【Beyond 2020(17)】福島から社会を変えるリーダーを。震災6年でつかんだ人材育成への確信

一般社団法人Bridge for Fukushima 代表理事 伴場賢一

1970年福島県生まれ。大学卒業後、銀行員として勤務した後、国際NGOに転職してカンボジアやザンビアなど途上国の緊急支援・開発援助などに長く携わる。東日本大震災の発生直後に帰国し、数日後に現地入り。福島市や南相馬市、相馬市などで緊急支援物資の配布やボランティアツアーの企画、県内NPOと企業とのマッチング支援などに奔走。2011年5月、一般社団法人Bridge for Fukushimaを設立。長期化する復興には将来を担う若い世代の活躍が必要と考え、新たに県内の高校生を対象にしたリーダー人材育成プログラムを開始。学校やNPO、企業などと連携しながら、様々な社会課題解決プロジェクトを立案・実施している。このほかにも、県内で復興支援や社会課題解決に取り組む事業者に大学生を送り込むインターンシップや、起業家を育成するプログラムなども実施。また、東京などの企業を対象に、リーダーシップを養うための社員研修ツアーなどにも取り組んでいる。

ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー

「復興」とは何か。5つの指標で定義

震災からの約6年間、ずっと考え続けていたことがある。それは、「復興」とは何か、どういう状態になれば復興したと言えるのか?ということだった。僕らは5つの指標で「復興」を定義することにした。

その5つとは、道路や港、住宅など主にインフラ整備の「物理的復興」、個人において経済的・心理的に自立した状態を指す「人的復興」、復興特需を終え自立した経済が循環した状態の「経済的復興」、地域の文化やコミュニティの再生などを意味する「社会的復興」、そして森・海・川などが自然の状態に戻る「自然の復興」だ。この5つがすべてそろって初めて、「復興」と言えるのではないか。

同時に、時間軸で今置かれている状況も確認しておきたい。東北全体で捉えると、今は震災直後から続く「緊急支援期」から「復興期」に移行するフェーズにある。緊急支援期に外部から大量に入ってきた社会資本・リソースをもとに、新しいビジネスや人材、仕組みなどが生まれてくる。そうなることで初めて「あ、復興したな」と力強く思えるようになるのではないか。そうした新しいうねりが生まれている地域もあれば、そうでない地域もある。復興期を迎えている今こそ、新しい仕組みづくりや人材育成にもっと多くのリソースを注ぎ込むべきだろうと思う。

福島はどう進むのか。ディレクションが必要だ

ただ、この観点で言うと、福島県はまだ「復興期」に辿り着けてないと思う。他県に比べて原発事故の影響が大きく、帰還困難区域を含む沿岸部の12市町村を中心に、復興に必要な5つの要素が圧倒的に破壊されてしまった。沿岸部を除く県域全体で捉えても、復興期にあるべき「新しい仕組み」がまだつくり切れていない印象がある。

「新しい仕組み」とは、例えば地元の企業や住民などを主体とする「福島発」の活動が生まれ、広がることだ。震災から6年半という今の時期に、地元の人たちが「福島変わったね」と思えるものが生まれていてほしかった。小さな芽はたくさん出てきているが、全国に大きなインパクトを与えるようなスケール感のある「新しい仕組み」は、まだ見えてこない。

震災直後に帰国し、県内各地で緊急支援物資の配布やボランティアツアーを企画してきた。

果たして、何が足りないのか。それは、福島がこれからどう進むのか。そのビジョンをまだ描き切れていないのが一因だと思う。例えば、2005年にハリケーン「カトリーナ」に襲われた米ニューオリンズは今、「起業の町」などと言われ、見事な復興を遂げている。僕も何度か現地を視察したが、彼らは行政や企業、NPO、住民などのマルチステークホルダーで「復興に必要なもの」を徹底的に議論した。そこで町全体で将来のビジョンを共有したことが、その後の復興で重要な鍵を握ったという。東北の被災地では、女川町がいい例だろう。彼らも公民が一体となって復興ビジョンを描き、今は「お金稼ぐぞ」といった感じで町全体が同じ方向を向いている印象だ。その結果、交流人口が増えている。

原発事故の影響が色濃く残る福島県の場合、女川町などとは復興の時間軸は異なるが、進むべき道や将来像について議論し、みんなで一致させるステップは同様に必要なはずだ。行政から企業、NPO、住民などまで、マルチステークホルダーで協力して推進する。福島には改めて今、そうしたディレクションが問われているように思う。

企業は今こそ支援を、NPOはインパクト評価を

僕らは、震災直後から県内各地へ支援物資を配布したり、ボランティアツアーを企画したりしてきた。また、県内NPOと企業とのマッチング事業や、東京などの企業向けに被災地を巡る社員研修ツアーなどにも取り組んでいる。こうして数多くの企業やNPOと関わってきたが、6年半経った今、企業の皆さんからの支援や活動に対して強く望むことがある。それは、フェーズに合わせた「変化」だ。

課題が山積する福島を舞台に、リーダーシップなどを学ぶ社員研修ツアーを実施している。

首都圏の、特に大手企業の皆さん。緊急支援期における企業の支援は迅速で、その役割は非常に大きかった。ただ、震災から3年、5年と節目に合わせて活動が途絶えるようになってきている。ただ、実は企業がもつリソースは、次のフェーズの「復興期」における新たな仕組みづくりにこそ最も生かすことができるはずだ。つまり、企業の役割は今こそ必要とされているのだ。そのことに、目を向けてもらいたい。

次にNPOだ。これからは、それぞれの活動が復興支援にどれだけ寄与したのか、社会に対してどれだけインパクトを与えているのか。その成果をしっかりと評価し、外部へアピールする必要があるだろう。例えば、「視察やワークショップに◯人が参加した」といった「実績」だけでなく、参加者のマインドがどう変わったのか、またそれによってどんな新しいネットワークが生まれたのか。国も民間企業も個人も、支援や寄付をずっと続けてくれるわけではない。そういうインパクトを評価することが重要で、それによってNPO自体のクオリティも高められるだろう。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

リーダー人材のコミュニティが生まれる「圧倒的な確信」

僕には「圧倒的な確信」をもって描ける10年、20年後の復興後の未来がある。それは、僕らのリーダー人材育成プログラムを経験した高校生たちが、福島や日本、そして世界各国で社会課題の解決に次々とトライしている姿だ。

福島高校の生徒らが取り組んでいた、温泉水の地熱を活用した養殖実証事業。

福島市にある温泉では、福島高校の生徒らが温泉熱を使った好適環境水による養殖技術を実用化するための実験を行っていた。好適環境水は海水魚と淡水魚の双方の生育に適していて、同じ水槽で育てることができるなど様々なメリットがあるといわれるが、養殖には適温をつくるために石油などの燃料が使われており、それを温泉熱を使うことでコストも抑え、環境にも負荷がない仕組みをつくっている。

また、海を隔てた中国にも福島の高校生は行き来している。中国の高校生と交流するプロジェクト「あいでみ」だ。中国を訪問して「教育」や「食の安全」などをテーマに現地の高校生と議論したり、中国から来日した高校生とともに県内の被災現場を視察したりと、交流を続けている。

これらはいずれも、僕らが行っている高校生を対象にしたリーダー人材育成プログラムから生まれたものだ。長い歳月を要する復興には、若い世代の力が必要ーー。そんな考えから始めたこのプログラムは、自ら地域の課題を発見し、ディスカッションなどを通じて課題を解決する「Project Based Learning」(プロジェクト型学習)で、これまでに20以上のプロジェクトが生まれている。この活動や経験を通じて、彼/彼女たちには社会課題を解決するためのプロジェクトをつくること、つまり「社会をよくしよう」と思い、行動することが「当たり前のこと」になっていく。

国境を越え、中国の高校生と互いに交流する「あいでみ」では、教育など様々なテーマで議論したりしている。

きっと、その影響からだろう。今、海外へ留学する県内の高校生が増えているのだ。例えば福島高校では、震災前は卒業後に海外の大学に留学する子はほとんどいなかったのに、直近の4年間で6人が留学。しかも全員、僕らの団体と関わった高校生たちだ。さらに、僕らが県立高校で講師として授業を行うなど、公教育との連携も生まれてきている。これも震災前には考えられなかったことで、非常に大きな意味があると思う。

僕らはこの人材育成プログラムを通じて、毎年100人くらいの高校生と関わりをもっているが、例えばその中から毎年10人ずつ社会を変えるようなリーダーが生まれ、それが10年、20年と積み重なっていけば、非常に厚みがあり、バラエティに富んだ、そして福島を背負って立つような人材のコミュニティが間違いなく生まれているはずだ。これはもう「圧倒的な確信」だと胸を張って言える。

社会課題解決プロジェクトに、偏差値は関係ない

このリーダー人材育成プログラムを通じて、もう1つ強く確信するようになったことがある。それは、高校生をはじめとする若い世代に必要なことは、「考える機会や視点」ということだ。それを適切に与えることができたとき、彼/彼女らは僕らの想像をはるかに超える進化や成果を出してくれるのだ。

だが、今の教育システムはむしろその逆を進んでしまっているように見える。例えば、高校受験だ。その最大の弊害は、自己肯定感の低さを助長することにあるのではないか。自分たちが高校に在学しているとき、自分の高校以外の同年代や、学校と家以外の大人と日頃から付き合う機会はあまりなかったのではないか?地方は特にそれが顕著で、高校の偏差値・ランクで階層が分かれ、交流が分断されてしまう。例えば、福島では進学校である福島高校の生徒と、農業・工業系の高校生がどこかで重なり合うようなことはほとんどない。劣等感からか、「福島高校の子とは(恐れ多くて)話せないよ」などと言う子も少なくない。そんな状況下で、福島で何か「新しい動き」が起きることはまずないと思う。

温泉水の地熱を使った養殖実験は2017年、高校生が社会課題の解決策を競う「Forbes JAPANソーシャルビジネスアイデアコンテスト」で大賞を受賞した。

でも、僕らがやっている高校生向けの社会課題解決プログラムは、学校の名前や偏差値の垣根を一切取っ払うことができる。プロジェクト形成に必要な視点や分析手法などを提供すれば、みんな自分の視点でしっかりとしたプロジェクトをつくれるようになる。「課題を発見する」「プロジェクトを企画・実践する」。このことにおいては、学校の成績は全く関係なくなるのだ。

もう1つ、言いたいことがある。それは、高校生が数合わせの単なる「駒」のように扱われてしまってはいないか。そういう危惧と懸念がある。都心の大学の定員を削減して、地方に分配しようといった議論は最たる例だろう。地方行政の多くが、それを歓迎するような反応を見せてはいないだろうか。単に都会への人口や頭脳の流出を避けて、地方にとどめさせておこう。そういう考え方に見える。それでは、例えば30年後に、子どもたちが持っている可能性を最大限に伸ばすことにはならない。ただでさえ人口がシュリンク(縮小)している若年層に対して、さらに1人ひとりの能力もシュリンクさせてしまうようなことでは、明るい未来があるとは到底思えない。重要なのは、個人がその能力を最大限に生かして活躍できる社会をつくることであって、僕たちのように地方で教育に携わる人たちも、地方でも高いレベルの教育を行える状況を担保することを目指すべきだ。

「この子たちのために、やれることは何でもやる」

「伴場さん、私、子ども産めるかな?」。(放射線被害への不安から)ある女子高校生に言われたこの言葉が、今でも頭から離れず、思い出すと涙が流れてきてしまう。これを聞いたとき、「僕ら大人は、なんてことをしてしまったんだろう」と恥ずかしく思った。こんなこと、絶対に言わせちゃいけないよね。しかも、県内には高校生だけでも約2万人いて、そう思ったのはきっとその子だけではない。あの瞬間は、本当にきつかった。そんな辛い状況にいるはずの子どもたちが、「社会のことをよくしたい」「福島を盛り上げたい」と真っ直ぐな思いをぶつけてくる。僕は大人の責任として、「この子たちのために、やれることを何でもやる」。そう心の中で決意した。僕にとっては、あの言葉が活動の原点になっているのかもしれない。

アフリカから帰国した約6年前、こんな自分の姿は想像していなかった。きっと今頃、海外に戻って途上国支援に携わっているはずだった。僕のキャリアは福島のためではなく、途上国のためにつくってきたものだと思っていたし、そのために必死に勉強し、苦労してきた。でも今は、途上国には「いつか戻ればいいかな」くらいの感覚に変わってきた。それは、”すごい”高校生や大学生の姿を目の前で何度も見せつけられたから。それによって、福島で僕がやるべきことが見えてきたからだ。

今、僕が途上国の開発援助の仕事に戻るより、人材育成プログラムで出会った高校生・大学生の顔をパッと30人くらい思い出したときに、その子たちが将来成長したときの能力と僕1人の影響力を比較したら、その30人を50人、100人に増やすことの方が社会にもっと大きなインパクトを与えることができる。そう強く信じることができるようになった。それほど、高校生・大学生の人材育成には強い手応えと価値を感じている。ここで育った高校生や大学生が将来、福島や日本、世界の課題解決にチャレンジしている。そんな状況をつくり出すことが、今僕に課せられた役割・存在意義だと思っている。