【特別企画】各地域からのメッセージ 「2年の歩みと、これからの希望」【前編】

震災から2年、緊急、復旧、復興と目まぐるしくフェーズが変化する中、東北には、各地で立ち上がった志士たちの、絶え間ない努力と苦労があった。今回はそのように闘ってきた多くの方々を代表し、12人の方にそれぞれが思う「これまで」と「これから」を聞いた。まだまだ続く長い道のりではあるが、今、気持ちを新たに前へ進めるように。今後さらに、地域・セクターを越えて手をつなげるように。

県を施設園芸の一大集積地域に!

岩佐大輝(いわさひろき)さん・宮城県
GRAグループCEO。山元町を拠点として先端施設園芸を展開し、農業を軸とした地域復興に力を注いでいる。

昨年GRAは、ICTを活用した先端施設での初出荷となる、ブランドイチゴ「MIGAKI-ICHIGO」の発売開始を果たし、また、インドでの事業展開など、大きく一歩を踏み出しました。
一方、東北全体で見ると、津波被害を受けいまだに活用されていない農地をどうするのかという大きな問題があります。
平野部の広がる宮城県南は、施設園芸に適しています。早期に持続可能なモデルを山元町で実証し、宮城県を日本における施設園芸の一大集積地域にすることを大きな目標として、今年も進んでいきたいと思います。

残したいふるさとの風景があります。

千葉拓(ちばたく)さん・宮城県
南三陸町歌津(うたつ)の「マルタ拓洋水産」専務取締役。漁業者(牡蠣の養殖)として再建をはかりながら、地区の防潮堤計画の見直しへ向けた運動を展開している。

皆様からの寄付のおかげで、牡蠣の養殖の再建が始まりました。震災で海がキレイになり牡蠣の成長が早く、出来が圧倒的に良い。共同処理施設が完成する秋から始まる出荷が楽しみです。
進めている防潮堤計画の見直しについては、12月に議会へ提出した陳情書が採択され第一歩となりました。しかし行政側の計画変更の壁は高い。とにかく今は、勉強会を開催したり、外部の専門家にお願いして水質調査をしたり、できることを必死にやっています。とんでもねえ毎日で、自分の器を完全に超えていますが、何かに突き動かされているような感じです。海と人とを隔ててはいけない。これはふるさとの話です。親やその上の世代の、僕らの、そして子供たちの世代に残したいふるさと。道は険しいけど、絶対やりきります。

新しい山田町がはじまります。

間瀬慶蔵(ませけいぞう)さん・岩手県
びはん株式会社専務取締役。地元スーパーマーケット「びはん」を経営する傍ら、新生やまだ商店街協同組合の専務として山田町の商店街復活へ奔走中。

昨年はとにかく、商店街復活のためのグループ補助金へ奔走した年でした。第3次、4次と申請するも未採択、3度目の正直となる第5次でやっと採択されました。早ければ来年度中には10店舗からなる常設の商店街が誕生します。
ただし、建物は国の補助でまかなうとしても、もっと大切なのは中身です。10年20年先も続けられるような仕組みをつくっていく必要があります。我々の組合では、外部との交流を生む語り部ガイド事業や、デジタルサイネージ(電子看板)の展開を開始しました。山田町の復興はまだまだこれからですが、産業面から盛り上げて行きたいと思います。

学び、遊び、つながりましょう。

臂徹(ひじとおる)さん・岩手県
大槌町の一般社団法人「おらが大槌夢広場」理事・事務局長。東京から移住。「おらが大槌復興食堂」の運営や、町民大学「大槌ひと育て×まち育て大学」や「こども議会」などの施策で町づくりに挑む。

外から来た人をおもてなしし、案件を丁寧にさばく中で、地域に固定のファンがついてきた感じがあります。今後はいかにそのファンを拡大し、交流し、足を運んでもらうか。大槌では「学び」をテーマにやっていきたい。日本全国の地域共通の、普遍化した課題を学べる場です。ツールとして、アートやスポーツも融合させながら。
僕のように外から来て、地域に受け入れてもらう苦労がある人もいるでしょう。「みんな、一緒だから」と伝えたいです。土地の人になりきるのではなく、「旅の者」と認識されていて良いと僕は思っています。その代り、一緒にお酒を飲むときはすべてオープン(笑)。地域が違っても、掘り下げれば同じ点でつながる。点は線へ、面になるはずです。共に、大いに遊びましょう。

小高の人が集う新しい場になりました。

豊田英子(とよたひでこ)さん・福島県
「双葉食堂」店主。南相馬市小高地区で被災し、2011年10月に同市鹿島地区に仮設店舗で復活を遂げた人気ラーメン店を切り盛りする。

店が再開して1年と少しがたちました。小高時代のお客さんがよく来てくれていて、お互いに懐かしくて自然と会話が弾みます。東京に避難した方が「また食べたかった」と言ってわざわざ来てくれることもあります。ラーメンだけでなく、ここに来ると誰かに会えるという楽しみのある場になっていて、とても嬉しく思います。
ここは、今は施設に入っている義理の母が始めたお店。小高区に帰れる目処はまだ見えないけれど、新しいこの場所で今年も来年も、のれんを守っていきたいと思います。

いま必要なのは、信じること

中村美紀(なかむらみき)さん・福島県
山形避難者母の会代表。福島県郡山市からの避難先である山形県山形市で、子育てサロン「村山地区ふくしま子ども未来ひろば」の運営等、避難母子のための活動を行っている。3女の母。通称「ミキティママ」。

私たちは県外避難を選びましたが、福島に帰った際に残っている方々と話をすると、同じことを考えているなとよく感じます。放射能の問題はデリケートで、多くの方は声を発していません。他者への思いやりからなんです。だから私たちは、国や県との意見交換会や質問状、メディアなどを通じて避難者の声を発信してきました。これからも子供たちの未来のために「こうなれば母として安心できる」という目線を形として示していきます。
何も信頼できないという中で怒りやストレスを感じてきましたが、2年間も怒り続けることなんてできません。怖がらずに、心を開き信じること。議論して、ときにぶつかりながら多様性を認め合う。そうして前に進んでいきたいと思います。

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