【Beyond 2020(21)】最大被災地を世界で一番面白い街にする原点は、小さなカウンターバーだった

一般社団法人ISHINOMAKI 2.0 代表理事 松村豪太

1974年宮城県石巻市出身、東北大学大学院(仙台市)卒業。仙台での生活を経て石巻に帰郷し、総合型地域スポーツクラブのNPOに勤務。勤務中に津波被害に遭い自宅が半壊するも、直後から瓦礫撤去や泥かき、仮設住宅のコミュニティ形成などに奔走。2011年5月、仲間とともに一般社団法人ISHINOMAKI2.0を設立。「世界で一番面白い街を作ろう」を合言葉に、地域内外にネットワークを広げ、多様な人を巻き込みながら様々なプロジェクトを企画。地元住民とボランティアらが交流する「復興バー」、フリーペーパー「石巻VOICE」、コミュニティスペース「IRORI石巻」、高校生向けプログラム「いしのまき学校」などがある。2017年夏に開催された芸術祭「Reborn-Art Festival」の実行委員会事務局長、市民大学「とりあえずやってみよう大学」の学長など肩書きも多数。

ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー

自由なアイデアが生まれる「柔らかい場所」

僕は震災前、石巻という町に不満とあきらめを抱いていた。徐々に広がっていく商店街のシャッター通り、閉鎖的な人間関係、古いしがらみ、力をもつ一部の人たちだけで決める物事の進め方、そんな地域に対して若者が抱く将来への閉塞感…。震災は確かに大きなダメージだったけど、単に震災前の状態に戻すだけでは不十分だった。

古本市や野外映画上映会など、街を面白くする企画満載のイベント「STAND UP WEEK」

夜な夜なボランティアや住民らが集まり、熱い議論が交わされた「復興バー」

そうした中、外から来たボランティアの仲間たち、建築家や広告クリエイター、料理人、IT関係者、研究者などクリエイティブな職能をもつ人たち、地元の若手商店主などの有志が集まって、石巻の新しい未来を考える作戦会議をスタートさせた。そこで僕たちが掲げた合言葉は、「世界で一番面白い街を作ろう」。もともと課題山積だった石巻を、世界のモデルになるような魅力ある町へとバージョンアップさせよう。2011年5月、そうして生まれたのがISHINOMAKI2.0だ。

毎夏、野外映画上映会やハッカソンなど様々な企画で街を面白くするイベント「STAND UP WEEK」、住民やボランティアらが夜な夜な集まり交流する「復興バー」、住民や石巻にまつわる人たちの声を紹介するフリーペーパー「石巻VOICE」、シェアオフィスやカフェの機能をもつコミュニティスペース「IRORI石巻」、小さな本屋「石巻 まちの本棚」など、数多くのプロジェクトを企画してきた。さらに、石巻の存在を広く知ってもらうために、東京・銀座で期間限定の復興バーをオープン。「石巻経済新聞」の発行や現地での視察プログラムなども、外部への発信を目的に始めたプロジェクトだ。また最近では、2017年夏に開催された芸術祭「Reborn-Art Festival」の企画や運営もサポートした。

僕が一貫してこだわってきたのは、「柔らかい場所」をつくることだった。カチッとした立派な枠組みやルールを設けずに、未完成で余白のある状態からまず始めてみる。そうすることで、「まちと人」「中と外」「若者と熟練」など、立場や世代を超えたフラットなコミュニケーションが生まれ、つながり、自由闊達な発想や企画が膨らんでいったのだ。

「値段が付いていないと安心しない街」からの脱却

そして今ここで起きているのは、従来型の大規模経済・金融社会の限界と、それに代わる新しいプロトタイプの出現だろう。

豪華で立派なハコモノを誘致して、それを回しながら稼いでいく。まるで地図の上から機械的にスタンプを押すように、画一的な住居や店舗を増やしていく。値段が高いか安いか、量が多いか少ないか。そういう効率や規模、数字を追求する社会が限界を迎え、もっと人々の日々の暮らしや個性を尊重するようなかたちで「幸せ」をつくっていく。こうした「幸せの見つけ方のシャッフル」が起きているのだ。

市井の人々の”声”を拾い上げたフリーペーパー「石巻VOICE」

震災前の石巻こそ、まさにそうした「値段が付いていないと安心しない街」だった。全国チェーンの大規模なショッピングセンターがきたら諸手を挙げて喜ぶような、型通りのザ・地方都市。でも、今は違う。住民たちは、普通なら出会えるはずのなかった著名人やクリエイティブな人たちとつながるチャンスをもらい、彼らとの対話の中から新しい企画やアイデアを生み出すことが日常の喜びに変わってきている。

その結果、何が起こったか。従来の都市と地方の固定化されたピラミッド型の序列を外れて、独自の個性を打ち出せる発信力のある街に生まれ変わりつつあるのだ。都市と地方はこれまで上意下達の縦列関係にあった。東京があって、仙台があって、その次に石巻がある。人が移動するとき、また企画や仕事が持ちこまれるときは、いつも決まって東京や仙台を経由して流れ落ちてきていた。しかし、その順番が変わってきているのは間違いない。はじめから固有の「石巻」という名前を背負い、全国や世界に向けて個性を打ち出せる時代になっている。

「技術レベルのインフレ」ではなく「原始的なコミュニケーション」

従来型の経済至上主義の限界と、その反動から生まれた新しい価値観。これは地域のあり方だけではなく、個人の生き方にも同じことが言える。

今、都市で起きていることは「技術レベルのインフレ」ではないだろうか。首都圏には所得は高いにせよ、どこかガチガチに縛られたルールや到底破れない絶対的な壁があるように見える。行き過ぎたサービス・技術競争の結果、ITやデザインなど世の中のいろんな領域で、特に才能に秀でた一部の人たちだけの階層が形作られている。新参者はうかつにそこへ飛び込めず、「もうやり尽くされている」とあきらめざるを得ない。そういうインフレ状態だ。

シェアオフィスやカフェがあるコミュニティスペース「IRORI石巻」

それに対して、ここは余白だらけだ。震災によって既存のルールやしがらみが一気に崩れ、隙間がたくさん生まれた。つたない技術や能力でも、あるいはそれに対する見返りが少ないながらも、この世にたった1人の「自分」という名前を背負って行動したり、仕事をしたりできる環境がある。大企業がいつ破綻してもおかしくないような時代だ。首都圏の優秀な大学を出ても、自分の名前で成功できる人は「超優秀」か「超ラッキー」かのほんの一握りだろう。でもここだと、例えば写真学科を卒業したばかりの1年目の社会人でも、やりがいのあるいい仕事に巡り会える。実際、震災後にボランティアとして活動してくれた都会人の中で、相当数の人たちが移住して仲間になってくれたり、ここで新しく商売を始めるなどしている。技術レベルの競争とは一線を画し、原始的なコミュニケーションをベースに自らの成長を楽しむ。若い世代を中心に、そういう人たちが石巻をはじめいろんな地域に流れ込んできている。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

「とりあえずやってみる」と「DCAP」で道を切り拓け

あらゆるモノやサービス、情報が瞬時に行き渡る世の中だ。今までのPDCAサイクルでは、時代の変化に追いつきづらくなっている。今求められているのは、思いついたことを「とりあえずやってみる」、つまり「PDCA」ではなく、DO(=実践)から始める「DCAP」の精神ではないだろうか。これは、僕たちが最も大事にしている行動原理の1つでもある。

例えば、あるプロジェクトを実行する場合、通常ではしっかりと事業・資金計画を立てて、行政やステークホルダーに根回しをして、ようやく動き出す。でも、そのときにはすでに当初のモチベーションが薄れてしまっているケースが少なくない。でも、熱のあるうちに動き出すと、その熱に引っ張られて外から人が集まり、足りない部分があっても補強しながら進んでいける。緊急事態だった被災直後は特にそういう「DCAP」が必要とされる状況だった。結果的に、最初の素早い一歩をどんどん踏み出していったからこそ、今こうしていろんなプロジェクトが多くの人の協力で続いているのだろう。

2017年10月にスタートした新たなプロジェクト「とりあえずやってみよう大学」。”学生”は東京のビジネスマンたちだ。

僕らは2017年10月から、この「とりあえずやってみよう」を建学の精神にした市民大学「とりあえずやってみよう大学」というプロジェクトをスタートさせた。東京のビジネスマンや学生などを対象に、石巻で活動するユニークな起業家やゲストがこれまでの知見やノウハウを講義するプログラムだ。「とりあえずやってみる」、そんな勇気と行動力と遊び心のある「出る杭」のような人をどんどん輩出していきたい。

団体立ち上げ当初から、僕らの活動は人口流出や少子高齢化などの社会課題解決のモデルケースになろうという考えから、その経験やノウハウを全国に「暖簾分け」することを構想してきた。その1つである「とりあえずやってみよう大学」のような取り組みは、大きなハコモノをつくったりするわけではないから成果が見えづらく、スピード感が遅いと感じることがあるかもしれない。でも、それくらいの手応えとスピード感がちょうどいいんじゃないかな。ブームのように一気に広がっていくよりも、地に足をつけて着実にインパクトを残していく方が、本物感がある。1つひとつ積み重ねていって、いつのまにか水が溢れて外に伝わっていくような。そんな風になればと願っている。

データの羅列ではないリアルな人生のおもしろさ

これから人口減少や高齢化は加速し、ますます未来を見通せない社会が待ち受けている。そんな中で、僕たちはどうすれば楽しく、幸せに生きられるのだろうか。

1つは、いろんな時間、いろんな肩書をもつことだろう。日本ではどこか、特定の価値観や組織に帰属することが道徳的に正しいと思われがちだ。1つの会社で定年まで働き続ける、そうした終身雇用の日本型システムはもう破綻している。今や大企業でも副業を認め始めているし、市民大学のように大人が社外で学ぶコミュニティやクラブ活動も広がっている。こうした傾向はますます加速していくだろう。いつも忙しくて、理由なく人と会ったり話をする機会を省略する人が多いよね。時間や場所に縛られず、心のどこかに余裕をもった生き方。それが人生を楽しむカギになるのではないだろうか。

若い人にも、従来の価値基準に縛られない生き方を選んでほしい。最近はどうも、大人になりすぎてはないだろうか?本来なら不当な扱いを受けているはずなのに、変にそれを「しょうがない」と飲み込んでしまうような人が増えていないだろうか。すべてを諾々と受け入れるだけでは、きっと世界は広がらないだろう。

高校生向け教育プログラム「いしのまき学校」では、総合学習の時間でコミュニティデザインの授業も行っている。

「学校の教室だけが、学び場じゃない」。僕らはこうしたコンセプトで、地域の高校生を対象にした教育プログラム「いしのまき学校」を開いている。昔の僕らの世代は、学校から紹介される進学先や就職先が”すべての世界”だった気がするんだよね。でも、本来はそうじゃない。街へ出て、いろんな大人と出会い、視野を広げてほしい。「今、君が知っている世界がすべてではないよ」と伝えたい。このプログラムでは、地元の高校と連携して総合学習の時間にコミュニティデザインの授業を行ったりしている。進路指導課にあるデータの羅列ではないリアルな人生のおもしろさに興味を抱き、遠く広い外の世界に目を向け始めた高校生が今、少しずつ生まれている手応えがある。

「2025年問題」の先にある石巻の未来

「2025年問題」を知っているだろうか?団塊の世代が75歳を超え、医療制度崩壊の懸念が高まる時期だと言われている。同時に震災から14年、国が定める集中復興期間から4年後だ。大型の復興事業はほぼ終了し、「再建された日常」が戻る時期になる。そのとき、石巻はどうあるべきなのか?持続可能な地域を実現するには何が必要か?僕らは新たに2017年9月、そんな街の未来をみんなで話し合う「石巻2025会議」をスタートさせた。ローカルベンチャーや地域包括ケア、移住などテーマ毎に議論を繰り広げているところだ。

2025年、石巻はどうあるべきか。テーマ別に街の将来を議論する「石巻2525会議」を新たに開始した。

そんな2025年の石巻の姿を想像してみる。東京やベルリン、ポートランドのような有名都市にはスケールでは及ばないかもしれないが、世界のどこにもないような個性的な景色が広がっていることだろう。今、ここから見える「IRORI石巻」の光景を見てほしい。カフェのカウンターに地元のおばちゃんたちが腰掛け、若い店員と談笑している。その脇で、僕らやノマドワーカーが仕事をしていて、会話に時折加わる。少なくともスターバックスにはない、おもしろい光景だよね。

僕、昔から小さなバーが好きなんだよね。夜、仕事帰りにふらっと1人で飲みに行って、カウンター越しにマスターと話したり、隣のお客さんと他愛のない会話をするのが。特に目的も理由もなく、なんとなく人と出会って、なんとなく会話する。楽しいことだと思わない?そういうある種”意味のない””無駄に見える”コミュニケーションや出会いから、新しいアイデアや企画が生まれると思うんだよね。人と人が出会い、楽しく会話する。夜のバー文化や昼間の「IRORI石巻」にあるようなシーンが、いろんな場所や時間に広がる街になってほしい。それが、生まれ育った石巻に託す僕の願いだ。