【資生堂】「利益を生む社会貢献」で長期支援

フレグランス5,000本が3ヶ月で完売

リラクシングナイトミスト「椿の夢」

リラクシングナイトミスト「椿の夢」

株式会社資生堂が復興支援の一環として発売した「椿の夢 資生堂 リラクシングナイトミスト」がビジネスとしても成功を収めている。「売上げの一部を街づくりに活用する」としたフレグランス「椿の夢」は初回販売数5,000本が予想を上回る早さで完売した。

社会貢献と企業利益を結びつける「コーズ・リレーテッド・マーケティング(CRM)」と呼ばれる手法は、新しい企業ブランディングのあり方としても注目されている。CRM事例は、同社が「地元のニーズを汲み上げながら、長期的に復興支援を行っていこう」とする中で生まれたものだ。資生堂の事例から、企業による継続的な被災地支援の方向性を探った。

「椿つながり」で復興支援

「仮設住宅でヒアリングを行う中で、ストレスが続いて眠れない人が非常に増えているとの印象を受けたんです」。こう話すのは、「椿の夢」誕生の立役者である資生堂CSR部の家田えり子さん。アロマコロジー(香りを嗅ぐことで得られる心理的作用)の研究を30年続けてきた資生堂の技術を使って何か役に立てないか。そんな思いから生まれた商品だった。

きっかけは、2012年に同社が仕掛けた「未来椿プロジェクト」。創業140周年の年に、全社員が事業所・部門ごとに社会貢献活動を行うというもので、CSR部が考えたのが、自社のトレードマークである「椿」を市の花としている岩手県大船渡市で、植樹活動を行うことだった。

植樹活動は継続的に行っている。写真は2015年6月の植樹風景

植樹活動は継続的に行っている。写真は2015年6月の植樹風景

植樹活動を続けるうち、大船渡を含む気仙地域では、椿が昔から人々の生活の中に密着し、観光資源としても大切に育てられてきたことが分かってきた。地元の人たちの間に、椿を街の新しい産業として育てたいという思いがあることも知った。

「椿を軸に大船渡の街づくりを長期的にサポートできないか」。そう考えたCSR部の社員らは、2013年に「椿の里プロジェクト」を始動。行政や地元の多様な人たちを巻き込みながら、「椿」を水産業と並ぶ主要産業として育て、定着させることを目標に据えた。

予想を上回る早さで売れた夜用フレグランスウォーター

取り組むべき課題は沢山あった。製品の原料となる椿の実の量を確保するため、継続的な植樹はもとより、椿の実の収穫を仕組み化することも必要だ。気仙椿の認知度も低い。

フレグランス開発時のヒアリングの様子

フレグランス開発時のヒアリングの様子

家田さんらは、気仙椿の認知向上を目指し、様々なイベントを実施すると共に、地元の椿を使った商品開発を開始。できるだけ地元の意見も取り入れようと仮設住宅でヒアリングも行った。不眠を訴える人の中には男性も含まれる。どういうものなら男性にも使ってもらえるだろう。

そんな検討を重ねて誕生したフレグランスウォーター「椿の夢」は、2014年10月に資生堂のオンラインショップ「ワタシプラス」の限定商品として発売された。「おやすみ前のリラックス効果」を謳った同商品には、大船渡市で樹齢1,400年を誇る「三面椿」の香りの成分を配合。男性ユーザーを意識して、ボディだけでなく、空間やリネンにも使えるものにした。また、売上げの一部が大船渡市の街づくりに活かされることもアピールした。評判は上々で、「5,000個を半年で売る」という目標は3ヶ月で達成、増産が決まった。

翌11月には、資生堂パーラーから気仙産の椿油を使った「気仙椿ドレッシング」も販売。5,000本が約2ヶ月で完売した。

「社会貢献」のその先へ―社内提案12,000件の中から表彰対象に

資生堂CSR部の家田さん(左)と盛さん

資生堂CSR部の家田さん(左)と盛さん

家田さんらの取り組みは、「知恵椿」と呼ばれる社内提案制度において12,000件の中から表彰対象となる3件の一つに選ばれた。震災直後から寄付や無償の美容サービスなど様々な形で復興支援に関わってきた同社だが、「社会貢献型ビジネス」の経験は乏しく、「現地にとってのウイン(WIN)と企業にとってのウィンを考えるのが難しかった」と家田さんは振り返る。

こうした資生堂の動きに見られるように、従来型の寄付などによる支援から、「仕事を通じて直接的に社会に関わるという発想を持つ企業が増えている」と話すのは、一般社団法人RCF復興支援チーム代表理事の藤沢烈さんだ。復興に関わる人々の調整役を担ってきた同団体は、2015年6月から大船渡市にも「椿の里づくり」のための現地コーディネーターを派遣する。

また、家田さんらのチームは、今年から「椿をしっかりと産業として根付かせる」ための体制づくりを行っていく予定だが、「その際、主体となるのは行政をはじめとする地元の人々であって、必要に応じて企業が支援を行うのが理想」だという。「企業が引いたら倒れてしまうのでは元も子もない」と家田さんは話す。

無償支援の必要性は今もなくなったわけではないが、10年後、20年後を見据えた時、地元ができることは地元が行った方が、持続可能な産業が作れる。また、企業側も、ビジネスに立脚しているからこそ、発展的かつ継続的なサポートができる。震災から5年目を迎え、「東北と外部との関係も緊急援助から自立へ、支援からパートナーシップへと変わってきている」(RCF復興支援チーム藤沢さん)今、企業の被災地支援のあり方も新しい段階に入ろうとしている。

文/石川忍