【Beyond 2020(27)】リクルート社員が人生を変えた、気仙沼出向1400日の物語

一般社団法人気仙沼地域戦略 理事/リクルートライフスタイル じゃらんリサーチセンター 研究員 森成人

大阪市出身、関西大学卒業後の1999年にリクルートに入社。ケイコとマナブ事業部、ポンパレ推進部を経て、2013年4月から経済同友会を通じて宮城県気仙沼市へ出向。東日本大震災後に観光を主要産業に育てる方針を掲げた同市で、地元事業者らで結成された一般社団法人リアス観光創造プラットフォームに所属し、観光振興に取り組む。同友会傘下の企業で構成する「東北未来創造イニシアティブ」が次世代のリーダー・経営者を育てるために開いた「人材育成道場」にも参画、多方面で同市の復興・地域活性に携わる。2017年3月までの4年間にわたる出向生活を書き綴ったブログ「気仙沼出向生活」が市内外で話題に。2017年3月からは、観光振興を目的に新設された観光庁DMO候補法人・一般社団法人気仙沼地域戦略の理事を勤める。本業ではリクルートライフスタイルのじゃらんリサーチセンター(JRC)に所属し、研究員・アドバイザーとして全国各地の地域活性に取り組んでいる。

ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー

仮設住宅の畑作業から、すべてが変わった

木々が生い茂る山奥に、薄い壁を隔てただけの簡素な仮設住宅。2013年4月、僕は丸の内のビジネスマンとして「復興支援」の任務を背負い、見ず知らずの町・気仙沼へ送り込まれた。大阪と東京しか知らず、地域活性なんて右も左もわからない僕にできることは、何だろうか。現地で生活しながら、地元の役に立つ事業をつくる。でも最初の半年ほどは、仕事らしい仕事なんてほとんどなかった。役に立つどころか、仮設住宅では集団生活にうまく溶け込めず怒られてばかりで、ぶっちゃけ言えばただの足手まとい。すごくつらかった。

途方に暮れていたときに偶然、仮設住宅の住民の勧めで始めた畑作業。そして、日々の暮らしを綴ろうと始めたブログ「気仙沼出向生活」。気がつけば野菜をどんどん収穫できるようになり、「畑のブログを書いてる外人風のオジサン」と評判に。そうやって徐々に、町に溶け込んでいけたように思う。

気仙沼市は震災後、水産業と並んで観光を主要産業に育てる方針を決定。森さんはこのプロジェクトで中心的な役割を果たした。

そんな僕が出向生活の4年間で最も情熱を注いだのが、DMO戦略だった。DMOはDestination Management/Marketing Organizationの略で、マーケティングや戦略立案、プロモーションなど地域全体をマネジメントし、戦略的に観光振興を推進する組織・機能のことを指す。その立ち上げを見据え、行政や観光協会、商工会議所などと連携し、様々な観光プロジェクトを企画(詳細は「気仙沼市民から見たDMOの現在地」を参照)。そして2017年3月、念願の観光庁DMO候補法人として一般社団法人気仙沼地域戦略が設立された。これを中核に、これから観光による地域活性を加速させていく計画だ。

初めて気仙沼の地に降り立ってから約1400日。2017年3月、僕の出向生活は幕を閉じた。ここでの暮らし、出会いには本当に感謝している。言葉では言い尽くせないほど、多くのことを学ばせてもらった。一言で言えば、僕の人生と価値観は、ここですべてが変わったのだ。

お金をもらう「労働」から、人を助ける「傍楽(はたらく)」へ

働く意味や、自らの介在価値。僕は気仙沼で、そういう人としての根源のようなものを学んだ。

「働く」の語源は、「傍(はた)を楽にする」ことだと言われる。要は、他者を楽にするために働くのだ。それまでの僕はどうだったか。「なんぼ(お金を)突っ込んで、なんぼ儲けるか」の世界でずっと生きてきた。それは、お金をもらうための単なる「労働」ともいえるかもしれない。キャッシュ(お金)は、人が汗をかいた時間だ。大事なのは、どういう目的で、どういう風に人と人がつながり合ってキャッシュをつくっていくか。これが、仕事の本来的な意味合いだったはずだ。

市民企画の観光プログラム「ちょいのぞき気仙沼」では、様々な体験ツアーを企画・実施している。

丸の内のオフィスで働いて高い給料をもらっていても、何のために生きているのか。年齢を重ねスキルアップと昇級を繰り返しても、僕の代わりは他にもいるんじゃないか。ふとした瞬間に、そう頭をよぎることがあった。ただ気仙沼で見つけたのは、他の誰でもない僕だけの介在価値だった。ここで交わした名刺の数は2000枚を超える。この町の人たちに必要とされ、生活できたことが何より嬉しかった。

これまでの僕は、ビジネスアニマルとしての成長は語れても、何のために人は生きて成長するのか。そんなことは一度も考えたことがなかった。「傍楽(はたらく)」意味を知り、介在価値を見つけ、僕は生きる実感を取り戻したのだ。

「共感」で人とつながる新しい価値観

2011年3月11日、あの日を境に、そんな風にハッと何かを考えさせられた人がたくさん生まれた。一見すると豊かで何の不便もなさそうな都会はあの瞬間、ただのコンクリートジャングルでしかなかったことを見せつけられた。そして、「時間を削ってどうお金稼ぐか」ではなく、「何のために働くのか」「自分らしさとは何か」を探す。そんな新しい価値観と生き方が広がり始めた。まだ社会のマジョリティに至っているわけではないが、1つ確実に言えるのは、世代の変化だ。

僕たちの世代はいい大学、いい会社に入って、その会社の名刺が社会的地位の証だった。でも、特に今の若い世代はそうではない。「競争」や「勝負」に一喜一憂するよりも、「共感」で人とつながり、居場所をもつことに生きがいを感じている。この動きは、これからさらに加速していくだろう。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

DMO設立と”新たな市民証”「気仙沼クルーカード」

今、世間で盛んに言われているDMOによる地域活性。言葉だけが先走りし、その実態と仕組みは曖昧なように見える。それが僕の頭の中で、ストンと落ちる瞬間があった。

大きなヒントを得たスイスの観光都市・ツェルマットを視察。地域活性のキーワードは「地消地産」だ。

2016年春に視察したスイスのツェルマット。人口約6000人の小さな町で、平均年収は約1000万円。年間200万人泊を数える世界有数の観光都市だ。この町がいかに潤ったのか。それは、お金を外に逃さず、地元の資源をブランド化して外貨を稼ぐ仕組みをつくったからだった。人や資源の流出が続く地域が生き残るためには、地元の人がポリシーをもって地元のモノを買い、地元で消費を回し、外にお金を逃がさない。さらにそれをブランド化して、外の人に買ってもらう。この「地消地産」を徹底的に繰り返すことが必要。それが「豊かさ」につながることに気がついたのだ。気仙沼でも、これをやろう。2017年3月、その仕組みづくりをマネジメントする組織として立ち上げたのが、一般社団法人気仙沼地域戦略だ。

その重要なツールとなるのが、”新たな市民証”として2017年4月から運用している「気仙沼クルーカード」だ。これは、気仙沼とつながりのある市内外の人たちが登録できるポイントカードで、市内の飲食店や物産店、宿泊施設などの加盟店のほか、全国1500以上の提携サイトでの買い物でポイントが貯められるシステムになっている。特筆すべきは、貯まったポイントは市内の買い物でしか使えず、失効しても全額が市に寄付される仕組みになっている点にある。さらに、2018年からは図書館や児童館、美術館などの公的施設の利用や市民活動への参加にもポイントを付与する予定だ。

”新たな市民証”の「気仙沼クルーカード」の登録は、市外の人が半数を占める。「つながり人口」を増やす重要なツールだ。

つまり、経済や暮らしのど真ん中にこのクルーカードを置き、町とつながっている人たち、つまり「つながり人口」を全員このカードに紐付けて、市内の消費を活性化させようというわけだ。カードに貯まったポイントは、いわば気仙沼の地域通貨になる。これは、地域還流の新しい仕組みと言えるだろう。

運用開始から約半年で、カード会員は1万人になろうとしている。その半数は市外の人たちだ。そして現在、これを単なる民間の事業ではなく、市の総合計画として政策に組み込もうとしている。政策にまで落とし込むケースは、全国のどこにもないだろう。まさに、正真正銘の「気仙沼モデル」だ。

例えるなら都会は「金魚鉢」、地域は「太平洋」

当初予定されていた2年の出向期限が迫り、まだ道半ばの状況で東京へ戻ることを危惧していたある日、僕を気仙沼へ送り込んだ張本人であるリクルートライフスタイルの社長・北村吉弘(当時、現リクルートホールディングス常務執行役員)が気仙沼にやってきた。僕は「残らせてください」と直談判するつもりだったのに…

「うちの会社には、2種類の人間がいるって知ってたか?ピカピカに舗装された道を相手よりも0.1秒でも早く走り抜けるF1レーサーと、道なき道をドロドロになりながら走るモトクロスレーサー。おまえはどう考えたって、モトクロスレーサーだよ。だから残れ」。この言葉に、僕は救われた。同時に、モトクロスレーサーの道を極めよう。あの夜、そう誓ったのだった。

地域の仕事をするようになってよく思うのは、都会と地域で生きるにはそれぞれ向き・不向きがあるということだ。よく「地域には何もない」と言われるが、その「何も」は具体的にどんなことを指しているのか。それは、お金を使える場所やシーンが少ないという意味だろう。稼いだお金をどう消費するか。そこにモチベーションを感じる人間は、都会で生活した方がいいと思う。だけど、「少ない」からこそ自分で生み出す、つまり「無」から「有」をつくることに面白味を感じる人にとっては、地域はフロンティアだ。

地域こそ、めちゃくちゃダイバーシティだと思う。都会のサラリーマンはある程度同じルールとスペックのもとで生活しているが、地域では行政職員から地元の事業者、漁師、農家などまで、1つの町で本当に多種多様な人と深く関わっていかないと生きていけない。それぞれ価値観もバックボーンも全然違う。例えるなら都会は「金魚鉢」、地域は「太平洋」だ。丸の内から気仙沼に来て、そんなダイバーシティを猛烈に感じた。人口が減っていく今後、地域は1人あたりの介在価値がさらに際立ち、生き方や働き方の多様性が生まれる場所になっていくだろう。

モトクロスレーサーとして道なき道を行く

「森成人」はこの先、どこを目指すのか。実は、これは一番答えにくい質問だ。少なくとも気仙沼へ出向した当時、今の自分の姿は全く想像できなかったわけだから。

僕はどうやら、「川下り型」の人間らしい。これもリクルートライフスタイルの社長に当時、言われた言葉だ。彼曰く、「山登り型と川下り型の人生がある」。5年後、10年後に思い描くキャリアプランに向かって着々と山を登っていくタイプと、激流の川を左右に揺られながら下っていき、行き着くところに行き着くタイプ。僕は間違いなく、後者だと。先のことを余計に考えるな、今に夢中になれってことなんだろうね。

そうはいっても、気仙沼のDMO戦略の成果が出るのはまだまだこれからだ。地域にお金が還流し、さらにそれをスケールアップさせて町全体を潤す。そのために、これからも全力を尽くす覚悟だ。そして、川下り型の人間、またモトクロスレーサーとして、これからも社会や地域の波に揉まれながら、道なき道をつくっていきたい。