【Beyond 2020(40)】震災ツーリズムが生んだ「to be」への社会変化

岩手県北自動車株式会社 副社長付マネジャー 柴田亮

東京都出身。早稲田大学卒業後、三菱東京UFJ銀行、三菱UFJリサーチ&コンサルティングに勤務。その後、株式会社経営共創基盤で東北地方のバス・旅行会社の経営支援に携わる。東日本大震災後、支援先だった岩手県北バスグループとボランティアバスツアーの企画や、大手企業の復興支援活動のコーディネートなどに奔走。復興庁非常勤政策調査官、岩手大学特任准教授などを経て現職。一般社団法人新興事業創出機構(JEBDA)フェロー。

ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー

「to do」から「to be」への意識変化

2011年3月11日を境に、多くの個人や企業が、「to do」(何をすべきか)ではなく「to be」(どうあるべきか)を意識し、これまでの規範や枠組みを取り払って行動する姿が目立つようになった。

震災後、当時経営支援に入っていた岩手県北バスは、まだ世間では自粛ムードが覆っていた2011年5月に東北の桜を見にいくツアーを企画し、「行って、見て、応援する」をテーマに首都圏から多くの人が参加した。批判もあったが、現地を元気づけることもでき、旅行に関わる事業者としてのあり方を強く意識できた。

また、県北バスとは一緒に被災地へのボランティアバスツアー、雑誌とタイアップした被災地見学・応援ツアー、主に首都圏の大手企業を対象にした被災地の研修ツアー及び支援活動のコーディネートにも力を入れてきた。震災後の2年間で企業や団体を含め、国内外から延べ3万人ほどが参加してくれた。

これらのツアーでは、単に瓦礫を撤去して終わりではなく、震災の困難の中でも未来を見据えて行動するリーダーとの交流を意識した。彼らが見据える未来をツアーの参加者が共有することで、繰り返し被災地を訪れたり、協働が生まれたりすることを期待した。

しかし、一番大きな変化はツアーに参加した企業の社員の変化であった。被災地で葛藤しながらも奮闘する人々に触れ、自然と自分に置き換えて考えるようになる中で、「自分にとって本当に大切なものが何か」「今置かれている環境の意味は何か」などを考えざるを得なくなり、冒頭の「to do」から「to be」への意識変化が生まれていたように感じる。このような、いわば「復興ツーリズム」には人や組織のマインドを変える力があると確信した。

大手の企業が被災地から学ぶこと

企業における「to be」への意識変化を目の当たりにした最たる事例で、特に印象に残っているのが、プラント設備やコンサルティングなどを手がける千代田化工建設のおらが大槌夢広場や陸前高田の長洞元気村へのボランティア及びスタディツアーだ。

千代田化工建設のスタディツアー。

現地リーダーたちの姿に触発され、議論が白熱。

当初、ボランティア活動をするつもりだった多くの社員は、現地の人々の行動や、コミュニティに残されている人間同士の強いつながりと一体感、その裏にある強い想いに圧倒され、むしろ自分たちのあり方を強く問われていると感じたようだ。「長期で持続的な交流が必要だ」「彼らと一緒に新しい社会をつくりたい」「そもそも、私たちの会社は社会にとってどんな役割を果たせるのか」といったような議論が自然と湧き上がったのだ。それ以来、同社の訪問は今も続いている。千代田化工建設に限らず、県北バスグループの被災地ツアーで「to be」を捉え直した企業が少なくない。

釜石市唐丹町での日立ソリューションズの活動も似たような取り組みとして紹介したい。私は当時、地域を支える新しい水産加工会社を創業した社長と、同社を引き合わせるコーディネートを担当した。

日立グループの釜石市での活動は今も続いている。

日立ソリューションズはそこで、漁協のホームページ制作や水産加工業者の業務システム改善など、ITのノウハウを復興支援に生かす活動を行った。両者の関係はその後も長く続き、2016年には地域活性化に関する連携協定を釜石市と締結することにつながっていった(親会社の日立製作所として取り組んでいる)。これも、日立ソリューションズが自社の社会におけるあり方、つまり「to be」を自問自答する中で生まれたものだろう。

CSRとCSVの真髄を体感した

こうした活動は、「CSR」や「CSV」などと一言でまとめられがちだが、それを東北の現場に入ることで単なる看板としてではなく、現場感と実感値をもって理解できたことは大きかった。

震災前は「企業の使命は儲けること」「企業は株主のもの」として、CSRは単なるコストとみなしたり、CSVは儲けるための一手段という意見もまだまだ多かったように感じる。しかし震災後は、企業の事業のあり方を規定する軸としてCSRやCSVをみなし、「世の中や社会の一員として何ができるのか」を第一義に追求する企業が増えた。言い換えれば、稼ぐことは「目的」ではなく、社会的なミッションや理想の社会を達成するための「手段」であると整理されてきたと思う。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

東北のコンテンツは「人とコミュニティ」にある

私はこれまで長く企業コンサルなどに関わってきたが、組織や人材育成を促すうえで最も可能性と価値を感じたのが、被災地へのボランティアや研修ツアーだった。

東京の研修所では「How to」を知識として学ぶことはできても、行動変容につながるマインドセットの変革は難しい。ところが、被災地で地域にどっぷり浸かった人は自ずとその変化が生まれている。これは大きな価値だと思う。また、被災地の元気なコミュニティに触れることで、人や家族とのつながりを考えるきっかけになり、組織の危機対応力や組織文化の重要性を学ぶこともできる。

私は、「人」にフォーカスした「ヒューマンツーリズム」と、「コミュニティ」にフォーカスした「コミュニティ・ベースド・ツーリズム」としての復興ツーリズムを、東北独自の観光コンテンツとして成長させたいと思い続けてきた。

「観光」といえば、富士山や京都の風情ある町並みなどが観光資源と考えられがちだ。ただ、「自分を見つめ直す」「次の一歩を踏み出す」。そんな風に見聞を広げたり、成長するきっかけになるようなツーリズムのニーズは、これから高まっていくだろう。東北が、そうした価値を発信することは、他の地域と差別化する意味でも重要と考えている。

一方で、一部の観光事業者のみが儲かり 、地域コミュニティは割に合わない受入対応や観光公害ばかり押し付けられるような“消費される観光地”には発展性や持続性がない。コミュニティ全体が誇りをもって来訪者を受け入れ、提供する価値に見合った対価を得られる仕組みづくりも重要になってくる。

そうした中、2016年に県主導で観光地域づくり推進法人の三陸DMOセンター(公益財団法人さんりく基金)が立ち上がった。DMOはDestination Management / Marketing Organizationの略称で、「観光地経営」の視点に立った観光地域づくりの舵取り役のことを指す。三陸DMOセンターは沿岸部の13市町村を対象エリアとし、地域一体で観光を盛り上げようという取り組みだ。修学旅行生や企業社員などをターゲットにした復興ツーリズムの振興も、取り組みの1つに据えている。

また岩手県北バスグループとしても、新たに「復興ツーリズム推進協議会」を立ち上げ、被災地を巡る子ども向けの学習ツアーなどに取り組んでおり、今後は様々な連携が展開されるだろう。

3.11の教訓を東南海トラフエリアの事前復興に

震災学習や防災学習も次のフェーズに進化する必要性を感じている。岩手県では災害公営住宅の9割近くが整備された。復興の状況は人ぞれぞれで、自治体や事業者は未だ人手不足の中で奮闘しているが、改めてこれまでの復興過程を冷静に振り返ることができるタイミングが来ている。

例えば、三陸沿岸部を埋め尽くしている防潮堤、住民が戻らず空き地が目立つ中心市街地、地域の風土・景観や生活習慣に十分考慮する時間がなかった災害公営住宅、仮設住宅を出た後のコミュニティの喪失。本来はコミュニティや被災者の尊厳と主体性を大事にしないと、建物の復興ができても地域に活気が戻らなくなる。被災地の現場を見てきて、震災前からコミュニティと自治体の対話ができていればと思うことは少なくなかった。現場の尽力には最大限の敬意を払うべきだが、不十分な情報や想定で計画された復興の進め方について、今後の大災害に向けて改善の余地はあると思う。

ボランティアツアーでは柴田さん自身も現場をガイドした。

災害は再び発生する。防災だけではなく、その後の復興過程も見据えた事前の準備が重要だ。東南海トラフ地震・津波を筆頭に、今後の大災害が予想されるエリアは、その後の復興プロセスを東日本大震災の被災地から学ぶことが有益だろう。同時に、自治体職員だけでなく、住民や町内会などのコミュニティが訪れるのがいいだろう。防災とその後の復興への対応は自治体だけでなく、住民コミュニティが主体的に行うことが大事になるからだ。三陸沿岸部のコミュニティと語り合い、継続的に交流することで、望ましい未来がどこにあるのか、そのためには何が必要なのか。そうしたことを体感できるからだ。

2019年に岩手県で開催される「三陸防災復興博」は、全国からの支援に感謝し、前進する三陸の姿を見せることに重点を置いている。大切なことではあるが、私は敢えて後ろもしっかりと振り返り、課題や失敗もさらけ出したうえで復興の本当の姿を東南海トラフの被災想定地域に伝えるべきだと思う。それは、多くの支援と税金の投入を受けた、東北に生きる私たちの社会的使命であると感じている。

八幡平でDMOのモデルをつくる

AI(人工知能)やロボティクス、シェアリングエコノミー。テクノロジーの進化によって、これから世の中の地殻変動はさらに激しくなるだろう。だからこそ、ますます「to be」、つまり企業も個人も「あり方」が問われるようになるはずだ。

私たちのようなバス会社にとっても、自動運転が普及していけば公共交通そのもののあり方が変わってくる。脅威と捉えるのではなく、むしろ積極的に取り入れながら、進化していくことになる。単に「バス会社」と認識するのではなく、地域の中でどんな「モビリティ」(移動性、移動手段)を担えるのか。個別の事業・サービスの利便性向上に取り組む一方で、そうした俯瞰した視点がますます必要になるだろう。そのうえで、従来の枠組みにとらわれず、新しい領域にもどんどんトライしていくべきだと思う。

私自身は一時、東北の観光振興を政策や学術的観点から学び、後押ししようと考え復興庁や岩手大学に勤務した時期があった。そして今、再び現場に戻って汗をかいている。

現在は八幡平市のDMOに注力。海外とのネットワークも広げている。

今力を入れているのが、八幡平市のDMOの構築だ。八幡平は県内随一の観光地で、外国人観光客も多い。そこで、2017年から市や観光地域づくりを行うクレセント(盛岡市)などの民間企業と連携し、DMOを設立するための準備を進めている。2018年4月に組織を立ち上げて、観光プログラムの企画やプロモーションなども実施していく計画だ。

まずは、地域の事業者に受け入れてもらうために、八幡平の観光事業者のニーズに応えたサービスの提供に注力する。いずれは、東北ならではの「学び」の場に多くの人に来てもらい、東北の観光も成長する。そんな将来に向けて、チャレンジし続けるつもりだ。