【Beyond 2020(12)】夢と現実の狭間に立つ若手漁師の今とブレない覚悟

漁業生産組合・浜人/漁師 阿部勝太

1986年、宮城県石巻市に漁師の息子として生まれる。地元の高校卒業後、「一度外の世界を見たい」と仙台や東京で5年間生活。その後、故郷の同市北上町の十三浜に戻り、ワカメ漁師になる。東日本大震災後、壊滅的な被害を受けた漁業と地域の再生に奮起。5つの家族とともに漁業生産組合・浜人(はまんと)を立ち上げ、カフェ運営などを手がけるカフェカンパニーや食品宅配大手のオイシックスらが設立した一般社団法人東の食の会や、ヤフーなど大手企業と組んで商品開発やプロモーションなどを積極的に展開。また、三陸の若手漁師らと協力して一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンを設立、代表に就任。漁業を「儲かる産業」へとイメージを変え、後継者を育成しようと斬新なプロジェクトを数々打ち立てている。

ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー

通販、商品開発、シェアハウス。挑戦の6年間

あの日から、とにかくあらゆることが変わり過ぎた。家や友人と遊んでいた場所から、漁港や船、資材などまですべて津波で流され、浜や地域の景色は変わり果てた。そんな絶望の中で、自分自身や家族、友人のため、さらに大きく言えば浜や東北のために僕にできること。それは、漁業の再建しかない。そう胸に誓ったことを思い出す。

三陸のワカメは、味噌汁で一晩経ってもしっかりとした歯ごたえを感じられる。まさに逸品だ。

家族らと漁業生産組合・浜人を立ち上げ、ネット通販やオリジナル商品の開発など数多くの挑戦を続けている。

「漁業を、楽しくて儲かる産業にしたい」。そのときから僕はこれまでとは圧倒的に違うモチベーションで、従来の漁業の常識を覆すような挑戦を必死の思いで続けてきた。浜の仲間たちと漁業生産法人・浜人を立ち上げ、新たにネット通販を始めたり、浜を出て消費者との対面イベントに臨んだり、ときには都心の百貨店と商談したりと販路をどんどん開拓した。さらに、一般社団法人東の食の会とヤフーとタッグを組んで、オリジナル商品も開発した。

また、2014年にはヤフーや三陸の若手漁師とともに一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンを設立。「カッコいい、稼げる、革新的」を意味する「新3K」をコンセプトに掲げ、従来の漁業のイメージを変え、さらに後継者を育成するためのプロジェクトを数多く仕掛けている。例えば、漁師を目指す若者が宿泊するためのシェアハウス(計4カ所)を運営したり、漁師の技術を身につけてもらうための研修プログラムを開催するなどしている。また最近では、漁師がモーニングコールするサービスも話題を集めた。

「楽しく、儲かる漁業に」。その一心で、とにかく新しいことにどんどんチャレンジしながら駆け抜けてきた6年間だった。実際に浜人の売上げは大きく増えるなど、一定の手応えを感じることができている。

夢の中のお祭りは終わった

一方で6年半経った今、この地域を見渡しながら感じるのは、みんな少し疲れてきている印象がある。それは、ようやく震災前の生活を取り戻しつつあるということでもある。道路が整備され、高台への住宅移転も進んだ。だからこそ、精神的にも肉体的にもふっと一息つきたいタイミングなのではないか。

絶望から始まった6年間、みんな目には見えない部分でどこかしら多少の負担を感じていたのだとこの頃よく思う。僕も含めて、「なんとかしなきゃ」と無我夢中で突っ走ってきた。今考えるとそれは、”夢の中”や”お祭り”のような激動の時間だったように思う。

それが今、いろんな意味で現実に引き戻されてきている。家を再建した人はローンの返済がスタートし、僕ら漁業者や水産加工業者も施設再建のために背負った借金の返済が始まっている。日常の生活が戻ると同時に、より現実的な課題が降り注いできているのだ。そういう意味でも、私生活も仕事も今ようやく、本当の意味でスタートラインに立っているのかもしれない。震災というマイナスから始まった道のりを、ここからどうやってプラスに転じさせていくか。そういうフェーズに多くの人が直面しているように思う。

理想論ではなく、現実的な成果が必要

僕や浜人としても、現在は理想論や夢物語ではなく、現実的な成果を出していかないといけない段階にあると痛感しているところだ。6年前に比べれば、例えば浜人の売上げは伸び、目に見える成果を出せている自負はあるが、後継者の育成をはじめとする漁業全般の課題や地域への波及効果という点では、まだまだ不十分だ。

震災後の数年間は、どちらかというと「熱量」や「思い」先行型でチャレンジを続けてきたが、今はその思いを変わらず胸に秘めながらも、より売上げなどの数字に厳しく、リアルな成果を強く問いかけながら活動している。

当時ももちろん精神的に大変だったが、正直言うと今は違う意味でもっと大変だ。課題や進むべき方向性がしっかり定まったからこそ、どうやって前に進めていくかが問われている。一歩ずつでもいいから、今まで以上に目に見える結果を出すために頑張らないといけない。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

全国の担い手育成の突破口になる

ただ、これまで以上の奮起が必要だからといって、僕が目指すビジョンや芯がブレるようなことはあり得ない。僕が思い描くビジョン、それは未来の後継者を育成すること、そして漁業を儲かる産業に変えることだ。

まずは、後継者の育成だ。古くから漁師の減少は全国的な課題で、高齢化も著しい。このまま放置していたら、漁師がいなくなる社会が来てしまうかもしれない。フィッシャーマン・ジャパンで取り組んでいる担い手育成プロジェクトでは、この2年間で約50人を受け入れ、その結果20人ほどが新たな担い手になってくれた。県内外から20代の若手を中心に、中には30代後半で脱サラした人もいる。

漁師を目指す若者のためにシェアハウスを4カ所運営。担い手の育成にも力を入れている。

目標は10年間で1000人の担い手を育成することだ。それに比べると、スピード感は物足りないのが実情だ。まだ誰もチャレンジしたことのないプロジェクトだからこそ、日々いろんな失敗や試行錯誤がある。実際に就職するとなると、所得の面も含めて定着させるのは決して容易ではない。でも、やっていてよかったと思うことはたくさんある。新たに担い手になってくれた20人は、少なくとも今までの漁業界にはいなかった人たちだ。

それに、僕らの成功・失敗体験が次に続く人たちの学びにもなるはずだ。僕らの元には全国から漁業関係者が視察に来ている。僕らには成功・失敗の知見やデータあるからこそ、それを彼らに伝え、共有することができる。これから別の地域で同じようなことにチャレンジする人たちが現れれば、よりスピーディーに実現できるようになるかもしれない。新しい担い手の育成は、数自体を増やすことも大事だが、業界に風穴をあける効果もあるはずだ。

漁師を目指す若者に技術を学んでもらう研修プログラムも定期的に開催している。

次に、儲かる産業への転換だ。後継者が育たない大きな要因の1つに、給料の低さがある。これを打破して、漁師を稼げる職業に、漁業を儲かる産業に変えていきたい。

人は娯楽がなくても生きていけるが、食べ物がなくなったら生きていけない。世の中にはいろんな職業があってどれも大事だと思うし、漁業も流通や販売業者がいなければ消費者の手元に届けることはできない。でも、その命や食の大元を担っているのは、僕ら漁師であり、生産者だ。僕自身は漁師にやりがいを感じている。だからこそ、儲かる産業であるべきではないか。決して手を抜いて儲けるわけではない。努力すればそれに見合う結果が返ってきて、手を抜けばしっぺ返しをくらう。そういう産業の姿だ。

漁業は歴史的にしがらみの多い業界だ。漁業権の問題もあり、外から人を受けれることや過去の慣例を変えることに抵抗しがちな現実がある。でも、どこか1つの場所でも「変わった」ことを証明できれば、全国で一気に広がる可能性が高まるだろう。僕らはその開拓者や突破口になりたいし、儲かる魅力的な産業として次の世代にバトンタッチしたい。

儲からない職業に、自分の子どもを送り出せるか?

将来にわたってこの地域に漁業を残したい。その思いの根本にあるのは、息子の存在だ。今はまだ小学生だが、仮に将来「継ぎたい」と言われたときに、このままの状態では継がせられない。苦労しても儲からない職業に、なぜ好んで自分の子どもを就かせる必要があるだろうか?息子や地域の子どもたちに胸を張って「いいぞこの職業、儲かるぞ」と言える状態にすることが僕の役割だと思っている。

僕はメディアをはじめいろんな場所で「新しい漁業のあり方」を盛んに訴えている。多くの人が「頼もしい」と注目してくれているかもしれない。でも、自分の人生や家族の生活、あるいは側にいる仲間たちを守れない人の言葉を、誰が納得して聞いてくれるだろうか。10年経とうが20年経とうが、「すべては一番近くにいる息子や家族のため」という根源にある思いが変わることはない。漁業全体の活性化は、その延長線上にあることだ。家族を守ること、地域の同業者と楽しみながら仕事をすること、仲間たちと笑って過ごすことが、結果として社会や第3者のためになるなら、これ以上誇らしいことはない。

阿部さんが生まれ育った十三浜。ここで「儲かる産業」を実現し、次世代に手渡したいと願っている。

震災直後、この地域に一番最初に支援物資届けてくれたのは、偶然にも広島の牡蠣(カキ)組合だった。当時は住所や連絡先を聞けるような状態ではなかったから、今その人たちに直接恩を返すことはできていない。でも、漁業の課題に挑む僕らの活動が、巡り巡って彼らの役に立つ。そういうかたちで恩返しができれば嬉しい。

まず何より自分の周りにいる身近な人が喜ぶこと、あるいは悲しませないことを自分たちの手で起こしていけば、おのずと少しずついい世の中をつくれるようになるのではないか。

誰もが「当事者」であれ

社会や政治のことは正直詳しいことはわからないけど、1つだけ言いたいことがある。それは、誰もが「当事者であれ」ということだ。

世の中を見ていると、なんだかやたらと遠くや外から文句や愚痴ばかり言う「傍観者」や「第3者」が多いように見える。そんなことではいつまでたっても世の中は変わらないだろうし、本人たちも果たしてそれで幸せなのだろうか?

例えば会社の中でも、「給料が安い」「上司はダメだ」とか文句を言う人は少なくないのではないか。組織やチームに属している以上は「当事者」なわけだから、仕事に限らず何事もそういう姿勢で向き合ってほしいと思う。「当事者」として1度でも夢中になってトライしてみたら、意外と夢中になれたり、やりがいが見つかったりするのではないだろうか。

僕らは震災で、いつ何が起こるかわからないということを痛感したし、この浜でも多くの命が奪われる光景を目の当たりにした。だからこそ、「傍観者」には絶対になりたくない。家族や地域の仲間たちとできるだけたくさん笑いながら、日々充実した生き方をしていきたい。そのために、これからも一歩ずつ頑張る覚悟だし、家族や仲間がいるからこそ、どんな困難も乗り越えられると信じている。でも、どこかで「なんとかなる」という気持ちをもつことも大事だろう。だって、何があっても生きていくしかないわけだから。