【Beyond 2020(9)】子や孫に、夢と希望を残せる企業になる。それが僕らの使命だ

ロート製薬 広報・CSV推進部 部長 河崎保徳

1960年、大阪府貝塚市生まれ。1986年、ロート製薬に入社。商品企画部長、営業部長などを歴任。東日本大震災発生後、2011年3月30日に仙台市に設置された「震災復興支援室」の室長に就任し、震災遺児の奨学金「みちのく未来基金」の制度設計で中心的な役割を果たす。他にも、漁業を筆頭に産業復興など数々の支援プロジェクトに携わる。3年間の赴任を経て本社に復帰後、復興支援活動から得た知見や学びを社内制度に取り入れる活動に奔走。「広報・CSV推進部」の設置や、新CI(コーポレートアイデンティティ)の制定、働き方改革などは、いずれも東北での活動で得た学びや教訓から生まれた。一方、現地では震災復興支援室を2015年に「東北地域連携室」へと名称を変更し、現在も地域と連携して新しいビジネス創出などに取り組んでいる。

ー”あれから”変わったこと・変わらなかったことー

「ビジネスだけやっとったらあかん。もっと大切なものがある」

あの地震と津波によって2万人近い死者・行方不明者が出てしまった。戦争か何かが起こらない限り、僕らが生きている間に目にする、最も悲惨な光景になるのではないだろうか。あれだけのショックを受けて、何かが変わらない方がおかしい。

少なくとも、ロート製薬は大きく変わった。何が一番変わったか。それは、「ビジネスだけやっとったらあかん。もっと大切なものがある」ということだ。会長兼CEOの山田邦雄をはじめとする経営陣、そしてボランティアで現地に入った多くの社員が間違いなくそう感じた。

震災直後に、宮城県石巻市でがれき撤去のために集まった山田邦雄・会長兼CEO(左)と社員たち

僕たちはいつしか、「企業は右肩上がりで成長し続けないといけない」「経済発展こそが人を幸せにする」。そういう迷信や呪縛に支配されていたようだ。どこの企業も会社理念を見れば、「売上げや利益を上げろ」なんてどこにも書いてない。「社会や地域、人の役に立て」「社員を輝かせろ」。そう書いてあるはずだ。

しかし、実態はそうではない。毎年、売上目標には”前年比105%”などと掲げる。ところが、今は人口減少の時代だ。僕たちの主力商品である目薬だって、人の目にさす一定量以上は売れない。つまり、”前年比98%”が本当は正しいはず。では、その7%の差をどうやって埋めるのか。そう問われると、決まり文句のように「創意工夫とイノベーションで」などと言う。

企業価値を高めることは、どういうことだろうか?売上げや利益を増やすことだろうか?金融資本主義や利益至上主義が社会を支配し、それを求める株主が世界中にいて、彼らに有利な法体系が整備されている。その証拠に、株式を保有する特に富裕層の資産価値はどんどん上がっている。ところが、それと同じように社員の給料は上がっているだろうか。僕らは誰に対して企業価値を高めているのか。会社を支えるステークホルダーは株主だけでなく、社員やその家族、お客様、取引先、地域社会…多岐にわたる。僕らは、ステークホルダー全員に「ロート製薬のおかげで幸せになった」と言ってもらえる会社になることこそ、企業価値の向上だと気づかされたのだ。

子どもたちから教わった、何のために生きるのかということ

そのことを思い出させてくれたのは、奨学金制度「みちのく未来基金」で出会った子どもたちだった。どん底に突き落とされたはずの子どもたちが「復興の役に立ちたい」「人の役に立ちたい」と本気で語る姿に、心を突き動かされたのだ。

カルビー、カゴメと3社で震災遺児の奨学金制度「みちのく未来基金」を立ち上げた(中央が山田邦雄・会長兼CEO)

カルビーとカゴメ(のちにエバラ食品工業も運営に参加)と設立したこの基金は、震災で親を亡くした子どもたちの大学や専門学校などへの入学金と授業料を、返済不要で全額(年間上限300万円)援助。震災時ゼロ歳だった子どもが卒業するまでの約25年にわたって継続するという内容だ。全国から集まった企業や個人などからの寄付金は累計約31億円に達し(2017年3月末時点)、給付者数は6期で630人を超えている(2017年4月時点)

震災直後の3月30日、仙台に「震災復興支援室」を設置。公募でエース級の社員が集まった(左から2番目が河崎さん)

僕は各地の学校現場を回り、子どもたちと何度も面談してきた。彼/彼女たちはどんな反応をするか。わずか17歳ほどのまだ遊びたい盛りの子どもたちが、将来は「復興に貢献したい」「人の役に立ちたい」と本気で言う。「避難所で苦しむ人たちの姿を見て、けが人や病人を助けられるようになりたい」。そう決意して、看護師を志す子。「あのとき人が亡くなる瞬間を嫌というほど見てきたから、今度は命が生まれる瞬間に立ち会いたい」。そう言って、助産師を目指す子。「亡くなった母親が経営していた美容室を再開したい」。そのために、美容師の専門学校に進学する子など…。その姿を見た僕らは、忘れていた大事なことを思い出した。人は何のために生きるのか、誰のために働くのかと。お金よりも大切なものがある。そのことを、子どもたちから教えてもらったのだ。

”何のために””誰のために”目薬を売るのか

震災から3年後の2014年に本社勤務に戻った僕は、東北で得た学びから新たな部署の設置などを経営陣に提案し、その後会社の大きな方針決定にまで発展していった。

まずは、「広報・CSV推進部」の新設だ。企業の社会貢献は利益を原資にするのではなく、本業を通して行うことが真の姿だ。その考えに行き着いた僕は、従来の「CSR」の看板を外し、新たに「CSV」の部門を立ち上げたいと提案し、認めてもらった。

それだけではない。2016年2月、新しいCI(コーポレートアイデンティティ)「NEVER SAY NEVER」を制定した。「NEVER SAY NEVER」は、直訳すると「不可能は絶対にない」。一見すると、昭和の時代の根性論のように聞こえるかもしれないが、重要なのはその後に続く”FOR ◯◯” の部分だ。つまり、”何のために””誰のために”、目薬を売るのか、リップクリームをつくるのか。◯◯の部分には「money」(お金)と「me」(私)だけは入れないことを決めた。東北の子どもたちが盛んに訴えていた「誰かの役に立ちたい」「地元の復興に貢献したい」という言葉。これを僕らのスローガンに反映させたのだ。

ケニアのサロンにて機材の使い方を指導。「NEVER SAY NEVER FOR
WORLD」の具体策の1つだ。

そのうえで、「世の中を健康にする」ことを会社のミッションに掲げた。そのために常識の枠を超える。「NEVER SAY NEVER FOR ◯◯」とは、そういう考え方だ。例えば、”FOR FOOD”だ。健康と密接に関わる「食」。健康な体づくりには食習慣の改善が必要との考えから、食や農業から学ぼうと行動を起こした。2013年以降、薬膳フレンチレストランをオープンしたほか、奈良県と包括協定を締結し、農業をはじめ産業の振興と農村地域の活性化に取り組んでいる。さらに、フルーツを丸ごと凍らせることで酵素をたっぷり含ませたフローズンフルーツバー「パレタス」を、関東を中心に店舗運営している。一方では、”FOR LIFE”として再生医療について最先端の研究を、また”FOR WORLD”としてケニアで美容を通じた女性の雇用創出や所得向上に取り組むなど、多方面で様々なビジネスを展開している。

人口減少が進む今後も、長くこの会社が多くのステークホルダーから支えていただくためには、社会や人々の役に立つことに本気で向き合い、行動する必要がある。これらはどれも、震災復興支援と関わる中で学んだことだと断言しておきたい。

ーBeyond2020 私は未来をこう描くー

「金融資本主義」から「公益資本主義」の時代へ

高度経済成長期から僕たちの意識に刷り込まれた「お金が大事」という風潮。残念ながら、社会情勢は今も依然としてその方向に突っ走っているのが現状だ。「強い日本を取り戻す」「もう一度、経済大国ニッポンを」などと声高に叫んでいる。海外の投資を呼び込むために、投資家に有利な法整備も進めている。

実業家の原丈人(じょうじ)さんが唱えた「公益資本主義」という概念がある。企業は社会の公器であり、社会に貢献するために存在するといった考え方だ。金融資本主義の壁は厚いかもしれないが、一方で震災をきっかけに多くの企業がこうした公益性に目覚めた。今は公益資本主義へとステップを踏んでいる最中で、きっと多くの企業が新しい方向へ舵を切っていくのではないかと思う。

M&Aではなく、社会課題でつながる企業連携

それと、これからは社会問題に立ち向かうことを目的にした企業同士の連携が加速していくだろう。業界の2位と3位が統合して1位になったとか、そういうM&Aのような「お金」を媒介にした連携ではなく、社会課題を解決するためにそれぞれの企業が自社の技術や人材、資金などのリソースを持ち寄り、新しい解決策を見出す。そういう動きだ。僕らはそれを、みちのく未来基金で証明することができた。その経験から、1社では難しいことも、複数の企業が連携することで未来に明るい光を照らせることを学んだのだ。

2016年、大手企業の若手社員が企業の枠を越え、イノベーションを生み出すために立ち上がったプラットフォーム「One JAPAN」もその1つだ。シリコンバレーにある世界的なIT企業は、決してアメリカ人だけで成功したわけではない。インド人や中国人をはじめ、世界各国から優秀な人材を集めている。そんな中で、日本のメーカーが自社の利益に固執して研究者や技術を囲い込んでいていいのか。業界を横断したオールジャパンの連携の動きが出てきているのは、明るい材料だろう。

2016年6月に女川町、NPO法人アスヘノキボウとともに、健康や予防医療に関する連携協定を締結(中央が吉野俊昭・社長兼COO)

加えて、連携相手は企業だけにとどまらず、行政や地域、NPOなど様々な主体を掛け合わせることの重要性も東北から学んだ。こうした連携のスタイルも、今後ますます増えていくだろう。僕たちは震災直後に立ち上げた「震災復興支援室」を2015年に「東北地域連携室」へと改称し、地域と連携しながら新しいプロジェクトを立ち上げている。例えば女川町とは2016年、行政とNPO法人アスヘノキボウとともに、健康や予防医療に取り組むための連携協定を締結。東北だけでなく、2017年8月には大阪府とも健康を軸に地域活性化にチャレンジする協定を結んだ。自社の技術を生かし、地域とともに新しい取り組みを始めている。

東北を”日本の食料庫””R&Dの拠点”に

さて、「復興」とは何だろうか。世間で盛んに言われることだが、僕は人々が幸せを取り戻すことだと思う。この議論でよく耳にするのは、住宅が高台移転したとか、港が整備されたとか、インフラに関する話題ばかりに関心が向けられている。それも大事な要素だが、きれいな町にすることだけが果たして「復興」なのだろうか。それ以上に大事なのは、そこに住んでいる人が幸せを取り戻すことだろう。幸せの定義は人それぞれだが、僕は少なくとも今の子どもたちが将来結婚して、安心して赤ちゃんを産み育てられること。それが幸せの最低条件だと思う。

そのうえで、20〜30年後の東北をどう見据えるか。僕には2つの願いがある。1つは、”日本の食料庫”になることだ。東北は漁業や農業が最も盛んな地域の1つだ。だからこそ、世界に自慢できる食文化が生まれ、育っていくことを願っている。2つ目は、世界を驚かすようなR&D(研究開発)の拠点に生まれ変わることだ。東北の人たちは純粋で、辛抱強い人が多い。きっと研究職に向いているはずだ。みちのく未来基金で接した子どもたちの中には、高額な学費を理由に理科系の進学をあきらめる子が多かった。今僕らは、科学系の人材育成事業を実施しているリバネス社と一緒に、東北を舞台に中高生を対象にした学会「サイエンスキャッスル」を開催するなどしている。東北から、世界で羽ばたく優秀な研究者が育っていく。そんな将来を夢見ている。

子どもたちは「恩送り」のできる人間に育つ

僕たち大人、そして企業にとって最も大事な使命は、子や孫の世代にこの国で生きていく夢や希望を残すことだと思う。

「みちのく未来基金」からはすでに社会人になった子もいる。将来、どのように成長するのか楽しみだ。

被災地では、仮設住宅などで自殺してしまった人の話を何度も見聞きしてきた。屈強な漁師たちが船を流され、家族を失うと、自殺してしまう現実も見た。でも、例えばたった1人の孫がいるだけで、「孫の結婚式に出るまでなんとしても生きてやる」と明日を生きようとする。人が夢や希望を持てる世の中にしたいじゃない?僕たちは、そういう社会に貢献できる会社でありたいと本気で思っている。

僕の1日は、毎朝みちのく未来基金の子どもたちに、誕生日のお祝いメッセージを送ることから始まる。今、東京で就職・進学している子も多いから、例えば「新橋駅に◯◯時集合」と一斉に通知したら、きっと数十人は集まるんじゃないかな(笑)これは、僕の一番の自慢だよ。子どもたちの成長が楽しみで仕方がない。彼/彼女らは間違いなく、強くて逞しくて、でも心のやさしい人になるはずだ。そして、受けた恩を次の世代や社会へ送る「恩送り」のできる人間に育つ。僕には、その確信がある。