【Beyond 2020(11)】歴史上どこにもなかった”住民ゼロ”の町で、予測不能な未来を切り拓く

株式会社小高ワーカーズベース 代表取締役 和田智行

福島県南相馬市小高区生まれ。2005年、東京のITベンチャーの役員を務めながらUターンし、自宅と東京を行き来する生活を送る。東日本大震災と福島第一原発事故により自宅が警戒区域に指定されると、家族とともに強制避難し、避難先を転々とする。2014年2月、「地域の100の課題から100のビジネスを創出する」をミッションに株式会社小高ワーカーズベースを創業。同年4月、コワーキングスペース「小高ワーカーズベース」を開設。その後、食堂「おだかのひるごはん」や仮設スーパー「東町エンガワ商店」、ガラスアクセサリー工房「HARIOランプワークファクトリー小高」をオープンするなど、数々の事業を立ち上げてきた。2016年7月の避難指示解除を受け、2017年3月に妻と2人の子どもとともに6年ぶりに帰還。「ふくしまベンチャーアワード2015」特別賞、2016年度復興庁「新しい東北」復興・創生顕彰 団体部門を受賞。

ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー

大多数の反対側に真実はある

震災を境に、社会における価値観の物差しが大きく変わった。日本は戦後の復興や高度経済成長を経て、豊かな社会に生まれ変わった。ただいつしか、誰かに”与えられた”モノやサービスを楽しむ暮らしが当たり前になってしまった。人に与えられたモノはどこか得体が知れなくて、儚い。そこにしがみついていても、裏切られるかもしれない。すっと手からこぼれ落ちてしまうかもしれない。来年には、全く価値がなくなっているかもしれない。僕らはあの震災で、そういうことを目の当たりにした。だからこそ、自ら”つくり出す”ことに価値や魅力を見出そうという人が増えているように見える。

同時に、”つくり出す”主体と領域も広がった。モノやサービスをつくり出す主体は、従来は企業などの巨大な組織が経済活動などを通して担うケースが多かったが、震災後は市民やNPOなどへと広がり、さらにコミュニティやまちづくりなどへと領域も広がった。誰でも価値が提供できて、人の役に立てる。そう考え、行動する風土が生まれた。

JR小高駅前にあるコワーキングスペースの「小高ワーカーズベース」。ここが和田さんの活動の拠点だ。

さらに、真実はどこにあるのか。それを自ら知り、判断しようとする意識も芽生えたのではないか。ここ小高をはじめ、福島は原発事故を経験した。僕自身も地元に生まれ、暮らしていながら、その恐ろしさや放射線に関する知識が全くなかった。ただ、こうした”見えない恐怖”に対しても、自分で調べ、知り、納得し、選択する重要性を学べたように思う。メディアから与えられた情報を闇雲に信じたり、学者の意見に誘導されるのではなく、周囲の空間線量を測定したり、内部被ばくの検査を受けたりしながら、安全なのかそうでないのか、自ら判断することが重要だと言いたい。

こうした経験を通じて行き着いたのが、日々世の中に生じる意見対立や二項対立は、”大多数の反対側”に真実が隠されているということだ。今でも、福島を一歩出れば「沿岸部は人が住めるの?」などと聞かれる。福島の外側は、まだそうした認識に支配されているのが現実だ。でも、真実はここに来てみればわかることだ。ここには、厳然と人の営みがある。つまり、報道などでどちらか片方に意見が寄っているときは、その反対側を見ることで真実に近づける。そういう視点をもつようになった。

商売の原点は、困っている人を助けること

僕自身の考え方も180度変わった。例えば仕事について。いかに早く、そして大きく稼ぐか。震災前にいたITの世界では、これが史上命題だった。ところが震災を経験したことで、いくらお金を稼いでも生きていけないことを痛感したし、それを求めたところで、いつまで経ってもゴールは見えてこないことに気がついた。

地域で人気の「双葉食堂」。避難指示後、和田さんが食堂「おだかのひるごはん」として利用したことをきっかけに、再オープンした。

僕は、まだ避難指示が解除される前の2014年にコワーキングスペース「小高ワーカーズベース」を開設。その後も、食堂「おだかのひるごはん」や仮設スーパー「東町エンガワ商店」をオープンするなど、住民生活に必要な事業を立ち上げてきた。また、ガラスアクセサリー工房「HARIOワークランプファクトリー小高」は、特に若い女性の雇用をつくるために開設したものだ。避難指示解除後のまちづくりでは、「住民が戻るのが先か、生活インフラの整備が先か」という議論の中で事態が進まないケースが多いが、僕はまず自分が先頭に立ち、住民が戻って来やすい環境を整えたかったのだ。

仮設スーパーの「東町エンガワ商店」。数少ない食料品など扱う店として、住民から重宝されている。

「人のいない町で事業を立ち上げても、うまくいくわけない」。周囲からそう言われることもあった。ただ、商売の原点は困っている人の問題を解決すること。これらの事業を通じて、忘れかけていた原点に立ち返ることができた。同時に今強く感じているのは、地域に支えてもらっているという感覚だ。東京で仕事していたときのような、顔の見えない誰かに対してサービスを提供することの不確実さよりも、顔の見える相手に感謝され、その対価としてお金がついてくる。こういうビジネスの原点を再認識できている。

暮らしやまちづくりの変革は東北がリードしている

自分の手でつかみ取り、未来をつくる。そう考え、行動する人が震災後の東北には数多く生まれたし、彼/彼女たちはこの被災地から本気で世の中を変えようとしている人ばかりだ。以前なら「東北に何ができるんだよ」と笑われていただろう。だが今、実際に各地で様々な新しい変化を起こしている。”イノベーション”や”変革”という言葉は従来、どこかの企業や何かの技術に対して使われるケースがほとんどだったが、”暮らし”や”まちづくり”といった新しい文脈の中で使われるイノベーション・変革は今、東北がリードしている。僕は間違いなく、ここから世の中を変えていく何かが生まれてくると信じている。

ただ、こうした東北発のイノベーションが具体的にどんな変革を指し、その結果どんな社会になっていくのか。この絵を明確に描けている人は、まだいないのではないか。湧き起こったムーブメントを、どう収益が回るような仕組みに落とし込んでいくか。それを実現するには、どんな人材が必要か。あるいは、どんな企業や団体とアライアンスを組めばいいのか。そうしたスキームや人材、連携体制の着地点が見つかったときに、きっとブレークスルーするのだろう。まさに今、それらを模索している最中だ。

避難指示解除後の今年開催された夏祭り。この1年で2000人ほどが帰還した。

小高に関しても、まだ主体的に動けるプレイヤーの数が不足している。2016年7月の避難指示解除から約1年で2000人ほどが帰還し(震災前の人口は約1万2000人)、2017年4月には小・中学校、高校も開校するなど、少しずつ賑わいは戻ってきている。震災前に比べれば、新しいチャレンジを応援してくれたり、一緒に企画やアイデアを考えるような人も増えた。だが、いざそれを実行する段階になると「じゃあ、和田さんお願い」となってしまう。同時に、補助金を前提にした事業計画を立てたりと、誰かのお膳立てを期待するケースが目立つ。地域や社会に役立つサービスを提供しながら、しっかり経済的に自走していく視点をもつことが必要だ。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

「ここから世の中を変えられる」。本気でそう思っている

きっと世の中の9割くらいの人たちが、こんな場所から社会課題を解決する新しい事業やプロジェクトが生まれるなんて、信じていないのではないか?でも僕は、ここから世の中を変えられると本気で思っているし、その姿や実績を見せることができれば、「じゃあ俺/私もやってみよう」と後から続いてくれる人がきっと現れるだろう。

今年は4月に再開した小学校で運動会も開かれ、青空の下で子どもの歓声が響き渡った。

「”住民ゼロ”から町をつくり上げていく日本で唯一のフィールド」「現代日本のフロンティア(社会課題先進地域)」。僕はいつも、小高をこんな風に表現している。人が住めなくなった地域にまた人が住み始め、新しい町の未来をつくっていく。これは歴史上、誰も経験したことがないだろう。その中心に立って、挑戦できる環境は日本のどこにもない。

例えば、パンが大好きで、パン屋を開業したい人がいたとしよう。他の地域だったら競合がひしめいていて大変だろう。でも、ここにパン屋ができたら大ニュースだよ(笑) 自分の好きなことや得意な分野で、人に感謝されながら収入を得られる。こんな理想的な生き方があるだろうか?それに挑戦し、叶えられる一番近い場所がここなのだ。

「HARIOワークランプファクトリー小高」では、現在7人の女性がガラスアクセサリーの職人として働いている。

僕自身は、創業時に掲げた理念「地域の100の課題から100のビジネスを創出する」を実現するために引き続き新しい事業に取り組む一方で、6年半経った今は既存事業の幹をもっと太くすることに意識的にモチベーションを注いでいきたい。例えば、今7人の女性が在籍する「HARIOワークランプファクトリー小高」だ。彼女たちは直接雇用しておらず、出勤日や時間もすべて自由な成果報酬型の勤務スタイルにしている。最近は、東京などで展示会に出展したり、メディアでも取り上げられるなど手応えを強めている。若い女性が長く、楽しく働けるような仕事は以前はなかった。新しい雇用のあり方として、もっと広く社会に知ってもらいたい。

「俺が野菜を売るよ」。自然と声が湧き上がる町

一度消えかけた僕の故郷はこれから、どう姿を変えていくのだろうか。僕が描く理想の光景は、自分で事業を起こすことが当たり前の風土として根付く町だ。生業をもつ、商売をする。そのことが極限られた人たちではなく、商店街が小さな商売を始める人で埋め尽くされている。そんな姿だ。例えば買い物が不便と感じたときに「じゃあ、スーパーつくってよ」と行政や特定の事業者にお願いするのではなく、「じゃあ、俺が野菜を売るよ」といった声が自然と湧き上がってきてほしい。

伝統行事である相馬野馬追の行列も復活。今、町には活気が少しずつ戻ってきている。

やはりそのためにも、それを担うプレイヤーをどんどん増やす必要がある。帰還した人は高齢者が多いが、将来を考えると本来は20〜30代の若い世代が引っ張っていかないといけないだろう。同時に、外から「よそ者」を積極的に受け入れていくことも必要だ。

僕らは新しい仕掛けの1つとして、「Next Common Lab 南相馬」をスタートさせた。これは「地域おこし協力隊」の制度を活用した起業家の育成プログラムだ。コンセプトは「予測不能な未来を楽しもう」。世界情勢や政治は目まぐるしく変化している。冒頭で話したように、僕らは1年先すら確証できない未来を生きている。だからこそ、そんな不確実な未来を「自分ではない誰か」や「自分ではコントロールできない何か」に委ねるのではなく、自分の手で切り拓き、確かなものに変え、自分が納得のいく未来をつくっていく。そういう力が求められることになるはずだ。そして、この新しい挑戦の先には、きっと現代社会の延長線上にあるものとは違う、新しい未来が待っているはずだ。2018年以降、10人の起業家を受け入れ、コミュニティやまちづくりに関する計10本のプロジェクトを実施していく計画だ。

さらに、これからの経営や仕事において重要なのは、”頼れる柱”をたくさんもつこと。それが最大の安心につながるのではないだろうか。大企業に就職しても、安定が保証されない時代だ。1つの事業や職種にこだわり続けるよりも、小さくても複数の事業を抱えたり、幅広い職能を備えたりと、1つ1つは呼吸が浅くても長く続くような、そういうスタイルこそ予測不能な未来を生き抜くうえで必要な要素になるのではないか。

”つくり上げる”苦労や痛みを想像しよう

モノやサービスに溢れた現代にも関わらず、精神的に満たされずに不安や不満を抱えている人は少なくない。そういう鬱屈が蓄積すると、どうなるか。例えば、近所に幼稚園が建つと「子どもの声がうるさい」などと文句を言う人がいる。

僕らは物資的な豊かさを手にするのと同時に、誰かに与えられ、それを次々と消費していくことに慣れてしまったようだ。与えられる側はすぐに新しいモノを求め、供給側は飽きさせまいと常に新しいサービスを提供し続けようとする。その過剰なサイクルが日常化している。1つのモノやサービスをつくり上げるまでに、どれほどの苦労があるのか。過剰なサービスは、そのことへの想像力を奪ってしまった。他者の痛みを理解しようとする力は、”自らつくり上げる”経験を通して育まれていくものだと思う。苦労や痛みがわかれば「大変だね、助けるよ」と声をかけたり、「俺も大変だったから、その苦労はわかるよ」と共感できるはずだ。

自らの手で、未来をつくり出す。そんなプレイヤーが増えれば、きっと寛容で生きやすい社会が広がるだろう。だからこそ、強く訴えたい。寛容な社会を育むために、自分が望む未来を自ら切り拓いていこう。僕はここ小高で、歴史上誰も経験したことのない”住民ゼロ”からの新しい未来をつくり上げていく。