【Beyond 2020(24)】あれから7年。カタリバが今、考えていること

認定NPO法人カタリバ 代表理事 今村久美

1979年、岐阜県生まれ。慶應義塾大学在学中の2001年に任意団体NPOカタリバを設立し、高校生のためのキャリア学習プログラム「カタリ場」を開始、2006年に法人格を取得。東日本大震災後は、被災した子どもたちに学習の場と心のケアを提供する放課後学校「コラボ・スクール」を運営、2011年7月に宮城県女川町で「女川向学館」、12月に岩手県大槌町で「大槌臨学舎」を開設。2016年6月からは熊本地震の被災地・益城町でも「ましき夢創塾」を運営、さらに2017年6月には、震災後に設立された中高一貫の福島県立ふたば未来学園(福島県広野町)にも「双葉みらいラボ」を開設。他に、東京都文京区で中高生向けの複合施設「b-lab(ビーラボ)」、島根県雲南市で中高生のキャリア教育や不登校支援を行う「おんせんキャンパス」、東京都足立区で困難を抱える子どもたちのための施設「アダチベース」を行政の委託事業で展開している。

ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー

子どもの第3の居場所となった「コラボ・スクール」

ビールとワインの空瓶が部屋中に転がり、テーブルの上にはタバコの灰が散らばっている。あれは、震災後1年のとき、私たちが現地で自らの支援がニーズに即しているか、課題解決となっているかを検証するために家庭訪問をしていた。そこで目に飛び込んできた光景が、どうしても忘れられない。

30代前半のシングルマザーと、中学生の娘とその妹、それに母親の彼氏が暮らす家庭。子どもにとって健全な生活とはかけ離れた環境が、そこにはあった。東京などで受験戦争に躍起になっている世界がある一方で、こうした目を覆いたくなるような現実があることを、私は思い知ったのだった。

子どもたちに安心して勉強できる場所をー。そんな思いで最初に立ち上げたのが「女川向学館」だった。

「子どもたちが安心して勉強できる場所がない」「学校の先生たちも多忙を極め、疲弊している」。震災後の東北における私たちの活動は、こうした現地の声を受けて始まった。小・中学生、高校生を対象にした放課後学校「コラボ・スクール」を、2011年7月に宮城県女川町、同年12月に岩手県大槌町に開設。受験を控える生徒の学習サポートや、避難所や仮設住宅に暮らす子どもたちの心のケアなどを行ってきた。地元の行政や教育委員会、保護者のみなさんと協力しながら、活動は6年以上経った今も続いている。

岩手県大槌町の「大槌臨学舎」。放課後、多くの子どもたちがこの場を訪ねてくる。

また、2016年4月に起きた熊本地震の被災地である益城町でも、東北の活動経験を生かして同様に放課後学校「ましき夢創塾」(※)をつくった。さらに2017年6月にも、福島県広野町にできた中高一貫の県立ふたば未来学園に「双葉みらいラボ」を開設した。いずれも困難な状況を生きる子どもたちにとって、学校でも家庭でもないサードプレイス(第3の居場所)として重要な役割を担っている。

※「ましき夢創塾」では現在、活動継続のための資金を募るクラウドファンディングを実施中。詳細は記事の最後に記載

一面的な教育論からの脱皮

子どもたちだけでなく、私たち自身も東北での活動を通して大きな変化を経験した。2001年にカタリバを立ち上げて10年。当時は、これからどういう方向性で事業を行っていくべきか。そう悩んでいた時期だった。テレビで被災の様子を見ながら心を痛めるのと同時に、あそこで支援をさせてもらうことで、私たち自身ももう一度大事なものを見つめ直せるような気がした。今振り返ると、私たち自身のためでもあったのかもしれない。

熊本地震の被災地・益城町では、仮設住宅の集会所で夜に学習会を開いている。

実際、学校や行政などと深く地域に根を張って関わらせてもらう中で、これまでの私たちはいかに一面的な見方で教育を語ってきたか、それを思い知らされた。カタリバがそれまで届けていた教育プログラム「カタリ場」は、学校という日常の中に「非日常性」を創り出し、その場だからこそ語れる本音や自分と向き合うきっかけを届けてきた。

けれど、災害は前提としている日常が壊れてしまったという状況。平常時には「カタリ場」(非日常)が意味をもつが、緊急時に必要とされることは異なる。だから、毎日の放課後を安心して過ごすことができる「コラボ・スクール」を始めた。人は、家族や学校、近所付き合いなど日々の様々な連続性から学び、悩み、もがき、それを少しずつ自身の成長と自立に変えているのだと思う。ディズニーランドのような派手なイベントを企画するばかりでなく、もっと日常生活に根ざした教育資源を提供し、日々子どもたちに寄り添うことの重要性を学ぶことができた。

2017年6月には、福島県立ふたば未来学園に「双葉みらいラボ」を開設した。

また、「子どものために一肌脱ごう」、そうやって立場や業界を越えて様々な団体や関係者と手をつなぎ合う経験も、今までにないことだった。行政や教育委員会、さらには福祉関係のNPOなど、これまでは「子ども支援」という共通目的があるにも関わらずがっぷり手を携えずにいた人たちが、お互いに垣根を越えて横でつながり、活動に厚みが増す。そんなケースが少なくなかった。私たち自身も単に教育支援にとどまらず、例えば「まちづくりの視点ではどんな子どもの支援が可能か」「地域経済の発展のために必要なアプローチはあるか」などと、多様な視点で活動を考えられるようになった。

初めて手にした第2の故郷と家族

そしてカタリバだけでなく、「今村久美」個人にとっても、人生で初めて得られたものがある。それは、自分が暮らす「場所」の意味、そして顔の見える人との関係性だ。

大学入学を機に岐阜から上京した私は、もうかれこれ東京近郊で10年以上暮らしている。「大学のキャンパスや職場が近いから」。単にそんな理由で物件を探しては、住む場所を転々としてきた。でも東北に根を張り、地域の大人や子どもたちと密に関わる経験を通して、いつしか「住む場所」に何か意味を求めるようになっている自分がいた。

私にとってその意味は、周りに大事な人がいるかどうかだ。東北には、地方特有のときには少し面倒なしがらみを含めて、バーチャルではない顔の見える、温度感のある人との関係性があった。東北という場所、そして出会った人たちは、私にとって自分の故郷と家族以外で初めて手にした第2の大事な場所、大事な家族になったのだ。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

子どもたちを加害者にも被害者にもしないために

子どもたちを加害者にも被害者にもしないーー。私は、そんな世の中をつくりたい。親の虐待や相対的貧困、母子家庭など、子どもたちがどんな環境に生まれ育っても、安心して未来を創造し、頑張ろうという意欲さえあれば成長できるように。言うまでもなくそれは、家庭や地域だけでなく、社会全体でつくっていくべきだ。

座間市(神奈川県)で起きた、自殺願望のある子どもたちが殺害されてしまった事件(※)。なぜ殺された子どもたちは、死にたいと思うほど追い詰められていたのか。なぜ加害者は、ああいう精神状態に陥ってしまったのか。本当に胸が苦しい。冒頭に紹介したシングルマザーの家庭。あのような悲惨な光景は、被災地に限らず全国各地で起きている。単に親御さんを非難するだけで済む問題だろうか。彼女たちもまた、どこかで苦しみを背負いながら毎日を生きているのだろう。

子どもは家庭や学校が育てるべきーー。日本に根強く残るそうした伝統的な教育観だけでは、もはや子どもを守りきれないことは明らかだ。そんな歴史観を前提にした議論が成り立たないことは、子どもをめぐる悲惨な事件や現実が物語っている。

だからこそ、私はやっぱり「放課後」を充実させるべきだと訴えたい。子どもたちの環境をめぐる格差は、家庭にすべての時間が委ねられる放課後に生まれている。今、政府が掲げる幼児教育や大学の無償化。他の先進国に劣っている教育への公費投入は歓迎すべきことだけど、それ以上に格差の根源である放課後の充実化こそ必要ではないだろうか。思春期の子どもたちには特有の心の弱さがある。放課後の時間を家庭に丸投げせず、社会全体で支援の指針や仕組みを打ち立てるべきだろう。

せっかくこの世に生まれてきた大事な命だ。「楽しいな」「幸せだ」。そう思える子どもたちであってほしい。子どもたちにとって偏差値よりも大事なものは、自分が大事と思える人の顔がいくつ思い浮かぶか。グローバル人材になってほしいなんて多くは望まない。子どもたちを加害者にも被害者にもしないために、私が準備してあげたい一番の教材は、そういう大事な人たちと出会える機会だ。

【朝日新聞】座間9遺体、1都4県の15~26歳と確認 警視庁発表

NPOが中央と現場の乖離を埋める

社会全体で子どもを支援していくうえで、当然私たちのようなNPOの役割と責任も大きい。震災以降、NPOは多くの居場所と出番を与えられ、同時にその質や成果を問われるようになった。私たちも震災を機にこれまでは縁のなかった大手企業や多くの個人・団体から多額の寄付をいただくようになった。その分、いい意味でこれまで以上に説明責任が求められるようになっている。また、中央にモノ言えたり、より影響力を発揮できる立場になってきていると言える。

確かに国のリーダーたちの現場感のなさは批判に値するが、中央と現場の乖離感を埋めるのは私たちNPOの役割だろう。実際、震災復興の現場では政治や行政が現場の事情に精通したNPOの意見を取り入れるケースがたくさんあったし、社会全体にもそうした市井のリアリティを世論に変えて政治を動かす。そんな事例が増えてきている。私たちの活動もその追い風に乗って、さらにステップアップしていきたい。

その意味でも、スタッフの存在は力強い。現在約100人いるスタッフは、特に震災以降その層が広がっている。ビジネスの最前線に身を置いていた、企業からの若い転職組が増えているからだ。彼らに共通するのは、事業の「意義」を理解することでものすごいパワーを発揮するということ。みんなカタリバのイシューに共感して参画してくれたメンバーだ。だからこそ、「このプロジェクトにはどんな意義があるのか」と執拗に求めてくる。

いわゆるゆとり世代は「指示待ち」「マニュアル頼み」などと思われるかもしれないが、それは誤解だ。こちらがきちんと説明し、その意義を理解することができれば、大きな推進力に変わる。社会への意義やスタッフ自身にとっての意義、これを示すことは私の大事な仕事だ。

「1人の100歩より、100人の1歩をつくる」

震災から7年が経とうとしている。私たちが最初に関わったの子どもたちは、当時の中学3年生だった。今はもう成人になって、社会に飛び出している子も多い。

子どもたちは今、どうしているのか。「後輩を支える側になりたい」。そう言って、私たちが足立区の委託で運営している「アダチベース」でボランティアをしてくれたり、熊本地震後に「ましき夢創塾」でインターンしてくれたりしているのは心強い。

足立区の委託で運営している「アダチベース」にも、困難を抱えた子どもたちに学習指導などを行っている。

また、時間が経てば経つほど、当時の震災経験を語り始める子が増えた印象もある。被災直後は口を塞いでいたような子が、自分にとってあれはどんな意味があったのか。一生懸命、言語化し始めているのかな。

一方で、この7年間ずっとリーダー的存在として先頭に立っていた子が、プツっと糸が切れたかのように引き込もりがちになってしまうケースもある。震災間もない頃は「僕/私が将来、地域の担い手になります!」などと、周囲の大人が喜ぶ姿を見て、そう繰り返し語ってきたけれど、歳を重ねた今、その言葉に苦しんでいるような子もいる。成長の過程では、心のどこかで「華やかに見える東京で暮らしてみたい」「OLにもなってみたい」と様々な憧れをもつ。思春期の子どもたちが、そういう気持ちになるのは自然なこと。人それぞれ、いろんなフェーズがあるわけだ。

カタリバの理念の1つに、「1人の100歩より、100人の1歩をつくる」という言葉がある。心が不安定で揺れ動きやすい思春期の子どもたちを支える団体として、私たちはこれからも東北で、そして全国で、子どもたちの小さな一歩を踏み出すサポートを続けていきたい。

※カタリバが熊本地震の被災地・益城町で運営している「ましき夢創塾」は、当初の計画を延長し、対象の中学生が仮設住宅生活を終える予定の2019年3月まで活動を継続することを決定。その活動資金を募るためのクラウドファンディングを実施しています。ぜひご協力ください!
https://readyfor.jp/projects/13994