の仕組み」

NPO法人グリーンバレー理事長の大南信也さん。大学は東京へ、大学院はアメリカへ出た経験がある。

NPO法人グリーンバレー理事長の大南信也さん。大学は東京へ、大学院はアメリカへ出た経験がある。

「多くの過疎地域と同様、ここ神山も生まれ育った子たちが出て行き、ほぼ戻らない。つまり世代循環が断たれている土地です」。この現実に対し、大南さんは2本の柱で考え始めたという。

1つめが、世代循環を作ること。出て行った人を全員呼び戻すことはできないため、ここでは子育て世代を中心とした、若い移住者を増やすことが肝になる。

2つめが、大きく日本の中で捉えた人材・能力の循環。特に、都市で力を持ちつつ活躍の場のない人が地方で活かされること。これが後述の「神山塾」開設へと繋がった。

大南さんは言う。「今は日本全体で、モノによって地域を動かそうという発想になってしまっています。B級グルメも、ゆるキャラも。モノなので、ヒットしてもいずれ必ず飽きられる。そしてまた一発当てにいく。これはしんどいと思うんです」。

大南さんが気付いたのは、モノを生み出すためにも、重要なのは「循環の仕組み」で、その仕組みの根幹が、多彩な才能やスキルを持つ「人」の集積だった。人の輪の中にアイデアが放り込まれ、化学反応が起き、そこから価値もモノも自動的に生まれていく。もし新しい人が来ても、ジグソーパズルのようにはまり、新しい仕組みになって更新されていく。

地域住民の好奇心と、リーダーの共通体験

今年1月に縫製工場跡を改修してオープンした「神山バレー・サテライトオフィス・コンプレックス」。現在3社・個人1名が利用。引き続き募集している。

今年1月に縫製工場跡を改修してオープンした「神山バレー・サテライトオフィス・コンプレックス」。現在3社・個人1名が利用。引き続き募集している。

クリエイティブな循環に必要なものは、外から来る「人」だけではなかった。

「地域の人々にどれだけ『変わりたい願望』があるかも重要です。神山の人は元来あまり変化を怖がらず、好奇心がある。外から来た人の活動を面白がり、話を聞き、参加するんです」。

その雰囲気をけん引しているのが、大南さんを始めとした町のリーダーたちの瑞々しい感覚なのだろう。聞けば、いま町の中心となっている大南さんの仲間は皆、一度外に出て戻ってきた人。さらに、その仲間で、ある共通の体験を持っていることも大きいという。

これは、戦後、町の小学校にアメリカの少女から贈られた青い目人形・アリスを、91年に町民たちで渡米し、里帰りさせた体験だ。これに大南さん、事業者、役場職員の仲間たちが参加した。偶然、現地で市議会を見学する機会があり、その建設的な議論の様子に、大変な衝撃を受けたという。この時の共通体験から、町のリーダーである彼らが、既存の枠に囚われない新しい感覚で議論し、協力できるようになった。

「未来を描くことに通じる、ショックに近い体験を共有できるといいと思います。視察旅行に、町の行政・事業者・NPO・住民代表で一緒に行くなんてどうでしょう。もちろん神山でも歓迎しますよ」。

力を生かせない若者が蘇生する「神山塾」

半世紀以上使われていかなった町の劇場「寄井座」。グリーンバレーに貸与され、アートや人形浄瑠璃、映画上演の場として復活した。天井には当時の商工業者の広告看板が。

半世紀以上使われていかなった町の劇場「寄井座」。グリーンバレーに貸与され、アートや人形浄瑠璃、映画上演の場として復活した。天井には当時の商工業者の広告看板が。

もう1つ、グリーンバレーの担う重要な活動に「神山塾」がある。これは10年より厚生労働省の緊急人材育成支援事業として始まったプログラムだ。全国から集まり、神山に半年間滞在して学ぶ若者たちの中には、いわゆるフリーターやニートも含まれている。

人材育成と言っても、仕事自体の技能訓練ではなく、その「前と後」を教える塾だという。働くことの手前にある、仕事への向き合い方。働くことの向こうにある、社会の変化と手応え。体験しながら自身の中に刻みつけてもらう。就職する意欲と共に帰っていく人、事業を創り出して神山に残る人、さまざまだが、皆同じなのは別人のように生き生きした顔つきになることだという。

変化は起きていると信じ、とにかくやってみる

活動を始めて3、4年の頃、何も変わらず疲れを感じたこともあったという。しかし5年で自分たちに、10年で周りの人にも変化が見え出した。

大南さんは言う。人形アリスの送り主は当時、まさかそれが、日本人の渡米、グリーンバレーの誕生、神山の移住者増に繋がるとは、思ってもいなかっただろうと。「日々やっているアクションに意味のないことはないんだと思います。人は生きている間に変化を見たいと思うけど、アリスみたいに80年以上も経って何かが起こることもある。だからとにかくやってみる」。

最後に、大南さんを突き動かすものは何かを聞いた。

「年齢を重ねて分かってきました。私は、自分の中に足跡をつくりたいんだと。人に見えまいが構わない。少なくとも自分なりのベストのものを、次の世代に送ったぞと言いたいんですね」。

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