三陸水産業は生まれ変わるのか。変革に挑む三陸フィッシャーマン【後編】

ソトモノが営業機能を代行
【岩手県】三陸ブレーメン企画 奈良寿昭さん

三陸ブレーメン企画 奈良寿昭さん

 元々は鍼灸師だったと言う奈良さんは、ボランティアとして震災直後から被災地に入る。石巻市の避難所で活動した後、大槌町を拠点に仮設住宅の支援活動を継続して行ってきた。長期の活動により地元コミュニティとも関係ができていった。コミュニティ支援の活動を続ける中で、時間の経過とともに仕事の場をつくり出す重要性を痛感。主要産業である水産業の復興のための活動を開始した。

 「外の人間だからこそ、気付くことのできる地元の魅力がある。」と話す奈良さんは、船の共同利用を地元漁師に提案するなどしながら、新しい形を模索している。目下取り組んでいるのは、東京におけるイベントを通じた広報支援。東北と東京を食でつなぐイベントを企画したところどれも盛況で、三陸の海産物のブランド力を肌で感じた。今後は、生産者の代わりに販路を獲得する、いわば営業代行的な立ち位置を目指す。「漁協などにも価値を提供できれば、ビジネスとして双方にメリットを出せる」と想いを語る。

 震災後2年の時が経過したが、今も奈良さんのような多くの「ソトモノ」が被災地に貢献したいと考えている。販路開拓分野におけるこうしたソトモノ活用も、新しい三陸水産業のひとつの形と言えるだろう。

都市と浜をつなぐバーチャル漁師
【宮城県】牡蠣漁師 阿部貴俊さん

牡蠣漁師 阿部貴俊さん

 自らを、「営業漁師」を名乗る阿部さんは、震災後、東京の半導体会社からUターンし、石巻市牧浜の実家で牡蠣の養殖業を営んでいる。「漁師は魚を獲って終わりではない。だれが食べてその結果どうだったのかというところまで追いかけないといけない。それが、品質の良いものを作るモチベーションにつながる」と語る。

 東京など各地でイベントが開催されると聞けば自ら出向き、自分が作った牡蠣を食べてもらい、ファンを増やす営業を行う。真剣にお客様の声に耳を傾け、特にお互いのコミュニケーションを大事にしている。

 さらに阿部さんには「バーチャル漁師」というおもしろい構想がある。首都圏など都市の方々に漁師の仕事を、ITを活用しながらバーチャルに体験してもらうものだ。個々の工夫を取入れた養殖法をチャレンジしたり、天候や海水温等の自然条件により成長具合の変化を遠隔からリアルタイムで体験出来るシステム。多くの人に「自然とは?環境とは?」といった事を考える機会を提供しながら、漁業に関心を持ってもらいたいと考えている。

 新たな発想で地方の生産者と都市の消費者の関係に切り込む阿部さん。目指す姿は、三陸の生産者側だけでなく、消費者側も変革した、新しい日本の姿なのかもしれない。

取材を終えて

 本特集の入稿日にあたる4月23日、復興庁は宮城県の水産業復興特区申請を認定、石巻市桃浦地区において漁業権が民間企業へ開放されることとなった。宮城県漁協を始めとして業界からの反発も強いが、三陸の水産業が変わりつつある事例であることは間違いない。

 今回取材した三陸フィッシャーマンズキャンプや、そこで出会った、記事で紹介した5名を含む20人の挑戦者たち。彼らもまた、変化そのものだ。三陸の水産業は変わるべきなのか、どう変わるべきなのか。誰も明確な答えを持たぬまま前に進んでいるのかもしれない。ただしこの一つひとつの変化の点が他の点とつながり、線となり面となり、大きなうねりとなった先にのみ、輝かしい未来が存在するのだろう。

 その未来はきっと来る。熱を持って議論するフィッシャーマンたちは、そう思わせてくれるエネルギーに溢れていた。牧浜に処理場ができる頃、復興ホヤが全国の食卓に並ぶ頃、福島の海で本格操業が再開する頃、その未来が見えてきている。

三陸フィッシャーマンズプロジェクトとは

三陸フィッシャーマンズプロジェクト

三陸から新たな水産業を創ることを目的に、ヤフーおよび、オイシックスやカフェ・カンパニーなどによる東の食の会が主体となり立ち上がったプロジェクト。三陸の水産品のブランディングや広報支援、地域や業態を超えた連携の場づくりなどを行う。

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文:葛西淳子

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