【Beyond 2020(16)】地域×企業の共創プロデューサーが夢見る震災後の新しい時代

一般社団法人新興事業創出機構(JEBDA)理事長 鷹野秀征

1965年、山梨県甲府市生まれ。名古屋工業大学大学院修了。外資系コンサルティング企業のアクセンチュアで10年勤務後独立し、2001年からNPOやCSR、社会起業家の支援などに携わる。2010年、コンサル会社・ソーシャルウィンドウ(東京)の社長に就任。東日本大震災後は、復興庁上席政策調査官(非常勤)を務めるとともに、2012年5月に一般社団法人新興事業創出機構(JEBDA)を設立。被災各地域で大手企業による支援活動をコーディネートし、行政と企業、住民らが一体となって地域を活気づけ、新たな産業を創出するプロジェクトをプロデュース。岩手県釜石市や宮城県山元町、女川町などで活動を継続中。公益財団法人パブリックリソース財団(東京)、NPO法人りあすの森(宮城)の理事も務める。

ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー

自治体と大手企業などが手を組む共創モデル

震災後の東北の各地域で新たに生まれたもの。それは、行政や企業、NPO、大学、住民など多様なプレイヤーが地域の課題を解決するために協働する「共創モデル」ではないだろうか。企業同士が協力・提携するジョイントベンチャー(合弁企業)などはあったが、異なるセクターが立場を越えて一緒に手を組むことは、従来にはなかったことだ。震災によって過疎化や働き手の減少、産業衰退などの課題が一気に押し寄せた東北は、日本の未来の縮図だ。多様なプレイヤーが知恵を持ち寄り、震災復興に挑むモデルは、復興にとどまらず今後の日本社会に求められることでもある。

釜石市、日立製作所との3者で地域活性化を目的に協定を締結。連携を強め、さらに活動を強化していく(右が鷹野さん)

釜石市では、JEBDAとともに協定を結ぶ日立製作所がITの技術を使って水産業支援を実施。

私たちはそのために、各地で自治体や地元企業と、都会の大手企業をはじめとする外部のリソースをつなぎ合わせ、産業を核に復興、そして地域振興を進めるためのプロデュースを続けてきた。例えば、岩手県釜石市と日立製作所との取り組みがある。日立製作所は震災2年後から、同市でITの技術を使って漁協や水産会社のHPや業務管理システムを改善する支援などをしてきた。私たちは両者の間にコーディネート役として入り、その後も様々な支援活動を行っている。そして、2016年6月には3者で協定を締結し、地域活性化のための連携をさらに強化していくことにした。

このほかにも、宮城県山元町ではイチゴを栽培する農業生産法人GRAらと組んで次世代農業の育成に、同県女川町でも行政や大手企業と連携して交流人口を増やす活動などに取り組んでいる。東北各地に今、こうした新しい共創モデルが続々と生まれているのだ。

内発的動機から生まれたCSRがCSVに進化

特に、都会の大手企業が地方と密に関わる動きは非常に新鮮で、CSRの質が従来とは明らかに変わった。私は企業のCSR活動がまだ黎明期だった2000年頃から、CSRのコンサルティングに携わってきた。ただ、当時のCSRは法令遵守など義務的な要素が強く、周囲の外圧によって動かされていた面がある。

しかし、震災を機に広がったCSRは外圧ではなく、内発的な動機に裏付けられたものだった。ボランティアとして現地に入った社員が「どんどん(CSRを)やるべきだ」と経営陣を突き動かし、一方で経営トップも自ら旗を振り、支援活動を引っ張った。実際、各企業の復興支援チームは社長直轄の部署として組織化されたケースが多かった。

そして6年半経った今も、活動を続けている企業は少なくない。彼らの考え方は次第に、CSRからCSVへと変わり、活動を継続することが自社のビジネスにプラスになると考えるようになった。

被災してもなお、不眠不休に近い状態で必死に走り続ける住民の姿。そんな過酷な状況にも関わらず、見ず知らずの企業を一生懸命もてなしてくれる姿勢。これまで売上げなどの数字しか追いかけてこなかったような営業マンたちが、その姿勢に心を突き動かされた。

同時に、地域や社会のために役立つことが自社の利益になることに気がついた。社会貢献に熱心な会社の姿勢は、社員のモチベーションや帰属意識を高める。また、行政や住民をはじめ地域との信頼関係ができれば、その場所を起点に新しいビジネスチャンスや販路を拡大できるかもしれない。このように、従来のような売上げなどの経済価値偏重型のビジネスと、社会価値偏重のCSRを融合した戦略的なCSR、つまりCSVの活動が広がっている。

「B to B to C to S」の距離を縮めよう

企業はもっと地方の仕事を経験するべきだ。地方には、消費者と顔の見える関係をつくるヒントがあるからだ。

企業規模や組織が巨大化すればするほど、末端の消費者との距離は離れやすくなる。次第に消費者の顔が見えづらくなっていく。そんな状態で、果たして消費者のニーズや期待に応えられるような商品・サービスを開発することができるだろうか。

民間企業との連携が活発な女川町。ここでも精力的に活動中だ(右が鷹野さん)

多くの企業に今求められているのは、消費者との距離をもう一度縮めることだろう。その感覚を取り戻す一番の近道が、ステークホルダーや消費者との距離が近い地方の仕事をすることだ。小さな商圏に身を置くことで、自社の存在意義や社会における役割を再確認できるようになるはずだ。そして、B to B to Cのさらに先、B to B to C to S(Social)、つまり社会課題を起点にビジネスを考えるという商売の原点を見つめ直す機会にもなるだろう。

同時に、これだけ時代が目まぐるしく変化する中では、「一次情報」を握っていることがビジネスにおいても強みになる。今はインターネットやSNSを介して誰もが簡単に情報を手に入れられる時代だ。ただ、それらの多くは2次・3次情報だ。他者のフィルターを通すことで情報の信頼性や精度は下がり、誤って伝わってしまうケースもある。

だからこそ、時代の変化を正確に捉えるには一次情報を握ることが大切だ。変化に取り残されることは致命傷になりかねない。特に大企業は組織が大きい分だけ動きが鈍くなりがちだ。変化に疎いと、ベンチャー企業にどんどん追い越されてしまう。現に、民泊サービスのAirbnbはわずか10年弱で時価総額が3兆円ほどに達している。これは、長い歴史をもつ日本の有名企業に匹敵する水準だ。

地域や社会との距離を縮め、一次情報に触れながらビジネスを考える。こうした取り組みから、消費者に必要な新しいサービスが生まれてくるのではないだろうか。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

東京一極集中から、地方主権の時代へ

震災から6年半が経った今、地域活性化に必要なものとして改めて痛感しているのは、「産業」の重要性だ。言い換えれば、自立的に「稼げる地方」になることが求められている。これは震災復興に限らず、全国の地方創生においても核心となる要素だ。

大量消費や合理化が進み、全国どこへ行ってもチェーン店ばかりの同じような町並みが増えているように思う。日本全体が同質化し、同時に東京一極集中が加速する。それは、この国の多様性を弱めることになる。

東京一極集中ではなく、地方分権でもなく、地方主権の時代をつくろう。これまで地方は中央に押し付けられ、搾取され続ける歴史を歩んできた。それを変えるのだ。地方が現場から必要なことをどんどん発信して、国を突き動かし、政策を変える。そういう関係性をつくっていくべきだ。

イチゴを栽培する農業生産法人GRA(宮城県山元町)とともに、次世代農業の育成に取り組んでいる。

地方が主権を握るためには、やはり「稼ぐ力」をつけることが必要だ。補助金に頼るのではなく、自ら稼げる仕組みをつくる。そのためには、地域をオープンに開いて、多様な人を受け入れられるかどうかが鍵を握るだろう。異なる価値観をもつ人を迎え入れることで、これまでになかった新しい視点や文化が生まれ、それが魅力となってさらに人が舞い込んでくる。そういう循環をつくるのだ。

私たちはそのために、自治体×大企業×中小ベンチャー企業による新たな枠組み「地域イノベーションエコシステム」の構想を練り上げた。地域をイノベーションを起こすための「実験フィールド」とし、そこに大企業が人やモノ、金などのリソースを提供。さらにそれだけでなく、中小のベンチャー企業やコンサルタントなどのプロフェッショナルな人材も掛け合わせ、相互に連携しながら新しい事業や産業を地域内で構築するシステムだ。

山元町では、交流人口拡大や観光推進を目的としたイベントも主催するなどしている。

これにより、自治体にとっては新しい地域産業の創出が期待でき、大企業は新規事業のネタを低リスクで小さく実験できるメリットなどがある。そして、新規事業のアイデアはあっても資金力やマンパワーなどに乏しい中小ベンチャー企業にとっても、大手企業とタッグを組めることは魅力だろう。それぞれのプレイヤーが得意分野を持ち寄り、弱い部分を補強し合う。今後はそうやって地域を「オープンイノベーションフィールド」として活用する取り組みを加速させていく。

それぞれの地方が主権を握り、「自分たちはこうだ」と旗を掲げよう。自分たちの地域だけの「世界一」をつくり出そう。そうすれば、世界中の人々が足を運びたくなるような多様で魅力的な国になるだろう。

都市と地方、テクノロジーと共存して生きる

都市と地方、両方の暮らしを楽しむ。これからは、こうした柔軟な暮らしや働き方が広がるだろう。今までは都市か地方かの二者択一がほとんどだったが、両方を実践できた方がきっと安心で、より自分らしく生きられるのではないだろうか。

特に、農業や漁業など一次産業との関わりをもっておくといいだろう。まさに東日本大震災がそうであったように、私たちは首都圏直下型地震をはじめ大規模な災害に遭えば、衣食住のすべてを失ってしまう危険性がある。でも、例えば自分で畑仕事ができれば最低限の食料は確保できるだろうし、地方に知り合いの農家がいれば米や野菜を分け与えてもらえるかもしれない。地方の暮らしや知恵を身につけることは、生きるうえでとても大切なことだ。

行政、民間企業とともに活動している女川町は、特にイベントの際には駅前エリアを中心に多くの客で賑う。

仕事においても同様だ。今、失業したら行き場を失う。そんな危うい状況は息苦しい。ただ、地方に別の居場所や仕事があればどうだろうか。ITやマーケティングなど、地方にはないノウハウを持ち込めれば大きなパワーになれるし、地域に貢献できる。そのうち大事な役割やポジションを依頼される可能性もあるだろう。まずはプロボノを入口に、定期的に地方に足を運んでみてはどうだろうか。新しい人生を切り拓けるかもしれない。

移動コストは随分と下がり、オンラインで多くの仕事をこなせるようになった。シェアリングエコノミーもさらに加速するだろう。そうすれば、低コストで宿泊もできるし、二拠点居住も今以上に容易になるはずだ。都会と地方を気楽に行き来できる環境はますます広がっていくだろう。

AI(人工知能)をはじめとするテクノロジーの進化も、そうした多様なライフスタイルを後押ししてくれるだろう。18世紀に産業革命が始まったときは、どうだっただろうか。すべての労働力が機械に置き換わると危惧されたが、現実にはそこから新しい仕事がどんどん生まれた。同じように、今ある仕事がAIに置き換わったとしても、むしろその分、人間にしかできないクリエイティブな仕事やサービスが増えるのではないか。テクノロジーとの共存は十分可能だ。決して恐れ過ぎず、ポジティブに考えたい。私たちの暮らしは、むしろもっと豊かになるのではないか。

「戦後」から「震災後」の新しい時代を刻む

東北で沸き起こった様々なムーブメントが社会に根付き、大きく回り出す。私は2020年を、その始まりの年にしたい。これまでの活動は、あくまで種を仕込む実験段階だった。地域産業の成長、地域主権の実現、都市と地方の二拠点生活など、こうした動きを社会に定着させるための挑戦がいよいよ本格的に始まる。これからが本当の勝負、真価を問われるということだ。

私が震災復興や地域振興に情熱を注いでいるのは、この国の将来への危機感と期待感の相反する思いからだ。日本固有の故郷の自然風景や伝統文化が失われてしまうのではないか。その危機感とともに、70年以上前の戦後の焼け野原から、世界に誇る日本の文化や価値観を数多く生み出してきた「戦後復興」という輝かしい時代、それが時を経て「震災復興」という名で繰り返されるのではないか。つまり、震災後の東北から新しい時代が刻まれていく。そうした期待感が原動力になっている。

20〜30年後の東北には、アメリカの先進都市・ポートランドのように世界の人々が憧れる活気溢れる町が生まれている。同時に、戦後の時代にホンダの創業者・本田宗一郎のような偉大な経営者が生まれたように、震災後の東北で産声を上げた企業が上場して世界で活躍し、第2の本田宗一郎のような実業家が現れる。私は今、そんな未来を描いている。