【Beyond 2020(31)】ap bankはなぜ東北へ行くのか。51日間に及んだ芸術祭を終えて

一般社団法人APバンク / kurkku alternative 代表取締役社長 江良慶介

1999年、慶應義塾大学を卒業。外資系IT企業に勤務後、2005年に一般社団法人APバンク(以下、ap bank)がコンセプトプロデュースするkurkku(クルック)に入社。2007年、インドで農薬被害に苦しむコットン農家のオーガニック農法への移行を支援する「プレオーガニックコットンプログラム(POC)」を伊藤忠商事と共同で立ち上げる。東日本大震災後は、津波被害で稲作ができなくなった農地にコットンを植え、雇用創出と地域再生を目指す「東北コットンプロジェクト」を発足させ、事務局代表を務める。ap bankの復興支援担当も兼務し、義援金の募集やボランティアの派遣、各種イベントの企画・運営などに携わる。2014年、コットン事業を分社化して設立したkurkku alternative(クルック オルタナティヴ)の代表取締役社長に就任。

ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー

弱肉強食の資本主義を別の角度から眺める

巨大な揺れが大地を襲い、津波が町を飲み込んでいく。まるでフィクションのような現実が降りかかったあの日。自然の脅威を目の当たりにした僕らは、今までの価値観を地中の奥底から揺さぶられた。そして、日本中の人たちが大なり小なりこう考えたはずだ。「自分は今、どこに立っているのか」「自分にとって大切なものは、何だろうか」と。

あの直後から、多くの人が居ても立ってもいられず、被災現場へ向かった。そこに広がっていたのは、信じられないような悲惨な光景だった。ただ同時に、人と人とが助け合い、「誰かの役に立ちたい」と行動する姿もあった。人が出会い、「東北のために」と共通のストーリーを共有し、肩を組んで前へ進もうとする。そういう力が漲っていたのだ。

それは、弱肉強食の資本主義や過剰な競争社会の中で、僕らの普段の生活から薄れてしまっていたものではなかっただろうか。震災によって価値観や立ち位置が揺さぶられた結果、僕らは今生きている社会を別の角度から眺める視点を手にした。そして、「大切なもの」や「新しい世界」を探し出そうという機運が生まれた。

一言で言えばそれは、これまでとは異なるオルタナティヴな価値観の広がりだろう。僕たちはあの日を境に、「3.11後」という新しい歴史を刻み出したのだ。

津波跡の農地をコットンで再生

例外なく僕自身も、自分の立っている場所や生きている世界を、一度根底から崩されたような感覚に陥った。

僕は震災前から、ap bankがコンセプトプロデュースするkurkku(クルック)に在籍し、伊藤忠商事と共同でオーガニックコットンを普及させる「プレオーガニックコットンプログラム(POC)」に取り組んでいた。

宮城県名取市の農地に一面に広がるコットン。収穫量は毎年増えている(撮影:中野幸英)

震災後は、POCで活動を共にするアパレルメーカーなどと協力し、津波による塩害で稲作ができなくなった農地にコットンを植える「東北コットンプロジェクト」を立ち上げた。現地の雇用を生み出し、農業を活性化させる目的からだ。5年目の2015年度には、宮城県名取市などで路地作付面積が160a(アール/1a=100㎡)、収穫量は過去最大の550kgに到達。このコットンを使った衣服などのオリジナル商品も、数多く販売してきた。

地域住民やプロジェクトメンバーによる収穫作業。順調に育ったコットンに歓声が上がる(撮影:中野幸英)

また、ap bankでも復興支援活動「ap bank Fund for Japan」が立ち上がり、義援金の募集や現地での炊き出し、ボランティアの派遣などを行ってきた。2012年には有名アーティストが多数参加する音楽イベント「ap bank fes」を仙台市で開催した。

震災とその後の復興支援の動きを経験する中で、僕は何を大切にして生きるのか、どんな場所に根ざして働くのか。ゼロベースで改めて考えさせられたのだ。

「共感」をベースにした3.11後の社会

未来の子どもたちは、学校の授業で歴史の教科書を手にしたとき、「3.11後」という文脈で起こった様々な社会の変化を学ぶことになるだろう。

例えば、消費意識の変化だ。商品やサービスの作り手である企業と広告代理店、メディアがタッグを組んで大々的にプロモーションを仕掛ける。そうしたロジックで消費を刺激できた時代は、もう過去のものになりつつある。

ap bankによるボランティア派遣人数は2011年9月までに延べ約1450人に達した(写真は石巻専修大学に設置した仮設テント)

それに代わって今広がっているのは、「共感」を得られるような消費だ。企業は「なぜそれを売るのか」「どんな社会的意味合いがあるのか」といったモチベーションを問われるようになってきている。

震災後の「東北を応援するため」という購買動機こそ時間とともに随分と薄れたが、それは「手作りで安心・安全なものを」「地域活性につながるなら」「農家や漁師を応援するため」などと形を変えて社会に定着してきている。こうした消費意識や商品の選び方の変化は、明らかに震災後の文脈で加速した感覚がある。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

東北は出会いが生まれ、レゾナンス(共鳴)する場所

震災が新しい時代への転換点だと考えると、おのずと東北は「スペシャルな場所」と捉えることができる。僕はそんな東北を東京などの都市に比べて「すごく出会いがある場所」と言っている。

都市に比べて、地方にはそもそもアイデアや人が自由に動ける余白がある。そんな中、震災を通じて「復興」の旗印の下に人が反応し合い、クリエイティブな力が芽生え、それが社会に大きなインパクトを与える。「何か新しいものが生まれるのではないか」。そういう磁力を身にまとった場所になっているようにみえる。それは少なくとも、ガチガチのルールに縛られ、余白の少ない東京の会議室からはなかなか生み出せないようなものだろう。

海のそばに展示された芸術作品をバックに、ミュージシャンが音楽を奏でる。

2017年夏、宮城県石巻市の中心街と牡鹿半島を舞台に開催した芸術祭「Reborn-Art Festival」。「アート」「音楽」「食」をテーマに、国内外のアーティストが震災をモチーフに製作した作品を展示し、地域住民が地元の食材を使った料理をふるまい、ミュージシャンが音楽を奏でる。51日間にわたる開催期間中、来場者数は目標の20万人を大きく上回る延べ26万人に達した。

食堂「はまさいさい」。地元の食材を使い、住民らが調理・接客している。

イベントの最大の目的は、「場づくり」と「レゾナンス(共鳴)」だった。地元の高齢者や子ども、市・県外から訪れる参加者、アーティストやミュージシャン。様々なバックグラウンドと個性をもつ人々が集うことで化学反応が起き、それが地域に根付いたり、外へ伝播していく。

僕らは「レゾナンスする」と表現しているが、震災を経て、ここであちこちに見られた生命力のかがやきのようなものがいくつも共鳴することで、新しいムーブメントが生まれる場所になってほしい。

新しい消費とライフスタイルは、もっとクリアに見えてくる

今この社会で起きていることは、旧来の価値観や社会システムの「行き詰まり」と、新しい時代への「過渡」だろう。

消費もその1つだ。僕らはオーガニックコットンを普及させるプロジェクトを2007年から行っている。当初は国内のオーガニックコットン消費量の1/3ほどを僕らが扱っていたが、今やその量はほんの一握りだ。それほど消費量と参入企業が増えてきている。今、「無印良品」は原則すべての布製品にオーガニックコットンを使用している。当初は考えられなかったような変化だ。まだまだ市場シェアは低いが、この変化は決して小さくない。

他の業界に目を転じても、例えばトヨタ自動車は2030年までにEV(電気自動車)などの電動自動車の(グローバルの)販売台数比率を50%以上とする目標を発表している。再生可能エネルギーの市場も急速に拡大していくだろう。

こうした動きはほんの一端に過ぎない。世界的にサステナブル(持続可能)な経済活動が活発になっていく。行き過ぎた資本主義の行き詰まりと、新しい消費と経済の広がり。僕らはまさに今、その過渡期に立っているのだ。

ライフスタイルも、多様な選択肢が次々と出てくるはずだ。東京の有名な大学に入学し、大手企業に入社する。そんな階段式の人生をよしとする先入観はいまだに根強い面はあるが、一方で一流企業の歯車として生きるよりも、「こういう幸せがあるよね」と自分らしく生きようとする人も増えている。

地方暮らしは、その1つだろう。例えば地方でワイナリーをつくったり、そこにしかない自然や歴史を活かせば、こんなにハッピーに暮らせる。そういう実例が全国各地で随分と見られるようになってきている。

特に若い世代は、身の回りにある小さな幸せを志向する傾向が僕らの世代よりも強い。本来あるはずのない人生の説明書をなぞるように生きるのではなく、自分にとって心地のいい場所を貪欲に探したり、興味のあるものや得意なことを追求したり、そういう生き方にどんどんトライしている。近い将来、その姿はもっとクリアに見えてきて、今以上に一般的に語られるようになるだろう。

5%の市場シェアで景色は一変する

震災後に加速したオルタナティヴな消費やライフスタイルは、いつブレークスルーを迎えるのか。まだその到達点は見えてこない。僕たちが取り組んでいるオーガニックコットンをはじめ、1%程度の市場シェアをもつような商品やサービスは数多く生まれている。しかし、それが5%、10%になるまでにはまだ壁があるようだ。

例えば、価格だろう。オーガニックコットンの衣服で言えば、流通量が少ない分、ファストファッションには価格で太刀打ちできない現状がある。そうした産業構造をどう打破するかは課題だ。それと、社会に大きなインパクトを与えられるような成功例も必要だろう。そうすれば、流れは一気に変わるかもしれない。

そうした社会全体の流れと、余白があるからこそ生まれる東北からのうねりが折り重なるようにつながり、共鳴する。遠くない将来、そういうことが起こるタイミングがやってくるのではないだろうか。そこにはきっと、僕らが今まで見たことのないような社会の景色が広がっているはずだ。

あともう一歩のところまできている。もういくつかのパーツがはまれば、テコの原理でがらっと事態が動き出すはずだ。その瞬間は必ず訪れる。今を生きる僕らが、その動きをつくり出していけるはずだ。