【Beyond 2020(15)】どこにでもいる主婦が「社会起業家」と呼ばれるまで。悩み抜いた6年半を支えた思い

NPO法人石巻復興支援ネットワーク(やっぺす)代表理事 兼子佳恵

1971年、福島県いわき市生まれ。宮城県石巻市内の高校を卒業後、県内のバス会社に勤務。2000年、自身の子育て経験から母親向けの個別の育児相談や子どもの環境教育を軸にした市民活動を始める。東日本大震災後、出会った仲間たちと市・県外から来るボランティアのマッチングなどに奔走。2011年5月、石巻復興支援ネットワーク(通称:やっぺす、同年12月にNPO法人化)を設立。「子育て支援」「仮設住宅への支援」「担い手育成」「復興コーディネート事業」を活動の柱に据え、様々なプロジェクトを展開。仮設住宅のコミュニティ形成支援や、アクセサリーの製作・販売などを通じた女性の就業支援、女性向けの人材育成講座「Eyes for Future by ランコム」、市民が特技を生かした体験型イベント「石巻に恋しちゃった♡」、母親の居場所づくりを目的にしたコミュニティカフェ、コワーキングスペースの企画・運営などに携わる。また、企業・団体のボランティアや視察、研修も数多く受け入れている。

ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー

外部の支援に頼らず、住民主導の自立支援を

韓流ドラマが大好きな、どこにでもいるような主婦。ろくにパソコンも使えなかったそんな私にとって、すべての仕事が初めての経験ばかりだった。外から来た人からいきなり自分の住む町の現象を「社会課題だ」などと言われ、周囲を飛び交うカタカナのビジネス用語は私には意味不明の言語にしか聞こえなかった。震災後の長く険しい道のりは、そんな激動の中から始まった。

もしかしたら、こんな私でもたった1人の命でも救うことができたのではないかーー。家族と一緒に自宅に閉じこもっていた私が、町の被害の様子を目にしたのは震災から3日後だった。変わり果てた風景に愕然とし、同時にその3日間のうちに何かできることがあったのではないか。そんな後悔が一気に押し寄せた。その日から、まずは家族で家の中にある「新しいもの」を届ける支援を始め、それから市・県外から来るボランティアのコーディネートなどに駆け回る日々が始まった。

仮設住宅では住民同士が交流できるようなイベントを開くなどして、ストレス緩和や過ごしやすい生活環境を後押ししてきた。

震災の後、石巻には外からたくさんの人や支援が入ってきて、助けてもらった。ただ、いつまでも外部の支援に頼るだけではいけない。地元の人たちが自分の足で立ち上がり、主体的に復興や地域づくりに関わる必要があるのではないか。そうした「自立支援」に対する強い思いから、2011年5月に石巻復興支援ネットワークを立ち上げた。通称の「やっぺす」は、石巻の方言で「一緒にやりましょう」という意味だ。

母親を対象に開催しているパソコン講座。就業スキルを身につけたり、育児の不安や悩みを参加者間で共有するような機会にもなっているという。

「子育て支援」「仮設住宅への支援」「担い手育成」「復興コーディネート事業」の4つを活動の柱に掲げ、これまで6年間活動を続けてきた。アクセサリーの製作・販売事業などを通じた雇用創出に始まり、居場所づくりのためのコミュニティカフェや就業スキルを学ぶようなスクール・講座を運営。仮設住宅では書道や野菜収穫などのイベントを開催し、住民同士が交流する機会をつくってきた。担い手育成の観点では日本ロレアルと石巻市との協働事業の研修プログラムや、起業を支援するためのコワーキングスペースの運営などがある。東京の企業の社員研修コーディネートなども継続中だ。

順風満帆とはかけ離れた、苦悩続きの6年半

外から見ると、順風満帆に見えるかもしれない。でも、それは違う。この6年半を振り返ると、苦しいことばかりだった。

「イノベーションって何?」。外から来た支援者たちが当たり前のように使う言葉の意味が、私にはちっとも理解できない。そんな優秀な人たちと私は学歴も違うし、卑屈になることも少なくなかった。おまけに、地方には昔ながらの人間関係のしがらみがある。地域の人やボランティアの重鎮から見ればまだ若く、しかも女性である私が少し目立った発言をするだけで、ときには罵声を浴びせられたり、差し出した名刺を受け取ってもらえないことや、そもそも差し出してさえくれないこともあった。

何をどうしたらいいのか、さっぱり見当がつかない。でも、なんとかしないと。思いはあるのに、実際にはできないこと・わからないことばかりで何の成果も上げられない。そのジレンマと不甲斐ない自分に、毎日落ち込んでいた。適応障害や失語症に悩んだ時期もある。ふとした瞬間に「何やってるんだろう」という思いが込み上げてくる。そういう余計なことを考えないためにも、とにかく寝る間も惜しんでひたすら働き続けるしかなかった。

偏見や損得を越えた「人」との出会い

それでも、こうしてここまで続けてこられたのは、そんな私を信頼し、応援してくれる人たちがいたからだ。プロジェクトを現場でしっかり回してくれたスタッフたち、いろんな支援をしてくれた東京の企業の社員の皆さんをはじめ、私を信頼してくれた人たちには本当に感謝している。どんなに地位や名誉があろうとも一切偉ぶらず、偏見の目を持たず、損得を越えて純粋に「人」として接してくれる人たちばかりだった。「1人ではできないことも、賛同者が集まればできるんだよ」「ときには途中でつまずいたり、立ち止まってもいいんだよ」。そんな風に言われている気がして、とても勇気付けられた。

私たちが取り組んでいる活動はどれも、私の子育て経験などから「こんなものがあったらいいな」と思うアイデアを実現してきただけに過ぎない。でも、そうやって表面化しにくい小さな声を拾い上げ、少しずつ積み上げていくことはとても大切だと思う。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

「特別な誰か」ではなく「普通の誰も」が輝ける場所

震災直後から、ずっと変わらず願い続けていることがある。それは、すべての人が主役になれる地域、そして社会をつくりたい。そういう思いだ。

大切な人たちを失い、夢や希望、まして未来なんて言葉を想像することさえ苦しかったあの日の出来事。そんなマイナスの状況から這い上がろうとしているとき、メディアに注目され、周囲から賞賛されたのは外から来た復興支援のリーダーたちだった。住民に光が当てられることは少なかったのだ。だからこそ、誰もが主役になれる場をつくりたい。「特別な誰か」ではなく「普通の誰も」が、「大人」であろうが「子ども」であろうが、「男性」であろうが「女性」であろうが、バックグラウンドがあろうがなかろうが、そういう区別を一切無視して、「何かしたい」という思いを応援できるような地域をつくっていきたい。

住民を”達人”と称し、多彩な体験プログラムを行う恒例の「石巻に恋しちゃった♡」。寒天づくりは人気プログラムの1つだ。

そんな思いで企画したのが、2013年から開催している「石巻に恋しちゃった♡」だ。趣味や特技をもつ一般の住民たちを”達人”と称し、お菓子や家具などのモノづくりから楽器演奏やツーリング、写真撮影などのフィールドワークまで、多彩なプログラムを体験してもらうイベントだ。”達人”と体験プログラムの数は毎回増えており、節目の10回目(2017年11月開催)は103人の”達人”、100個のプログラムがエントリーした。”達人”の中には、これをきっかけに自らイベントを企画したり、起業したりするケースも生まれている。

日本ロレアル、石巻市との協働事業として実施している「Eyes for Future by ランコム」は、5年間で受講生が140人ほどに達している。

日本ロレアルと石巻市とタッグを組んで展開している女性の人材育成・起業家支援プログラム「Eyes for Future by ランコム」も、活動を通して新たな広がりを見せている。ビジネスシーンにおける効果的なメイク方法やマナー、ホームページの制作、SNSの活用方法などを学ぶ講座を2013年から毎年実施。過去5年間に受講した人は延べ140人ほどに達し、卒業生の中にはパン屋や移動式カフェを起業するなど、新たに地域の担い手となって活躍してくれる動きが出ている。

未来を描くことをあきらめかけていた人たちが、学び合い、高め合い、自分の力で未来を描き出した。この地域は今、少しずつキラキラと輝き出し、元気になっている。

「できること」を見つけて、褒め合おう

よほどの財力やバッググラウンドでもなければ、人生は行く手を阻む壁だらけだろう。生きることはときに苦しいと感じることもあるけど、それでも生きていかないといけない。

だからこそ、「当たり前なんて存在しない」「みんなが主役なんだよ」と伝えたい。お互いに「できること」や長所を見つけて、「すごいね」と褒め合う。そういう人が増えれば、人はもっと優しくなれるはずだし、生きやすい社会になると思わない?

今の社会は果たしてどうだろうか。「できないこと」に目をつけ、みんなで揚げ足をとっているように見える。「短所」ばかりにつけ込むような社会になってはいないだろうか。実は私自身も、とても反省している過去がある。知らない間に、長男に「生きづらさ」を感じさせてしまっていたのだ。自分ができなかったことを強要して、それが息子の幸せだと信じて疑わなかった。人に何かを求めるときの基準はどうしても自分の物差しで測りがちだけど、決して強要してはいけないはずだ。

「自分にはこんなことができる」。そうやって、どんなに小さくても成功体験を積み重ねることで、自信が芽生えてくる。その先に、嫉妬するでもなく、奪い合うでもなく、成功も失敗も分かち合えるような世の中が広がっているのではないか。

子ども世代が社会に出たとき、どんな町が広がっているか

2017年は、震災から7回忌という節目の年だ。私たちの活動も、収束するもの、継続してサポートするもの、新たにつくり上げていくもの。1つずつ丁寧に整理していく時期だと思う。

6年半経ったとはいえ、石巻ではいまだに3000人近い人たちが仮設住宅で暮らしている。「生きがい」を見つけられず、苦しい時間を過ごしている人がいることも忘れてはいけない。そういう人たちの気持ちに寄り添うことが、大切な時期でもある。

私個人として今考えているのは、1人でいることがちょっと苦手な人たちが緩やかに集えるコレクティブハウス(※)をつくること。困ったときに、お互い支え合う。そんな居住空間をつくりたい。何よりやっぺすが最終的にめざすゴールは、すべてのプロジェクトを手放して、私たちのような支援団体がなくても住民たちが共助の力でつながることができる。そういう地域をつくることだ。

私たちの活動が後世、どう評価されるか。その答えは、私たちの子どもの世代が社会に飛び出たときにわかることかな。でも、この町で”主役”になって活躍する大人たちを見てきた世代だから、きっと彼/彼女たちが成長した10年後、石巻は楽しい町になっているはず。私自身も自分の役割があると感じられる限りは、そういう”主役”になれるような人たちをどんどん輩出するために生きていく覚悟だ。

(※)親しい仲間や似た境遇にある人たちが共同生活を送る施設。共働き世帯や単身高齢者が増える中、スウェーデンやデンマーク、オランダなどでこうした生活スタイルを求める風潮が高まっている。