【Beyond 2020(41)】料理人が考える福島の「食」の未来

フランス料理店Hagi オーナーシェフ 萩春朋

1976年、福島県いわき市生まれ。地元でフランス料理店を開店。東日本大震災後、1日1組限定の完全予約制へと営業スタイルを変更。生産者とともに一般社団法人いわき6次化協議会(現・F’s Kitchen)を立ち上げ、代表理事に就任。加工品の開発や消費者との交流イベントを実施するなど、「食」を通して地域を活性化させようと様々な活動に参加している。2014年度、農林水産省「料理マスターズ」受賞。

ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー

忘れられない料理人としての悔い

僕は一体、何のために料理をつくっているのか。リーマンショック以降の不景気で客足が遠のき、いつ店が倒産してもおかしくないような状況。先が見えず、料理人としての存在意義すら見失いかねないような中で、あの震災は起きた。

今振り返っても、あのときの後悔はどうしても拭いきれない。僕自身は大きな被災を免れたが、避難所で食料にありつけないような人たちがたくさんいた。ふと店の冷蔵庫を見ると、1カ月分ほどの食材が残っていた。当然、あのとき来店客はまったくいなかった。料理人なのだから、その食材を使って炊き出し支援などができたはずだ。でも僕は、自分たちで食べる分を除いて、やむを得ずほとんどを廃棄してしまった。

料理人の存在意義とは、何だろうか。その悔しい体験から、僕の料理人としての人生は180度変わっていった。震災がなかったら、今の僕はいないだろう。

生産者が教えてくれた、料理人の役割

1日1組限定の完全予約制。店の営業スタイルを、がらっと変えた。これまで以上にお客様と真正面から向き合い、料理に愛情を注ぎ込む。それが、今まで支えてくれたお客様への恩返しになると思ったからだ。

扱う食材や提供の仕方も変えた。当日朝、市内の畑を訪ね歩き、いわき産の野菜を数多く使うようにしたのだ。今では食材の大半がいわき産か福島県産だ。料理を提供する際にも、食材ごとに生産者の思いを丁寧に説明するようになった。

農家・白石さん(左)との出会いが、料理人としての人生を大きく変えた。

こうしたスタイルが誕生したのには、生産者たちとの出会いが大きく影響している。中でも、野菜農家の白石長利さんとの出会いは運命的だった。震災当時はいわきの生産者しか知らなかったが、白石さんの紹介で福島県内にいる多くの生産者と知り合い、県全体の様々な食材を手に入れることができた。

生産者たちと一緒にイベントに参加する機会も増えている。

またそれ以来、そんな僕は生産者たちと一緒に福島県産の農産物を販売・PRする復興支援のイベントなどに同行するなど、彼らと交流を深めていった。次第に、そうしたイベントで僕が調理した料理も提供したりするようになっていく。

生産者との距離がぐっと近づくとともに、一次産業や地域づくりにおいて料理人が担える役割を、少しずつ自覚できるようになった。そうした意味でも、白石さんには本当に感謝している。

モノクロの町が、カラフルに見えるようになった

僕ら料理人と生産者の新しい関係を象徴する取り組みの1つに、協力して立ち上げた一般社団法人F’s Kitchen(旧・一般社団法人いわき6次化協議会)がある。

これまでに白石さんが育てた野菜を使った「焼ねぎドレッシング」などの加工品を開発してきた。”食べることをミーティングする”と題して開催している「eat meeting(イートミーティング)」は、生産者と料理人、そして消費者が集まって食事をしながら語り合うイベントだ。

「焼ねぎドレッシング」など生産者と協力して加工品を開発。

生産者と料理人が協力して「食」や地域を盛り上げようというコミュニティは、今までなかったものだ。同時に、1人の料理人ができることは小さくても、生産者をはじめ地域の人たちの気持ちが結集すれば、大きな力になる。僕は今、そんな手応えをかつてないほど感じている。

3.11の瞬間、「もう住めない」などと言われた福島の町の景色が、僕にはあのとき、モノクロに見えていた。でも今は、いろんな人の顔が浮かんでくる。カラフルに、まぶしいくらい福島が光り輝いて見える。同時に、福島への帰属意識も芽生えた。もちろん震災前から”福島県民”だったわけだけど、住所を書くときに”福島”と書く。その程度の意識しかなかった。でも今は、”福島にいる”ことを強く実感できるようになった。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

福島の「食」を全国に広げる

F’s Kitchenの「F」には、「Fukushima(福島)」「Future(未来)」「Family(家族)」「Farmer(農家)」「Fisherman(漁師)」などいろんな意味が込められている。福島に住んでいる人だけでなく、ゆかりのある人が「Kitchen」を通して交流し、次々とつながっていく。僕たちは、そんなイメージを膨らませている。

「eat meeting」では、生産者と料理人、それに消費者が交流する。

メンバーは現在、生産者と料理人がそれぞれ10人ほどへと徐々にコミュニティが広がっている。個性的な生産者に負けじと、表舞台に立とうとする料理人も増えてきた。今後もじわじわと仲間は増えていくだろう。「eat meeting」をはじめとするイベントも、そのうち東京など県外でも積極的に開催し、福島やいわきの「食」の盛り上がりを全国にアピールしていきたい。

もうこの活動を止めることは誰にもできないだろう。それほど僕は、料理人であることに生きがいを感じている。つまり、今ここで生まれている「食」のコミュニティが刺激的で、それが地域を活性化させることに大きな希望をもっているのだ。

福島を”おいしい町”で活性化させる

「人口」は、”人の口”と書く。だから僕はこう考える。おいしい料理や楽しい食事が、その分だけ人口を増やすのではないか。つまり、”おいしい町”こそ地域が活性化し、そこに住む人たちが生き生きと過ごせるのではないか。

いわきや福島には、すばらしい生産者と食材がある。彼らが育てる食材を僕ら料理人がうまく生かして、”人の口”を満足させられれば、地域の人は喜ぶだろうし、市・県外からもその味を目掛けて多くの人がやってくるだろう。「食」は、出会いのきっかけになるのだ。

店のコンセプトは”オール福島産”。このメニュー「福島地豆」は相馬の毛ガニ、いわきの大豆、菜の花、スナップエンドウを使用。

また、生産者や料理人が地域の中で活躍する姿を率先して見せることは、地域の子どもたちにとっても自信になると思う。特に震災と原発事故後は、風評被害もあり農家や漁師になることに夢を描きづらくなっているのではないか。でも、僕らの姿を見ることで、生産者や料理人になることを夢見てくれるような子が少しでも出てきてくれたら嬉しい。

”食の都・福島”を目指して

福島の食材や料理は、どこか”あたたかい”ように感じるときがある。なんというか、作り手の”意思”が伝わってくるんだよね。

収穫した野菜や釣れた魚を一時的に扱ってもらえなくなった一次生産者たちは、そんな逆境下でも福島で息をして、野菜を育て、魚を釣ることを自ら選んだ人たちだ。同時に、これまでは当たり前に思っていた福島の「食」の魅力を見つめ直し、その可能性に希望を抱いていることだろう。

10年、20年先に、僕がつくりたい未来。それは、”食の都・福島”だ。美食都市としてはスペインのサンセバスチャンが有名だが、福島もこの地オリジナルの”食の都”になる可能性を秘めている。

僕たち料理人には、”宝”がある。福島の生産者たちのことだ。震災前は、誰が何をつくっているのかわからなかったため、”宝物”がありながらも、そうした食材を扱うことができなかった。ただ、震災後は多くの生産者がメディアでも取り上げられ、彼らの存在が可視化された。そして今、福島の生産者と食材の価値を知り、それらに自信と誇りをもつようになった。

僕たち福島の料理人は、県内の生産者とタッグを組んで料理をつくることができる。素材は揃っている。この地でしかとれない食材を使った、ここでしか食べられない料理を提供する”食の都”となり、地域の人たちもそのことに自信と誇りをもてるようになる。震災で一度どん底に突き落とされた場所だからこそ、みんなで力を合わせて、そんな福島の未来をつくっていきたい。