【Beyond 2020(20)】漁業に惚れたヤフー社員は「当事者」になれない葛藤の先に何を見るのか

ヤフー株式会社 社会貢献事業本部 CSR推進室 東北共創/一般社団法人フィッシャーマンジャパン事務局長 長谷川琢也

1977年生まれ、横浜市出身。千葉大学卒業後、ITベンチャー企業に入社。中途採用でヤフーに入社後、「Yahoo!ショッピング」やネットオークション「ヤフオク!」の販促などを担当。東日本大震災後、個人でボランティア活動を行うとともに、ヤフー社員として数々の支援プロジェクトを企画。2011年12月、東北の農作物や水産加工品、工芸品などを販売するECサイト「復興デパートメント」(現「東北エールマーケット」)を企画・リリース。その後も、2012年7月に設置されたヤフーの東北エリア拠点「ヤフー石巻復興ベース」(現・石巻ベース)の現場リーダーとして、多くの事業・プロジェクトを立ち上げる。2014年、「カッコいい、稼げる、革新的」の「新3K」を掲げ、三陸の漁師の担い手不足解消や漁業のブランド化をめざす一般社団法人フィッシャーマンジャパンを設立、事務局長に就任。ヤフーの社員としてインターネットを通じた地域課題解決を現場で実践するとともに、「新3K」の漁業モデルを全国へ普及させるため各地を駆け回っている。

ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー

インターネットの力で地域に光を当てる

僕が東北に根を張り、「漁業に革命を起こす」と今も走り続ける動機と原動力は、どこにあるのか。僕がこの世に命を授かった「3月11日」という日、愛する弟の死、大好きな日本の原風景や地方衰退への危機感。僕自身のルーツを辿っていくと、それはどこか運命的なものでもあるような気がしている。

2011年3月11日、その日は僕の34回目の誕生日だった。関東で生まれ育った僕は、それまで東北にも漁業にも全く縁がなかった。ただ、自分の誕生日に多くの人が大切な家族や友人を失い、嘆き悲しんでいる。想像するといても立ってもいられず、体が勝手に反応するかのように、ボランティアとして現地に足を運んだ。

弟を亡くしたのは、10年以上前のことだ。こんなに身近な愛する人を失う悲しみは、言葉には言い表せない。この震災で2万人以上の人が亡くなっている。そんな絶望的な状況がテレビ越しに目に映った瞬間、消化しきれない複雑な感情が一気に込み上げてきた。

大好きな日本が今、指先や足先から壊死し始めているのではないか。そうした危機感もあった。有給休暇を使いながら、約2年かけて全国各地を駆け巡った旅。そこには、世界に誇れる日本ならではの自然や伝統、暮らしがあった。そんな豊かな地方が衰退している。地域の文化や風習に光を当て、蘇らせることがインターネットやテクノロジーにできるのではないか。以前から、そんなことを考えていた。

僕の人生のルーツや役割はどこにあるのか。そうした根源的な問いが、目の前に何重にも折り重なって一気に現れてきたのだ。その後長く続くことになる東北や漁業との旅路は、そうして始まった。

ある漁師との出会いから生まれた「フィッシャーマンジャパン」

「もっと会社を巻き込んだ長期的な支援ができないか」。週末のボランティア活動や社内の支援プロジェクトに関わる中で、次第にこんな思いが募るようになった。そんなある日、現地の生産者から「産業やビジネスが必要だ」と告げられた。それをきっかけに立ち上げたのが、東北の農作物や水産加工品、工芸品などを販売するECサイト「復興デパートメント」(現「東北エールマーケット」)だった。

東北の農産物、水産加工品などを販売するECサイト「東北エールマーケット」。2011年12月に立ち上げた前身の「復興デパートメント」は、ヤフーの産業復興プロジェクトの核を担った。

石巻市に開設した拠点「石巻ベース」。コワーキングスペースとし、地域内外のプレーヤーが集まる場所になっている。

震災から約1年後、新たなターニングポイントが訪れる。2012年4月、ヤフーはCEO交代とともに「課題解決エンジン」という新しい企業理念を掲げ、その一環で復興支援の専門部署を立ち上げた。同年7月には東北エリアの拠点「ヤフー石巻復興ベース」(現「石巻ベース」)が設置され、僕は現地の担当社員として赴任した。

そして、ある男との出会いが僕の運命をさらに変えることになる。石巻のワカメ漁師・阿部勝太だ。漁業の未来に危機感を抱き、「新しい漁業を」と意気込む姿に触発され、「一緒に何かしたい」と心を突き動かされたのだ。2014年、一般社団法人フィッシャーマンジャパンを設立し、「カッコいい、稼げる、革新的」の「新3K」をビジョンに掲げ、見習い漁師のためのシェアハウスや求人サイトの運営、体験プログラムを企画するなど担い手を増やす「TORITON PROJECT」を核に、様々な企画をリリースしている。

「TORITON PROJECT」では漁師に興味のある人を対象に、実際に漁師の仕事を体験してもらう漁師学校を開催している(撮影:平井慶祐)

こうしたプロジェクトから生まれたのは、新しい販売方法と情報発信の流れだろう。地方に眠る資源にインターネットの力で光を当て、クリエイターなど情報発信の専門人材も加わり、生産者の思いやストーリーを付加価値にしてブランディングする。インターネットによる社会課題解決の一端が、ここに生まれたのだ。

巨大組織に「UPDATE 漁業」の風が吹き始めた

そんな僕らの姿や思いは、巨大組織であるヤフーの経営陣の心にも少なからず響いたようだ。例えば、「UPDATE(アップデート)漁業」という標語にそれは表れている。ヤフーは「課題解決エンジン」のミッションの先に広がる世界を「UPDATE JAPAN」と規定している。「UPDATE」とは、情報技術で人々の生活と社会を一歩前へ進めるという意味だ。そして、「JAPAN」に紐づくキーワードの1つとして、「UPDATE 漁業」という言葉が社内でオフィシャルに語られるようになってきたのだ。東北や石巻に限定せず、ヤフー全体の事業・ミッションとして「漁業」に力を注ぐ。そうした機運が少しずつ高まってきていることは大きな変化で、僕自身にとっても非常に心強いことだ。

さらにもう1つ。ITを活用して地域課題の解決に取り組む石巻モデルが、全国へ波及しているのだ。例えば長野県白馬村では、現地に拠点を置き、6次産業化を目的にしたeコマースの勉強会や地場産品の開発、地元高校生が企画した観光プランの販売などで連携を強めている。他にも、北海道美瑛町や茨城県結城市などで協働事業を手がけている。これらは、石巻でヒントを得たITによる地域活性化モデルの具現化といえる。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

全国の漁師との連携のうねりと、世界への発信

「漁業に革命を起こす」。 威勢よくスタートしたフィッシャーマンジャパンだが、勢いだけで事態を打開できるほど現実は甘くない。漁業の衰退や担い手不足は震災前から長く続く、さらにいえば日本中の港町が構造的に抱える重い課題だ。正直言って、課題にぶつかりまくっている。

しかも、僕たちがめざしているのは「本物」の新しい胎動や変化だ。派手な広告・プロモーションを打てば、一時的に新たな担い手を増やすことはできるかもしれない。でも、それは「本物」とはいえない。そうではなく、ここに骨を埋めるくらいの覚悟をもった担い手をどれだけ増やせるかが問われている。新たに漁師になった滋賀県出身の男性は、ここで奥さんを見つけて、子どもを授かった。当初はシェアハウスに住んでいたが、今はそこを出て自立している。こういう「本物」の担い手を増やすことこそが、僕らの挑戦だと思っている。

フィッシャーマンジャパンの取り組みは地域を越え、全国の漁師と連携する動きが生まれている。北海道の利尻島がその1つだ(撮影:平井慶祐)

南は北九州の藍島でも、漁師団体立ち上げの支援に入っている(撮影:平井慶祐)

フィッシャーマンジャパン設立の準備期間を含め、この構想が動き出してから約5年。課題は少なくないが、ようやく今、このビジョンとモデルを全国各地に広げるフェーズにまで漕ぎ着けることができた。僕らの活動に刺激を受け、「連携したい」「ノウハウを共有したい」といった声が遠くの漁師から届き始め、仲間が増えてきたのだ。実際に今、北海道の最北端近くにある利尻島や北九州市の藍島などで漁師団体立ち上げの支援に入っているところだ。

その先には、世界への発信も視野に入れている。そのためにも、世界中の耳目が日本に集まる東京五輪・パラリンピックのある2020年をターニングポイントの1つにして、国際認証の取得など持続可能な漁業を推奨するための新たなプロジェクトを打ち立てていくつもりだ。さらにそこから、今後の世界的トレンドになる国連が定めたSDGs(持続可能な開発目標)の文脈も意識しながら、漁業を通じて地域全体を活性化させるようなステップアップの道筋を描いている。

どうしても当事者にはなりきれない葛藤を越えて

都会と地方、消費者と生産者、インターネットとリアル、ヤフー社員と漁師。僕の役割はその間に立ち続け、バランスをとりながら真ん中の成果を出すことにある。

これらの関係はどれも、成果の指標や流れる時間のスピードが全く異なる。都会や消費者、インターネットの世界では、できるだけ早く、しかも目に見える定量的な成果が求められる。ヤフーで長く働く僕にも、そうしたリズムが体に染み込んでいた。でも、東北の現場はそうではない。その土地に根ざした風習があり、都会の論理で物事を進めようとすれば一気に信頼を失いかねない。だからといって、単に現地のペースに合わせるだけでは「よそ者」としての僕の存在意義がない。常に板挟みの中で、どちらか片方に行き過ぎないようにバランスをとり続ける。これは精神的にも肉体的にも、結構堪えるんだよね。

若手漁師らと立ち上げたフィッシャーマンジャパンのメンバー。前列右端が長谷川さん、その隣が阿部勝太さんだ(撮影:平井慶祐)

頭のキレるコンサルタントみたいにズバッと一定の方向性を示した方が、前進や成果を強く印象付けられるのかもしれない。周囲からよく「(判断が)甘い」なんてことも言われる。でも僕にとっては、そう簡単に白黒つけられるような問題ではなくて、どちらの側にも尊重すべき事情がある。結果を急ぎブームで終わるのではなく、江戸時代から続く老舗の和菓子屋のように、決して爆発的に売れるわけではないけど長く愛される。そんなじわっと伝わっていくようなものを後世に残す。それが、僕にとっての真ん中の成果だ。

それと、最近よく思うことがある。それは、これだけ仲間と一緒に漁業を盛り上げようと力を尽くしても、結局僕は最後まで本当の意味で「当事者」にはなれないのではないか。墓は生まれ育った関東にあるし、きっと一緒に海の上で死ねるわけではないんだよね。そういう葛藤やうしろめたさが、心の奥底にずっとある。最後の瞬間まで責任と覚悟を背負ってやり遂げるのは、そこに根を張って生きる人たちだ。そんな人たちと一緒に仕事をしているわけだから、当然だけど生半可な気持ちでいていいはずがない。

同時に思うのは、僕はヤフーが好きだということ。まだ未熟な若い頃に中途採用で拾ってもらった恩があるから、会社に貢献したい思いは強い。ただ、僕にはシステム開発やデザインなど特に秀でた専門的なスキルがあるわけではない。しかも、インターネット業界は日々めまぐるしく変化している。若い社員がどんどん台頭し、社内で重要なポストに就くようにもなっている。かといって、漁師のように海に出て魚を獲れるわけでもない。ヤフーとフィッシャーマンジャパンの二足のわらじであり続けることは、僕自身の生活がかかった死活問題であり、同時に「長谷川琢也」こその価値だと思っている。だからこそ、これからも会社の内と外から刺激を与えられるような”変わったヤフー社員”であり続けたい。

愛と運、縁と恩の「あいうえお」で生きる

僕の活動を知った母親からある日、「あんた、運命ね」と言われたことがある。小さい頃は魚が嫌いで食べられず、泳ぐこともできない僕が漁業に関わるなんて、運命とは程遠いはずなのに…。でも、母親の言う通り、やはり運命だったのかもしれない。先日亡くなった祖父は生前、戦後の混乱期でいろんな商売をする中で、石巻に魚を仕入れに行ったことがあると聞かされた。また、祖母は漁師の娘だったそうだ。結果論、後付けと言われればそれまでだが、僕の体のどこかに漁業のDNAが流れていたのかもしれない。

僕はこれからも「あいうえお」で生きていく。「あい」は愛、「う」は運、「え」は縁、「お」は恩。これを大事に、という思いからだ。何のゆかりもなかった東北に飛び込ませてもらい、生まれも育ちも職種も異なる僕を受け入れてくれた魅力的な石巻の仲間たち。漁師や漁業との運命的な出会いにも恵まれた。不思議な「運」や「縁」だ。そして、「漁業で東北を、日本を盛り上げる」。そんな気持ちが心の底から湧き上がり、素直に体が反応した。「愛」で道を切り拓いたわけだ。そんな人生の道標を示してくれた人たちへの「恩」を胸に刻み、これからも「漁業」という自分のやるべきことを全うしていきたい。