【Beyond 2020(42)】地域を支える資金の流れ。東北初のコミュニティ財団の原点

公益財団法人地域創造基金さなぶり 専務理事・事務局長 鈴木祐司

1977年、千葉県生まれ。小学生のときに不登校を経験し、不登校支援のNPOで過ごす。1997年にアメリカの公益財団法人国際青少年育成財団の日本事務局に入局し、子育て・教育系NPOなどへの資金提供プログラムを展開。2011年4月に仙台に入り、避難所支援などに従事。同年6月に設立された一般財団法人地域創造基金みやぎの立ち上げに参画、2014年に公益財団法人化(名称も「さなぶり」に変更)

ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー

外部連携・協働の「実感値」を手にした

外への扉が開かれ、地域外との様々な連携が生まれた。これが、震災後の東北に根付いた大きな変化ではないか。東北には外からたくさんの「よそ者」と呼ばれるプレイヤーや企業などが入ってきた。そして、彼らと協働して次々と震災救援・復興のプロジェクトが立ち上がった。外部の資源をうまく活用し、連携すれば地域が変わるのではないか。手放しにはできないが、地域内外の力を活用することで変えられる。多くの人々が、そういう実感値を強く手にしたのだ。

震災後、市民参加のワークショップが東北各地に浸透した。

さらにその過程では、1人ひとりが主体性をもち、前向きに議論する機会も生まれた。老若男女が「復興」という1つのベクトルに向かって議論を交わす。そんな光景が各所で見られた。まちづくりなどに関するワークショップ、そこで使われる付箋や模造紙が、子どもから高齢者までこれほど多くの住民に浸透した地域は他にないだろう。

東北初、コミュニティ財団の誕生

東北に生まれた様々なプレイヤーを後押しし、連携の動きを加速させるためにも、それらを支える民間主導の資金仲介・助成スキームを確立する必要があった。そこで、せんだい・みやぎNPOセンターが立ち上げたのが、この東北初のコミュニティ財団である地域創造基金さなぶりだ。

コミュニティ財団は、助成の対象地域を地理的に限定する一方、助成先の活動テーマは限定せず包括的にカバーするのが特徴だ。規模の大きい財団などではフォローしきれない小さなニーズをすくい上げ、地域で使える資源を最大化させることが使命。そのため、企業やNPOだけでなく、より組織体の小さい自治会や町内会、市民活動なども積極的に助成している。

設立から2017年までに、計752件・約16億円の資金提供を実施。

私たちは設立から2017年までに、東京圏の企業や中小企業庁などから預かった約17億円の資金を仲介。地場の企業やNPOが行う比較的大型の案件から、仮設住宅や公営住宅の自治会が実施するコミュニティ形成支援など小口案件まで、計752件・約16億円の資金提供を行った。

例えば、南三陸町のタコ漁を復活させる「志津川タコ復興プロジェクト」、サントリーホールディングスと公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンと共に取り組んだ福島の子ども支援、三菱重工グループと共同実施している仮設住宅などでのコミュニティ支援などがある。

「成果型の資金」にするための支援メニュー

私たちの活動の本分は資金仲介と助成にあるが、単に資金提供をするだけではなく、「成果型の(変化を創出する)資金」としてより有効活用できるように、助成先に対して様々な支援メニューを用意している。

具体的には、事業計画の策定や会計処理の支援、成果評価、広報などだ。さらに、助成先の団体同士が情報交換するための研修やフォーラムを開催するなどしている。現場の人たちが目の前の課題に集中できる状況をつくり、支援の成功率を高めるためには、こうした伴走支援を行うことが重要だ。

課題を可視化するデータ収集もその1つだ。私たちは、「とうほく復興データプロジェクト」と銘打ち、各種データをまとめた冊子を発行。例えば、なかなか成果を表しづらい仮設住宅のコミュニティ支援。調査では、集会所の利用頻度が高い住民ほど将来の住居の見通しが確定しやすく、生活安心度が高いことなどを詳細な数字とともに報告している。活動の必要性をこうした定量的なデータをもとに示すことができれば、よりステークホルダーからの理解が得られ資金獲得につながりやすくなるはずだ。

また、地域課題が複雑化している今、申請書を作成できる特定の組織に助成するだけでは限界があるような課題に対して、行政や民間を問わず、複数組織の多機関連携型の枠組みを構築することも求められている。資金を提供する前から課題の定義、目標の整理、必要となる資金の見積もりなどの計画づくり・案件形成をしている。

地域資源を増やす面では、私たちは2016年2月、宮城県と河北新報社と子どもの貧困解消に向けた活動を後押しする「子どものたより場応援プロジェクト」に取り組んでいる。個人・団体からの寄付で基金を創設し、子ども食堂や学習支援などに取り組む団体に資金を助成する取り組みだ。このように今、新しい連携のかたちが生まれてきているのだ。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

資金活用の第3極が地域を変える

従来の民間の投融資資金と、税金を原資にした公的資金など「お金」の活用については、これから従来とは明らかに違う”第3極”の流れが地域を大きく変えていくだろう。

例えば、遺贈・相続の寄付だ。日本総研の調査によると、日本全国で相続される資産の合計額は37兆円以上に達する。ただ、相続が発生した際の金融資産は東北(青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島)の場合、首都圏を中心に25%以上が地域外に流出してしまっている(三井住友信託「家系資産の地域間移動」調査)。

また、相続人が不在の場合はその資産が国庫に帰属されるのだが、この金額も全国で毎年400億円ほどに上り、5年で26%も増加している。年間約700億円に上る休眠預金を、NPO活動などに活用する動きも進んでいる。つまり、相続をはじめ、各地域から都市部へ流出している資産を地域内で積極活用できれば、非常に大きな財源となる。そのための仕組みや制度づくりについて、今勉強会を開催するなどして検討を進めているところだ。

いわば、お金とアイデア、担い手の橋渡しと、地域資源の最大活用。こうした流れを加速させていきたい。これは、コミュニティ財団の重要な役割であり、大きなチャレンジだろう。社会的な期待感も感じている。それになんとか応えたい。

1人の小さな声を受け止める「踏み台」

地域で起こる課題の「発生」は、国会では取り上げられない。社会に顕在化して初めて、全国的な議論となる。ただ私たちは、発生直後の課題に立ち向かう初期の活動をどう支えるか。これが重要な役割でもあると思っている。

どういうことか。過去の例で言えば、児童虐待の問題がある。児童虐待防止法が成立したのは2000年。今では全国的な社会問題として認知されて久しいが、実はそこに辿り着くまでには長い歳月を要している。岐阜経済大学の勝田美穂教授の調査によると、その始まりは1987年、大阪で民間の勉強会が設立されたのがきっかけだったという。その後、全国的な研究会の発足や財団による研究助成などがあり、13年かけてようやく国会を動かし法制化された経緯がある。

資金提供だけでなく、研修やフォーラムを開催するなど幅広い支援を行っている。

どんな社会課題も、地域で「これはおかしくないか?」と感じた誰かが第一声を上げ、それが少しずつ市民やNPOの活動として地域へと広がるなどして、事態が変わっていくものだ。最近では、LBGT(性的少数者)の問題も当事者たちの小さな声が少しずつ集積され、ようやく世間の関心を集めるようになった。

ただ、そうしている間も当事者たちの困りごとは解消されず、悩みを抱え続けたままだ。政策提言と、現状への支援の両方が必要となる。だからこそ、水面下で見えづらい初期の段階から、誰かに相談できる体制を整えたり、状況の調査を行ったり、そういった活動を支える資源・資金を活用することが大切ではないか。それは前例にとらわれず、リスクを取れ、しかもコミュニティに向き合い続ける民間の私たちだからこそ担えるはずだ。たった1人の小さな声や気持ちを受け止められる現場を支える仕組みづくり。これが私たち存在意義だ。

同時に、私たちは「主体」ではなく、地域で何かアクションする人や組織を支える「資源」「踏み台」だ。日々、地域の困りごとや悩みを抱えている人と最前線で対峙しているのは現場だ。そうした中で、最後の最後に資金の問題が解決され、パズルの1つのピースがすっとはまれば、事態がドラスティックに変わることがある。私たちは、その可能性と選択肢でありたい。今や資金はどこから、どのような種類を得るのか、選択の時代に入っている。

地域を一番に思い、行動する存在として

私の活動の原動力。それは、1人の命をどうすれば救えるか、1人の困っている人をどうすれば助けられるか。根底にあるのは、こうした思いだ。そして、人の力を信じている。過去にも多種多様な地域毎の課題に向き合ってきた人々の歴史がある。今回の東日本大震災もそうだ。あれだけの凄まじい状況の中を一歩、また一歩とこの地域の人々は歩んできた。

小学5年生のときにいじめにより不登校になった私は、これまでいろんな人に助けられて生きてきた。暗闇のトンネルを抜けられずにいるとき、家族や友人、周囲の大人がそばにいて、背中を押してくれた。それでようやく、外の景色を見られるようになったという実体験がある。だから、私ができるときには可能な限り、困り事に力を貸す立場になりたい。バトンをつなぐ、そういう思いが強くある。

それともう1つ。阪神・淡路大震災や新潟県中越地震のときは、復興や地域づくりの過程でうまく自分のピースがはまらず動けなかった悔いがあった。でも今は、ささやかながら自分の経験が役に立っている実感がある。これらの思いを胸に秘め、行政や企業、NPO、住民などと一緒に、地域で使える資源を増やし、地域課題の解決に向けた取り組みを後押ししたい。

10年後も、20年後も、震災にも負けずに東北が魅力的な地域であり続け、人々を魅了する暮らしと景色を取り戻したと胸を張って言えるように。そしてそのとき、せめて、地域の人々には「さなぶりが地域にあってよかった」と言われるように。地域を一番に思い、行動する一組織として、1人でも多くの命と暮らしを変えるための現場の活動を、資金面から支えたい。そう強く願っている。それが、私の10代を支え、このセクターと東北に導いてくれた方々への、唯一の恩返しになると信じているから。