災害関連死の認定の重要性~3月13日の盛岡地裁判決を受けて~[弁護士が見た復興]

震災直後の被災者支援、復興計画における政策決定、事業者や生活者の再建支援など、復興の現場では様々な場面で弁護士が関わっています。現地での支援や後方支援に当たった法律の専門家から見た復興と法律に関するコラムを、現役弁護士がリレー形式で書き下ろします。
今回の執筆者は、岩手県宮古市の「宮古ひまわり基金法律事務所」所長として勤務中に自らも被災し、最前線で法律面からの復興支援に携わった、小口幸人弁護士です。

注目の判決

 2015年3月13日、注目の判決が言い渡されました。陸前高田市で被災され、2011年11月22日に急性心筋梗塞を発症、12月28日に56歳で亡くなられた方の死が、災害による死、つまり災害関連死であったか否かが問われた裁判の判決です。
 岩手県災害弔慰金等支給審査会(以下「県審査会」といいます。)は、災害関連死ではないと2度判断しましたが、盛岡地方裁判所第2民事部(小川理津子裁判長)は、判断を否定し、災害関連死であると認めました。

災害関連死の重み

 私は、災害関連死であるか否かは、災害にまつわるあらゆる事柄の中で、最も重要な事柄だと感じています。金銭面はもちろんですが、遺族の心に与える影響が余りにも大きいからです。
 災害関連死であると認定されると、地元自治体より、最大500万円の弔慰金が支給されます。さらに、遺族は災害で死亡した者の遺族となるので、義援金が支給されると共に、例えば遺族に高校生等がいれば、奨学金等の支給を受けられることもあります。災害における統計上も、災害で亡くなった者としてカウントされるようになり、毎年の慰霊祭には遺族として参列することになり、慰霊碑等が建てられるときには、名前が刻まれるようになります。
 何より、「どうして自分の家族は死んでしまったのか」「災害のせいなのか、私が悪かったのではないか」という、答えのない問いに苦しむ遺族に、公の機関が「災害のせいで死んだ」ことを認定することで、多少なりとも心の整理の道筋を付けることができるかもしれない、そんな重要な意味があります。
 私は、三つ上の兄をガンでなくしています。25歳のときに兄は他界しました。私も私の家族も、10年以上にわたって、どうして死ななければならなかったのか、自分が悪かったのではないかと問い続けています。答えのない問いに苦しむ気持ちが、如何ばかりかでも想像できるからこそ、その重要さが私には痛いほどわかります。
 だからこそ、災害関連死ではないとする認定の悲劇もわかります。その認定は、遺族に対し「災害とは関係なく死んだ」と明確に告げる行為ですから、多少なりとも「災害のせいで死んだのではないか」と思っていた遺族の心を激しく傷つけるものになります。
 災害関連死の認定にこれほどの重みがある以上、審査を誤ってはならないのです。

審査委員として

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 私は、山田町と田野畑村の災害弔慰金等支給審査会の委員を務めました。審査にあたっては、審査の重要性を説き、裁判所で是非を判断される覚悟をもって審査しましょうと呼びかけました。
 もちろん、関連性を否定したものもありますから、今回の裁判のように、私の属した審査会の判断の是非が争われることもありえます。その覚悟はもっているつもりです。
さて、災害関連死の審査に関する問題点は、余りに多岐に及ぶので、ここで全て述べることはできませんが、今回の裁判でポイントになった点に絞って述べます。なお、以下で述べる審査会内の意見は、決して私が属していた審査会だけの事柄ではありません。信頼関係の下、様々な機会で見聞きしたものや、裁判に提出されるなどした議事録から知った事実です。

薬を飲まなかったことをどう評価するか

 審査会において、特に医師の委員から次のような意見が強烈に主張されることがあります。「薬を飲まなかったのは、病院に通わなかったのはその人が悪い。その結果死亡したとしても弔慰金など出す必要はない。」
 今回の判決のポイントの一つは、「一部の薬を服用していないことがあったのも、本件震災によるストレスの影響が否定できない」として、薬を服用していなかったことを不利に扱わなかったことにあります。
 審査会の使命は災害関連死であるか否かを判断することにあります。厳密にいうと、災害と死亡との間に、法律上の相当因果関係があるかないかを判断するのが使命です。薬の服用や受診に関する「すべきだ」という道徳的な色のついた意見を、関連死の判断に持ち込むのは間違っていると私は思います。対象の方が、本来すべきことをしていたか否かを判断すべき場でもないし、そういった行動を批判する場でもないからです。
災害があってもなくても、薬を飲むのを怠りがちな人は怠りがちだし、体調が悪くても病院にあまりいかない人はあまりいかないままです。その傾向に災害は関係ありません。仮に災害によるストレスで薬を飲まなくなったり、病院に行く意欲や機会が失われたのであれば、今回の判決のように関連死を認める方向にこそなっても、否定する方向にはならないはずです。

急性心筋梗塞の事案を認めたこと

 「弁護士の先生。そもそも急性心筋梗塞っていうのは誰もがなる可能性があるものなんです。だから災害関連死なんかではない」。こういう趣旨の意見も、医師の委員からよく述べられます。
 今回の判決のポイントの一つは「収縮期血圧が10mmHg上昇するとリスクは1.16倍から1.4倍上昇することや、精神的ストレス自体が本件疾病の発症要因になるという医学的知見」を根拠に、「震災によるストレスは本件疾病の発症を誘発させたと合理的に推認される」と判断した点にあります。つまり、発症リスクの高まりをもって関連死を認定したのです。
 法律上の相当因果関係は、直接の原因であるかによって決まるものではありません。医学上の因果関係とは「因果関係」という四文字が同じであっても、全く別の概念です。法律上の相当因果関係は、人は必ずいつか死ぬことを踏まえ、死を「その時点の死」として着目し、ある事実がなかったら、その時点で死ぬことがあったか否か、という観点から見ていくものです。その範囲は広いです。
 私はこれまで、急性心筋梗塞の事案においては、震災による影響で急性心筋梗塞になる「リスク」が高まったかどうかで、関連死であるか否かを判断すべきだと言い続けてきました。法律上の相当因果関係とはそういうものだからです。今回の判決を受けて、そう考えていない委員の方は考えを改めていただきたいと思います。

 なお、今回の判決では震災前と震災後の血圧の変化をもって、急性心筋梗塞のリスクの高まりの有無を判断しています。私もこの判断には賛同しますが、一つ大きな問題があります。それは、高齢の方は血圧を測る機会が多いので、震災前の数値が残っていることが多いが、若い人ほどそうではない、という問題です。震災前に血圧を測る機会がないと、血圧の「差」でリスクの高まりを判断することができません。特に、震災直後、自宅の片付けや家族の捜索、避難所の運営などに奔走していた方ほど、血圧を測っていない傾向にあります。
 血圧を測っていない以上、血圧の変化から関連死と認定することは困難ですが、だから関連死ではないと安易に判断するのではなく、被災者に寄り添い、震災前後の健康状態、食生活、震災後の過労などの事実を元に、血圧上昇等の現象が発生していた可能性をしっかり判断することが求められます。そこに、「働き過ぎだ」「体調が悪かったのに医師の診察を受けないのは自己責任だ」などと、現場の状況から乖離した話を持ち出すのは論外であることを付言しておきます。

審査を地元でしないことの問題点

 今回の判決は、陸前高田市の方の審査を、約100キロ離れた盛岡で、委託を受けた県の審査会がした判断を否定したものです。そもそも、法律はこの審査を最も身近な自治体である市町村がするように定めています。県に委託するのは法律の趣旨に反しています。震災直後、どうしても職員が不足しているときならともかく、丸4年経った今も漫然と県に委託し続けているのは、厳しいようですが自治体の怠慢というほかないでしょう。
 私は、関連死の審査は是非とも地元でなされなければならないと言い続けています。なぜかと言えば、遺族には復旧も復興もなく、前述のように関連死であるかどうかが最も重要だからです。判断を間違ってはいけません。この制度が、市町村長が住民に「弔意」を示すという制度である以上、その判断は市町村がしなければならないのです。
 実際、地元の者が委員を務めなければ、適正な審査は実現しません。被災地にいる専門家なら、避難所暮らしや仮設住宅暮らしが一般的に被災者に及ぼす影響を、日々の業務(医師であれば診察、弁護士であれば法律相談)を通じて知ることができます。しかし、被災地にいない専門家が、テレビや新聞で伝え聞くだけでは、審査の前提知識として当然に必要な、避難所や仮設住宅暮らしの影響を正確に把握することはできません。
 また、調査一つをとっても、地元自治体であれば、この町のこの年頃の方のことなら、この人に聞いてみよう、この持病があったならこの診療所に行っていたはずだから調査してみよう、この状態ならヘルパーの支援を受けていたはずだから調査してみよう、この地域は特別停電の回復が遅かったし灯油も近くで手に入れられなかったから特に厳しかったはずだ、という推測から充実した調査を行うことが可能ですが、100キロ離れた県では無理です。

 私は被災地の自治体の首長に言いたい。確かにいまも職員は足りないでしょう。確かにいまでもやらなければいけないことは山ほどあって、職員も疲弊している。それはわかっています。でも、関連死の審査は絶対に県に委託なんかし続けてはいけません。遺族には復旧も復興もないんだ。亡くなられた方が、命を賭して残してくれた教訓は、関連死として認定しなければ埋もれてしまう。関連死の審査は、亡くなられた方や遺族の方はもちろん、数十年後の津波にまた備えなければならない地元自治体、そして国にとって、未来の命を救う貴重な教訓なんだ。今からでも遅くはないから、委託をやめて、不支給にした件を全部審査しなおすべきだ。審査結果が変わったっていいじゃないですか。その勇気を批判するマスコミも住民もいませんよ、と。

 弁護士は、これまでどおり、行政が行った関連死の認定に納得いかない方の支援を続けます。津久井進弁護士は今回の判決を受け、早くも陸前高田市へ再審査を提言しました(http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20150319_6)。弁護士や弁護士会も、これまでどおり国や自治体に適正な審査を求め続けるでしょうし、依頼があれば関連死の委員も引き受けますので、ぜひ地元での審査に切り替えてください。

文/小口幸人 桜丘法律事務所・元宮古ひまわり基金法律事務所所長