【Beyond 2020(32)】復興の先へ。地域の未来を共に育むキリンの挑戦

キリン株式会社 CSV戦略部絆づくり推進室 地域創生担当専任部長 野田哲也

名古屋市出身。1982年キリンビール入社。2011年7月に発足した「復興応援 キリン絆プロジェクト」を担当。CSV推進部絆プロジェクトリーダーなどを経て、2017年4月から現職。同プロジェクトは3年間で約60億円を拠出。特に本業との関連が深い農業と水産業では、岩手・宮城・福島各県のプロジェクトに助成。東北での活動経験を生かし、七尾市や長岡市、佐世保市などで「食」を軸にしたまちづくり・地域活性化も推進している。

ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー

90件を超える農業・水産業プロジェクト

東北は、キリンにとって最大の勉強の場所だ。現地の人たちからよく「ありがとう」と感謝されるが、震災復興の活動で一番勉強させてもらっているのは、間違いなくキリンだ。そう断言できる。この経験がなければ、私たちは「食」を支える一次産業の実態をこれほど知ることはなかっただろうし、キリンの存在意義を真正面から捉え直すこともなかっただろう。

私たちと東北の縁は、2011年7月に立ち上げた「復興応援 キリン絆プロジェクト」から始まった。「地域食文化・食産業の復興支援」「子どもの笑顔づくり支援」「心と体の元気サポート」を対象に、3年間で総額約60億円を拠出する内容だ。特に岩手・宮城・福島の主要産業である農業と水産業の支援は、その後長く続くことになる中心的な活動だ。

女川町では水産物のブランディングを支援

釜石市の事業者が共同開発した「釜石海まん」

地域ブランドの育成、6次産業化による販路拡大、リーダー・担い手の育成支援の3つのテーマで助成などを行ったプロジェクトは多岐にわたる。例えば、宮城県女川町で水産物の商品開発やブランディングなどを行っている女川ブランディングプロジェクトや、岩手県釜石市で海鮮中華まんじゅう「釜石海まん」をはじめ事業者が連携して商品開発を行う「釜石オープンキッチン」プロジェクトなどがある。

農業・水産業の支援事業はこれまでに合わせて90件を上回る。どれも単に助成するだけではなく、口うるさく「具体的に何をやるのか」を徹底的に議論し、プランを実行できない場合は返金していただくようにもした。ただ一方で、やる気のある人たちには販路のマッチングなど徹底的にハンズオン支援を行うのが特徴だ。

一次産業が変わる歴史的な変節点

東北の農業と水産業には今、新しい血が流れている。若手を中心に、震災という逆境をバネに生まれ変わろうという気概が広がっているのだ。

残念ながら農業も水産業も、仮に震災がなかったとしても、既に厳しい環境の中で先が見えない状況にあった。それが、震災によって後継者不足などの課題が如実に浮かび上がってしまったのが東北の現場だった。

そうした危機的状況に直面したことで、「自分が生きている間だけ飯が食えればいい」という発想から「おれたちの代でなんとかして後世へつなげよう」という未来志向の発想が芽生えた。私は常日頃からこの危機との遭遇を「無駄にしてはいけない」と伝えている。「東北の一次産業が生まれ変わった」。この震災は将来、歴史的な変節点としてそう語られることになるだろう。

石川県七尾市で若手生産者と料理人らが手を組んで結成した「能登F-F Network」

私たちはここで生まれた新たな胎動を、全国の他の地域へ横展開している。キリンが東北で学んだ、「食」を通じた地域活性。このノウハウを、同様に過疎化や産業衰退などに直面している地域でも生かし、社会課題を解決しようという試みだ。例えば、石川県七尾市では若手生産者と料理人が中心となり「能登F-F Network」を結成し、全国の料理人・レストランとのコミュニティづくりを進める「Third Kitchen Project」が動いている。

東北の場合は「復興支援」が大義名分だったが、これは地域課題を解決するためにキリンに何ができるのか。そうした思いが、根底にある。

地域がなければビールは売れない

私たち企業は、”たかが企業”だ。人が息をして、ご飯を口にし、ビールを飲んでくれているから成り立っているだけのこと。どんなに”いい商品”をつくって”いい広告”をしようが、人や地域がなければビールは売れない。つまり、地域あってこその企業なんだ。

現代は、高度経済成長期のようにモノをつくれば次々と売れる右肩上がりの時代ではない。「売上・利益を上げろ」「シェアを伸ばせ」の号令ばかりで成長が望めるだろうか。それでは、社員をはじめ組織も疲弊してしまいかねない。では、本当にお客様から必要とされる企業とは何だろうか。

東京のど真ん中にいると”ビールがすべて””ここで勝ち抜くんだ”など自分が主語になりがちだが、多くの生活者にとってはビールは極限られたシーンで消費するものだ。私たちは東北をはじめとする地域で多くの時間を過ごす中で、視野が広がった。ビールや清涼飲料を製造・販売するドメインから、キリンは社会や地域から見たときにどういうポジションにあるのか。つまり、社会・地域から見たキリン。そうした視点を見つめ直すことができたのだ。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

世界から見た”新しいふくしま”

震災から7年が経とうとしている。私の目から見て顕著な変化を感じるのは、福島の一次産業だ。原発事故の影響が大きい福島は、岩手と宮城に比べて復興が遅れ気味だ。ただ、ここ1〜2年で農家や漁師たちの一体感を強く感じるようになってきた。原発事故による風評被害。この社会課題にどう立ち向かっていくべきか。そうした共通意識がいよいよ高まり、一次産業全体で同じベクトルへ向かう動きがクリアに見えてきた。

キリンはこれまでも、いわき市の生産者と料理人がチームを組んで発足した「F’s Kitchen」や、相馬双葉漁協協同組合6次化推進協議会がオリジナルの加工品を開発する「浜の漁師飯 浜の母ちゃん飯推進プロジェクト」などに一緒に取り組んできた。さらに、2017年7月には福島県と連携協定を結び、県主導で進めている一次産業のプロジェクト「ふくしまプライド。」について販路拡大や人材育成、PRなどで協働している。キリンが工場を置いていない都道府県と協定を締結するのは初めてのことだ。

いわき市でも生産者と料理人がタッグを組み、「F’s Kitchen」が発足(写真はシェフのレストラン)

「福島は観光地(ダークツーリズム)化するしか道はない」。チェルノブイリ原発を視察した知人が、現地の人からこう言われたそうだ。産業再生は難しいのだから、ダークツーリズム化すべきだ、ということだろう。私はこれを聞いたとき、「それは違う」と思った。

確かに、いまだに故郷に帰れず避難先で暮らしている人はたくさんいる。県沿岸部の水産業も試験操業が続くなど、課題は少なくない。でも私は、福島の一次産業が原発事故を乗り越えられると強く信じている。「そんな考えは甘くて青臭い」なんて言われるかもしれない。でも、どうしてもあきらめたくないんだ。

「浜の漁師飯 浜の母ちゃん飯推進プロジェクト」で商品開発に挑戦する浜の人たち。

つい最近、相馬沖で水揚げされたヒラメがタイに輸出された。原発事故後、県産水産物の輸出は初めてのことだ。このように、海外市場をどんどん動かして、世界から見た“ふくしま”の印象をポジティブに変えていく。その結果、日本の流通市場も広がっていく。こうした考え方と戦略も、有力なオプションの1つになるだろう。

“新しいふくしま”をつくろう。そうやって必死に生きている人たちを私は見てきた。最も厳しかったところからここまでやってきて、ようやく明るい光が差し込んできたのだ。彼らが描く夢を、誰が否定できるだろうか。私は微力ながら全力で応援したい。その1点だけは、絶対に譲れない。

地域社会のクラスターの一員になる

私たちはキリンは、”地域から必要とされるブランド”でありたい。社会や地域、お客様から「未来を共に育んでくれる企業・ブランド」と言われること。それこそ、地域社会におけるキリンの役割ではないか。少なくとも私は、そう思っている。

そのためにも、特に地域では新しい営業スタイルを模索するべきではないか。それは、地域課題を解決するクラスター(集団)の一員になることだ。行政やまちづくり会社、NPOなどで構成するクラスターの中にキリンのメンバーが入り込み、キリンのリソースを地域課題の解決に役立てる。そういうスタイルだ。

人もお金も都市部に集中する中、これまでのように競合メーカーとの飲食店・量販店の争奪戦ばかりでは、みんなが疲弊するだけだろう。例えば、地元のスーパーマーケットチェーンで地元産品を扱うコーナーを一緒につくるなどして地域課題の解決に取り組む。地域に必要なブランドになるとは、そういうことだと思う。

特に、若い社員にはこうした地域の課題に直に触れる経験を積んでもらいたい。震災後、経済団体経由を含め多くの企業が被災地に社員を送り込んだ。それを踏まえ、行政やNPOに一定期間若い社員を出向させ、地域課題に取り組むクラスターの一員になってもらう。この経験は、きっと彼らのキャリアアップにつながるだろう。キリンが得られるメリットも大きいはずだ。

一方で、キリンが営利企業である以上、「こうした地域活動よりも、売上や利益を上げるためにリソースを注いでほしい」という声が一部のステークホルダーから上がってくるのは当然である。言うまでもなく、日々の業績をつくり上げることは大事なことだ。私たちも東北をはじめとする地域での活動が業績拡大につながることを目指しているが、それを短期間で定量化することは難しい。

売上アップはあくまで「結果」だ。「キリンがこの地域に必要だ」。そうしたお客様の共感なくして、シェア拡大はないだろう。もっと中長期の成果にも目を向けるべきではないか。私たちの活動は、ゆくゆくはキリンの血となり肉になると信じている。

所詮はサラリーマン、でも…

東北になんの縁もゆかりもなかった私だが、震災復興の仕事をする中で、地域のありがたみや、人と人の絆の大切さをこの歳になって味わう経験をさせてもらっている。これは大変ありがたいことだ。

私なんて、所詮はサラリーマンだ。東北には、大企業をやめて現地へ飛び込み起業した人や、Uターンして地元のために汗をかいている人が大勢いる。一般企業の社員が震災復興の仕事を担当するのと、彼らのように退路を断って人生をかけるのとでは、覚悟が全然違う。人生をかけて社会課題に挑む彼らを、僕は心の底から尊敬している。

「震災のせいで何かできなかった」ではなく、「震災のおかげで、これができた」。震災後の文脈をポジティブに変えていくことは、今を生きる私たちの使命だろう。あのままだったら厳しい状況を脱することができなかったかもしれない東北の農業と水産業が元気になり、日本全国、そして海外からも高く評価されるようになること。それが、震災で犠牲になられた方々や支援・応援してくれた世の中への恩返しだと思う。私もそのために、現場で人生をかけて生きる人たちの挑戦を、全力で後押ししていきたい。