Beyond 2020を終えて

東北復興新聞のラストを飾る連載「Beyond 2020」が終わった。昨夏から始めた現地取材に要した期間は約9カ月。3.11以後、東北や社会、人々の価値観はどう変わったのか。そして、2020年以降の社会はどうなるのか。今考えても、インタビューに応じてくれた51人の方々には、明快な解があるはずもない無謀な問いかけをしてきたと思う。無理難題に向き合い、丁寧に言葉を紡いでくれた方々に、この場を借りて改めて感謝したい。

連載を終えて、見えてきたものは何なのか。あの日を境に、何が変わり、何が変わっていないのか。被災地は今、どうなっているのか。この9カ月間、僕自身も己に問いかけてきた。正直なところ、51人の声を総括して「こうだ」とは言いづらい。取材を重ねれば重ねるほど、そうした思いは強くなり、うまく「東北の今」を表現できなくなっていったように思う。

それは、51人の思いや活動が”過去”でも”未来”でもなく、現在進行形で”今”この瞬間も動き続いているからだ。その時々に”節目”を設けて、「震災◯年」の現在地や「2020年以降」のビジョンを指し示すことは重要だろう。それこそメディアや表現、言葉の役割だとすら思う。ただ、やはりどうしても1つの物差しでは測れない。そんな思いが常に去来する。

うまくいくこともあれば、もがき苦しむこともある。サクセスストーリーもあれば、悲劇の物語もある。白か黒かではないごちゃまぜな現実が、そこにはあった。それでも、51人が紡ぎ出す言葉からは、”覚悟”のようなものがじんわりとにじみ出ていた。それは唯一、彼/彼女らに共通していたことのように思える。「こうだ」と決めた道を突き進むーー。そういう覚悟だ。

小さく、ときには大きく、またあるときは少し後退しながらも、それぞれが思い描く未来へ一歩ずつ進んでいく。NPO法(特定非営利活動促進法)が阪神・淡路大震災を契機に生まれたように、法整備や制度確立などを成果の指標にすることは1つの手だろうが、それだけが「変わった/変わらない」の物差しではないはずだ。「変わった/変わらない」は、誰がどんな基準で評価するのか。世間の評価と、当事者の実感が必ずしもイコールになるわけでもないだろう。

そう考えると、”変わる”とは実に曖昧だ。考えてみれば歴史とは、そういう1人ひとりの意思と行動がつくってきた。薄紙を1枚ずつ重ねていくうちに、何かが変わり、それが当たり前になっていく。そんな重層的な地層の上に、”今”がある。

長い歴史の中でも、それまで以上に”分厚い”地層を何重にも積み重ねてきたのが、3.11後なのではないか。そして、今もその層は積み重なっていて、歴史を、社会を動かしている。東北は歴史の、社会の重要な一部として、これからも歩み続けるだろう。

この大型休暇に、福島第一原発周辺を回った。浪江町の請戸港から遠巻きに原発を眺め、あの日からの時間の経過に思いを馳せた。ただその場に立ち尽くすだけで、うまく感情を整理できない。3.11はこの社会の光と影を映し出し、今も現在進行形で「ある」ものだということを、改めて突きつけられたのだった。

“もう7年”でも、”まだ7年”でもなく、光と影が混在する、私たちが生きる社会や歴史の一部として、これからもあの場所を心のどこかに抱えながら、生きていきたい。

東北復興新聞 近藤快