【Beyond 2020(18)】「3つの自給率」で豊かな暮らしを。岩手NPOリーダーが描く地域戦略

NPO法人いわてNPO-NETサポート 事務局長 菊池広人

1978年、岩手県盛岡市出身。早稲田大学卒業後、スポーツ関係のNPOを経て2007年にUターンし、NPO法人いわてNPO-NETサポート(北上市)で市民活動の推進やまちづくり事業などに携わる。東日本大震災後は、大船渡市や大槌町、釜石市における仮設住宅の運営支援など数々の復興関連施策を展開。2011年4月、NPO法人いわて連携復興センターの立ち上げに参画し、県内のNPO同士の連携強化や情報共有を進める環境整備などにも奔走した。現在は、大船渡市における災害公営住宅の運営支援などを継続する一方、高校生を対象にした地域課題解決型学習プログラムの制度設計などにも関わっている。東北学院大学(仙台市)の特任准教授、大船渡市市民活動センターのアドバイザーなども務める。 

ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー

「マーケティング4.0」が一気に顕在化した

NPOなどの「ソーシャル業界」で、ごはんを食べる人が何十倍にも増えた。このことが、震災後の岩手をはじめとする東北で生まれた、目に見える大きな変化だろう。

それまでは、地域のコミュニティやまちづくりなどに関わるプレイヤーは高齢の世代が中心だったし、僕らの同世代でもソーシャル専業で生計を立てている人はごく一部に限られていた。しかし、今はソーシャルに関わるプレイヤーの数が増え、年代が広がり、さらに趣味や副業ではなく生業にする。そういうソーシャル人材が一気に増えた感覚がある。また、僕らよりも若い20〜30代もそんなソーシャルの領域に一気に流入してきた。ソーシャル業界や地域づくりに対する関わり方に、多様性が生まれたのだ。

それにしても、なぜこんなにもソーシャル業界に多くの人が流れ込んできたのか。背景には、社会全体に流れる価値観や志向の変化があるのだと思う。

マーケティングの歴史を紐解くときに使われる「マーケティング1.0〜4.0」という考え方がある。これは、時代の変化とともにマーケティングの意味合いが変わってきたことを示すものだ。メーカー主導・製品中心の「マーケティング1.0」、顧客起点・消費者志向の「2.0」、そこに社会的価値を加えた価値主導の「3.0」、そして新たに生まれた「4.0」。この「4.0」は、顧客の「自己実現」を後押しするという意味だ。

つまり今、社会の価値観は「自己実現」や「自分らしさ」を求める時代へと移り変わっている。特に若い世代を中心に広がっているのは、バブルの時代にあった「人より高価なモノを所有したい」という願望ではなく、「自分らしさとは何か」を志向する流れだ。そうした社会全体の価値観の変化が震災を機に一気に顕在化し、「自分らしさ」や「自己実現」に目覚めた人が数多く生まれたのではないか。

縦横無尽に動き回る「個」の出現

そうした「自己実現」や「自分らしさ」を志向する社会において今、「個」が果たす役割と可能性が広がっている。フリーランスで働く人が増えているのは最たる例だろう。彼らは企業など特定の組織に所属せず、専門性やマルチなスキルを駆使して縦横無尽に動き回り、いろんな仕事に携わっている。しかもそこには、「組織の一員」である以上の大きなやりがいや手応えがあるケースが少なくない。こうした「個」としての存在意義が、社会の中でどんどん大きくなっている。

そして、そんな自己実現を叶える場所として「地方」が注目されるようになった。これまで地方に住む人にとっての自己実現は多くの場合、上京して一山当てることだった。でも、これだけ情報インフラも発展していれば、必ずしも東京での生活や仕事に縛られる必要はなくなっている。東京では高い給料が得られるかもしれないが、そうした経済規模や金融資本の論理を除けば、すでに東京は昔のような「自己実現の町」ではなくなっている。むしろモノやサービスが東京のように溢れていない地方の方が、「自分らしさ」を叶えられるゾーンが大きいのではないか。そう考える人が増えていると思う。

社会にインパクトを残すために何が必要か。その目的やビジョンを共有する「個」同士がつながってチームをつくり、課題解決にアプローチする。震災後の東北にはそういうスキームが数多く生まれた。その必要性や機運はこれから、東北に限らず社会全体でますます高まっていくだろう。

政策形成や仕組みづくりを行うNPO

ソーシャル人材の流入とともに生まれた変化に、NPO自体の活動領域が広がったことも挙げられる。震災前は、行政など特定の顧客から資金を調達し、それをもとに活動テーマや区域を限定して取り組むケースが多かった。それが今、色々な顧客から地域をまたいで資金や仕事を獲得し、さらに単なる請負や後方支援ではなく、政策形成や仕組みづくりにも関与するようになった。

大船渡市で生まれた仮設住宅の運営支援モデルはその後、大槌町と釜石市へと広がった。

長洞団地担当の支援員たち。大船渡市、大槌町、釜石市の3市町で約300人の地元雇用を生み出した。

僕らも内陸部にある北上市に身を置く立場でありながら、震災後は被災沿岸部でコミュニティづくりを中心に数々の支援事業を行ってきた。後に「先行モデル」として被災各地で注目を集めた、大船渡市における仮設住宅の運営支援はその代表例だ。

被害が大きく対応が難しい大船渡市に変わり、北上市と連携して実施したこの事業では、国の緊急雇用創出事業を利用して市内の仮設住宅に常駐する「支援員」を地元で雇用。個別訪問をしながら住民の悩みや困り事を拾いつつ、さらにコールセンターも設置して相談や問い合わせを集約するなど、住民の過ごしやすい環境づくりに取り組んだ。この運営モデルは後に、大槌町と釜石市に横展開され、計300人ほどの雇用を生むことになった。この事業で僕が一貫してこだわったのは、多くの地域で活用できるように運営方法を仕組み化すること。そして、外部の支援に頼り過ぎず、地域住民が主体的に復興や地域づくりに関わる体制づくりだった(過去の記事はこちら)。

仮設住宅に暮らす住民からの悩み相談や問い合わせをコールセンターに集約。効率的な運営に役立てた。

岩手県は震災前から年間1万人ほど、約1%ずつ人口が減少していた。今回の震災は、そんな中で起きてしまった。だからこそ、市町村の消滅を防ぐためには元に戻すのではなく、新しく地域コミュニティをつくる必要がある。そのためにも、住民1人ひとりが自分の意思と足で、小さくても自ら前へ一歩踏み出すことが重要だ。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

持続可能な地域に必要な「3つの自給率」

「持続可能な地域」とは、果たして何だろうか?よく耳にする言葉だが、ふわっとしていて捉えどころがない。僕が言い換えるなら、それは「未来を考え続ける地域」だ。常に1人ひとりが「この場所をどうしたいのか」「自分は地域とどう関わっていくのか」と考え続ける。地域・コミュニティは「人の集合体」で、人とは「人生」、人生とは「生活と行動の連続」だ。つまり、生活と行動を前向きにする。そのために必要なことを考え続ける。そういう小さな積み重ねの先に、持続可能な地域や社会があるのではないだろうか。

そうした中で、地域がとるべき戦略は何か。僕は「食料」と「エネルギー(電力)」、そして「楽しさ」の3つの自給率を高めるべきだと提唱したい。特に「楽しさの自給率」は一長一短に高められるものではないが、だからこそ重要な要素だと考えている。ここでいう「楽しさ」とは、東京のように大量消費することで得るものではなく、自ら生み出すものだ。スホマゲームやパチンコに没頭するのではなく、地域の祭りを盛り上げたり、商店街でイベントを企画したり、そういうことで得られる楽しさを自給できるようになる地域こそ、持続可能なコミュニティになっていくと思う。

僕はかつて「岩手県が日本の地方で初めて人口減少を止める県になる」と目標を語ったことがあるが、「楽しさ」を筆頭にこの3つの自給率を高めていけば、岩手らしい豊かなライフスタイルがつくられ、地域の資源に合わせた暮らしやすい人口規模に落ち着いていく。自ら生み出す「楽しさ」をどう地域で循環させていくか。これが地域の将来を占う鍵になるのではないだろうか。

コミュニティとは「昔ながらの八百屋」

人はきっと、誰かに必要とされている限り、生きていけるはずだ。僕はいつも誰かの手助けを必要としているし、一方で他の誰かも僕の助けを必要としてくれている。何もそういう人たちをたくさんもつべきだと言っているわけではない。目の前にいる1人や、近くにいる1人…遠くを見過ぎず、身近なところに目を向けてみればいい。そして、そういう関係性が仕事やお金に変換され、地域の中で循環する。コミュニティの土台にあるのは、そうした昔ながらの八百屋のような小さな商圏なはずだ。

北上市で住民約1600人が暮らす口内地区。ここでは住民が支え合う独自の自家用車の乗り合い事業を行っている。また、地域内に個人商店がなくなってしまったら、住民でコミュニティストアの経営もスタートした。そもそも商売にならないから事業者が撤退していく地域であったため、単独で収支を合わせることは難しい。しかし、地域の様々な事業の事務局を集中させ人件費を確保したり、農業やNPOなど地域で本業をもつ人が少しの仕事の時間を割いて支援するなどして、地域で必要なビジネスを成り立たせている。

僕は「地域・コミュニティは人の集合体」と言ったが、高齢者や障害者、外国人、子ども…みんながそれぞれ役割をもち、支え合う関係性が地域コミュニティの中でサービスやビジネスになる。そこに暮らす人が役割や希望をもてる社会じゃないと、人が幸せに生きていくことはできないだろう。そういう土台なき上っ面の技術革新は非常に脆い。モノやお金などの資源はこれから、そうした小さくても支え合う土台の部分にもっと回す必要があるだろうし、実際に社会の流れはそうなっていくと思う。

悲劇を刻んだ若い世代のリーダーを

今、僕が最も関心を向けていることの1つに、「次世代のリーダー」の育成がある。震災から6年半が過ぎた。これから少しずつ月日を重ねていく中で、当時の悲劇を身をもって経験していない世代が少しずつ増え、やがて大人になっていく。つまり、現在の高校生や大学生はあの震災の生々しい記憶を心に刻んだ最後の世代と言ってもいいだろう。この世代の中から、新たなリーダーが生まれるような状況をつくっていかないといけない。

大船渡高校で実施している地域課題探求型プログラム「大船渡学」

黒沢尻北高校でも類似の学習プログラム「きたかみ世界塾」を実施。この日は、自ら考えた体を動かす遊びの方法を保育園で実践した。

僕は今、県内の高校や大学で様々な人材育成プロジェクトに関わっている。例えば、大船渡高校が実施している「大船渡学」や黒沢尻北高校(北上市)の「きたかみ世界塾」などの地域課題解決型学習プログラムがある。東北学院大学でも、必修科目として地域課題に関する授業をしている。

これらは単に地域のことを学び、地域に貢献する人材を育てることが目的なのではない。むしろ地域に縛られず、広く社会にインパクトを残すにはどういう仕組みや構造が必要なのか。自分はどんな役割を担えるのか。そういった普遍的なスキルや価値を「地域」という小さな実社会をフィールドにして体感し、学んでもらうことに主眼を置いている。

これまでの日本社会や地域コミュニティを支えてきた僕たちの上の世代が引退していく将来、持続可能な地域コミュニティを支え、次の世代によりよい社会を継承していくこと。これが僕の使命だと思っている。今後、同じような思いを抱く同年代や下の世代のライバルがどんどん増えてきてほしい。お互い対等な関係で切磋琢磨しながら、でも困ったときには助け合いながら。そうやって持続可能なコミュニティ・地域を一緒に実現させていきたい。