【Beyond 2020(26)】元外務官僚が描く、原発と復興の先の”アップデートされた日本社会”

一般社団法人東の食の会 事務局代表 高橋大就

1999年外務省入省、在米国大使館勤務を経て、日米通商交渉を担当。2008年に外資系コンサルティングのマッキンゼー&カンパニー社に転職。東日本大震災の発生直後にマッキンゼーを休職し、NPOに参加し東北で支援活動に従事。2011年6月、「東の食に、日本のチカラを。東の食を、日本のチカラに。」をスローガンに、一般社団法人「東の食の会」が発足、事務局代表に就任。被災事業者の商品開発や販路開拓、ブランディングの支援などを実施。2013年には水産業の次世代リーダーを育成する「三陸フィッシャーマンズ・キャンプ」が始動、2016年にはそのリーダーで構成する「フィッシャーマンズ・リーグ」を組織、三陸ブランドのアジア各国への販路開拓を試みている。同年、原発事故の風評被害対策と食産業の活性化を目的に、福島の生産者と全国の消費者(ファン)をつなぐファンクラブ「チームふくしまプライド。」を設立。商品開発などのほか、革新的な農家を育成する「ふくしまFarmers’Camp」を開催している。有機野菜などの食品宅配サービスを展開するオイシックスドット大地の海外事業担当執行役員、Oisix Hong Kong、Oisix Shanghaiの代表を務める。

ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー

日本で最もリーダーシップ密度が濃い東北

震災後の約7年間、歴史や社会の変化をこれほどダイナミックに肌で触れる感覚を味わうのは、初めてだ。2011年3月12日、福島第一原発1号機が爆発した映像を目にした瞬間、私の中で何かがはじけた。すぐにそのとき働いていたマッキンゼーを休職し、災害支援を行うNPOと契約して仙台へ向かった。あのとき、衝動的に一歩踏み出していなかったら、絶対に後悔していただろう。東北なくして、今の私の人生はない。そう強く言い切れる。

あれだけの危機に直面した東北には、これからの社会を担うようなリーダーが数多く生まれた。東北は今、日本で最もリーダーシップ密度が濃い地域になっている。その根底にあるのは「当事者性」だ。「政府がやらない」「行政がダメだ」などと誰かを指差して非難するのではなく、静かに自分自身の課題と向き合い、アクションし、未来を語る。そうした真の当事者がたくさん生まれ、その熱にほだされ社会や地域へ飛び込んでいく人が次々と続いていった。観客席から眺めるだけの社会から、誰もがグラウンドに飛び降りてど真ん中でプレーする社会へ。1人ひとりの心に芽生えた当事者性が今、社会の土台を大きく動かしている。

東の食の会がプロデュースした、サバのオリーブオイル漬け缶詰「サヴァ缶」

例えば、三陸の漁業だ。そのリーダーたちの未来を切り拓こうという気概とスケールの大きさには、驚かされるばかりだ。私たちは、2013年に次世代の水産業を担うリーダーを養成するプロジェクト「三陸フィッシャーマンズ・キャンプ」を立ち上げ、マーケティングやブランディングなどを支援。さらに、そのリーダーたちのネットワークとして「フィッシャーマンズ・リーグ」を発足させ、三陸の漁業を「SANRIKU」ブランドとしてアジア各国へ売り込む活動に取り組んでいる。

改めて考えると、これは奇跡的なことだと思わずにはいられない。あの津波被害と原発事故に遭った三陸の水産業は、今頃壊滅していても不思議ではない。三陸の食材を誰も食べなくなる。今とは全く異なるシナリオも、十分あり得たはずだ。それが今や価格も回復し、海外にも販路を開拓している。

「サヴァ缶」と同様に、海藻「アカモク」も代表的なヒット商品だ。

日本の水産業は、震災以前から高齢化や過疎化、担い手不足などの構造的な問題を抱えていた。しかし、1000年に1度と言われる大災害を受け、三陸の漁業は生まれ変わった。これは日本経済全体、日本という国の復活にとっても重要な示唆だろう。日本がこのまま経済大国の地位から徐々に引退し、斜陽の道を辿るのか。それとも復活の狼煙をあげるのか。三陸沿岸地域は震災によって真っ先に、否応なく、その岐路に立たされた。しかしそこから這い上がり、今新たな道をつくり始めている。

マクロからミクロ視点へのパラダイム転換

「マクロ」から「ミクロ」、「ナショナル」から「ローカル」へ。私のキャリアと価値観も、震災を機に180度変わった。

私のキャリアは、外務官僚としての安全保障や通商交渉から始まった。世界情勢を踏まえ、マクロの物差しで全体最適の解を導き出す。それが社会をよくする唯一にして最大の手段だと信じて疑わず、地方自治体や一企業で働くことの意味が理解できない人間だった。

だが、今は胸を張ってこう断言できる。マクロの視点で評論するよりも、ミクロの現場に入り込んでモデルケース・成功例をつくり、それを一般化して他の地域に波及させることで社会へ大きなインパクトを生み出せる、と。これは私にとって、震災復興の現場に入り込んで得た大きな気づき、目から鱗のパラダイム転換だった。

東北は世界の潮流と同期している

東北に、当事者性に芽生えた人々が数多く生まれ、彼らの手によって動き出した産業をはじめとする新しい胎動。それは、日本社会が変わる突破口になり得るものだ。言うまでもなく、復興現場の課題は人口減少や地域の疲弊、産業の衰退など日本全体が抱えている構造的な問題でもある。これは皮肉なことではあるが、震災後の東北で湧き起こる新しい波や課題へのソリューションは今、全国各地へ伝播している。

「三陸フィッシャーマンズ・キャンプ」では外部の講師を招き、漁師らが商品開発や販路開拓、マーケティングなどのノウハウを学んだ。

さらに不思議なことに、その動きは世界の潮流とも同期している。私はオイシックスの仕事で香港や上海の食品販売の事業に携わっているが、どちらも有機野菜など安全な食を求める消費志向とコミュニティがあり、そうしたニーズやそれに対するソリューションのあり方などが、震災後の東北や日本社会に生まれた流れと驚くほどシンクロしているのだ。世界的にソーシャルな流れが吹き始めていた最中に震災が押し寄せ、結果的に東北を起点にその流れが一気に加速したのかもしれない。

ただ、それが単に自然の摂理、必然だったと解釈したくはないし、決してそうではないと思う。あのとき東北で悲劇と絶望の淵に立たされ、それでも未来をつくり出そうと多くの人々が「共通意志」をもって立ち上がった。そうした人々の強い意志と行動がなければ、今の東北はないはずだ。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

福島の復興は、日本社会をアップデートさせる

ただ、まだ道半ばでもある。特に原発事故を抱える福島の復興は非常に難解だ。でもだからこそ、これを乗り越えたら日本社会は一段アップデートされる。私にはそういう感覚とビジョンがある。

福島にまつわる課題は、この社会の縮図だ。地域が抱える構造的な課題や、人々の感情が如実に表れているからだ。福島は震災以前から疲弊していた最中に津波と原発事故が降り注いだ結果、問題が余計に複雑化し、解決困難にも思える状況に陥ってしまった。また、そこには人々の感情も複雑に絡み合い、当事者性の欠如や憎悪など日本社会特有の陰湿な部分も浮き彫りになっている。福島出身の子どもが学校でいじめられるなど、その典型だろう。そういう意味で、あの場所には社会のあらゆる問題が凝縮されているように思えるのだ。

ただ見方を変えれば、解決困難なこの課題を克服することができれば、人口減少も過疎化も産業衰退も、あらゆる問題が解決可能になる。社会がまた一歩、新たなステージへ踏み出す大きなきっかけになるのではないだろうか。最も難しい問題だからこそ、私にとってはそれに立ち向かわない選択肢はあり得ない。お金も技術も頭脳も、日本中のあらゆるリソースを注ぎ込んで解決策を探し出すべきではないか。

「チームふくしまプライド。」の設立記者会見の模様。多くの農家が集まり、気勢を上げた。

私たちは「食」を突破口に福島の復興にチャレンジしている。2016年に立ち上げた福島の生産者と全国の消費者(ファン)をつなぐファンクラブ「チームふくしまプライド。」では、次世代の農家の育成や商品開発などに取り組んでいる。ポジティブな福島の発信が増えてきており、桃の糖度の高さでギネス記録を打ち立てようとしたり、国際認証のグローバルGAPを取得するなど革新的な農家も生まれてきている。震災直後の状況からは、到底想像できなかった大きな変化だろう。

「ふくしまFarmers’Camp」では県内の農家を訪ね、互いに情報交換しながら栽培や販売のスキルを磨き合っている。

今後の課題は、どうスケールアップさせていくかだ。局所的に生まれている成功の種火を大きく燃え上がらせ、商業的な成果も出していく。その兆しは見えてきた。これから、さらにアクセルを踏み込んでいく。福島にこびりついてしまったネガティブなイメージを、どうにかしてポジティブなパワーで払拭したい。それは日本社会にとって、歴史的な偉業と財産になるだろう。

「安全保障よりも、日本の農業がヤバい」

福島の問題に打ち勝った先に、どんな社会が広がっているだろうか。それは、1人ひとりが主体性をもって生きられる社会だ。片方の側に無自覚に一気に流されたり、少しでもはみ出した人を一斉に叩くような付和雷同な社会が、私は大嫌いだ。あるゆる物事には二面性があり、白か黒かで簡単に分けられるものではない。無責任に他人を批判するのではなく、当事者として主体的に社会に関わっていく。私たちは、そういうアップデートされた社会を生きることになるだろう。

それは、「働き方」の点でも同じだ。会社や組織に依存せず「個」として自立し、「行動第一」で社会課題に立ち向かう。そんな「個」の存在が影響力を増し、その総和が強い社会をつくっていくことだろう。特に私は、若い世代に大きな希望を抱いている。彼らは自然体で柔軟な生き方が得意だし、強くてしなやかなリーダーシップをもっている。そういう新しい価値観をもった世代がリーダーシップを発揮する社会は、間違いなく今よりもっと魅力的になっているだろう。

私にとって未来を考えるうえで外せないのは、地方の問題だ。「安全保障よりも、日本の農業がヤバいのではないか」。どんどん廃れていく地方の実態を前に抱いた危機感が、外務省をやめた理由だった。地方の衰退や消滅は、私にとってどうしても耐えられないことだったのだ。

地方を豊かにするには、経済と精神の両方の豊かさが必要だ。私たちが東北で取り組んでいる水産業と農業は地域の主力産業だ。これを稼げる産業にすることは、地域再生のコアな課題だろう。新しい産業構造をつくり、稼げる産業に変えていく。「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録され、欧米やアジア各国でその食文化がどんどん広がっている。日本の水産業と農業は、これからさらに世界的認知を高めていくだろう。そうなれば、東京に人が吸い寄せられて消えていく人口のブラックホール現象も逆転させられるはずだ。

加えて、そこに住む人々が誇りや尊厳をもって暮らせるかどうかも大切だ。そのために必要なのは、デザインやアートの力。ファッショナブルな発信が、若い世代の関心を惹きつけるのには欠かせない。

日本を代表するようなそうした地方のモデルケースが、東北でどんどん出現するだろう。「かわいそう」「助けたい」というイメージから、イノベーションもテクノロジーもファッションも食も、すべてが最先端の地域へ。私自身も「そうなったらいいな」ではなく、みんなで「そうするんだ」という共通意志をもって進んでいきたい。どんなに統計学的に困難であっても、いくら周囲から無理だと言われても、未来は私たちの意志で変えられるし、変えてやりたい。

パラレルのピークを迎えた人生の大一番

人生は、刹那を生きるしかない。「勉強と経験を積んで、5年後にやろう」なんてことがあり得ないことを、私たちは震災で目の当たりにした。課題に直面したなら、今あるものを全力でぶつけるしかない。使命を感じたなら、「やる」以外の選択肢はない。まさにノーチョイスだ。

私の人生は今、パラレルのピークに差し掛かっている。最難関の課題である福島の復興に加え、オイシックスで上海事業の立ち上げが佳境を迎えている。日本の農業・食の海外フィールドへの攻勢は、外務省をやめたときから抱いていた大きな目標だった。しかも相手は、巨大市場の中国だ。人生の大一番、勝負所だ。なんとしても両方ともやり遂げたいし、乗り越えられると信じている。未来は、自分の意志で変えられるものだから。