“始めること”から始めよう-いわきの女子高生が挑む新しい廃校のカタチ-[3.11がくれた夢〜東北を変える高校生たちのアクション〜]

「自分が友達と当たり前のように通っていた学校が”ただの白い箱”になって行くのを見ていられないんです。」

2014年12月26日の朝日新聞の一面、見出しは「小中学校 統廃合促進へ」。文部科学省がより多くの学校の統廃合を促進するために、統廃合できる学校の基準を見直しているという記事だ。現在、全国で公立学校の統廃合は急速に進み、平成23年だけでも474校が廃校になっているため、単純に考えると1日に1校以上のペースで統廃合が進められている。

福島県いわき市にこの全国の過疎地域が直面する問題に立ち向かおうとする女子高生がいる。福島工業高校専門学校1年の永山優香さんだ。彼女は自分の母校である三阪小中学校の廃校を前に、学校を「ただの白い箱」にしたくない、と廃校になる母校の校舎でのイベント企画とその後の活用についてのアクションを起こそうとしている。

きっかけの連鎖

永山さんの地元三阪で。

永山さんの地元三阪で。

きっかけは母の姿だった。母子家庭で育った彼女は震災後に好きなアーティストのコンサートで北海道を訪れたことがあった。この時、彼女は生まれて始めて北海道にすむ実の父親に会った。この人が父親なんだというはっきりとした意識は意識を持つことは出来なかったがその代わりに母が今までどれだけ苦労して娘3人を育ててくれたのかを考えるきっかけになった。「女手一人で私たちを育ててくれたお母さん。私ももっと頑張らなきゃいけない。」そんな意識から彼女は中学校の生徒会長に立候補する。

彼女の住むいわき市では教育委員会が主導となり「いわき生徒会長サミット」という若手のリーダー育成事業を行っている。いわき市内の中学校の生徒会長が一同に会し、自分たちで考え行動しながら、発展途上国の支援や海外研修などを行うプロジェクトだ。

このプログラムの中で彼女はアメリカへと渡り、現地の人たちに震災や当時の自分たちの想いについてプレゼンする機会を得た。しかし、震災は当時まだ小学6年生で内陸に住んでいた彼女は震災に対して強い感情を抱くことは出来なかった。

しかし、そんな彼女たちのプレゼンを聞いた現地の人々は涙を流し、本気で震災について、東北について考えてくれたという。「何年も経っているし、他の国に住んでいるのにこんなにも自分たちを思ってくれる人がいる…でも日本は違うかもしれない。近くに住んでるけど関心の無い人達が沢山いる。」そのとき彼女はアメリカの人々の国境を越えた思いやりに感動すると共にそんな「意識の差」を感じた。そして、アメリカの人たちだけでなく日本の人たちにも東北について考えて欲しいと思うようになった。

誰かに自分の想いや経験を伝えることが、このとき彼女の「世界の見え方」を変えた。だからこそ彼女は「”伝える”ことをしたい」と思った。彼女はその後彼女は「情報科学」と「外国語」を通して「世界で表現し伝えること」を学ぶことができる福島工業高等専門学校コミュニケーション情報学科へ第一志望校を変更し、同校に進学する。

また彼女はこのきっかけの連鎖により地元の高校生がバスツアーを企画する学生団体、TOMOTRAに所属し活動を始める。高校生が観光客をバスに乗せ、地元の魅力を自分たちの言葉で紹介し伝えるという取り組みだ。サミットで感じた「伝えること」そして「行動すること」の大切さがまた彼女を一歩前進させ、彼女の世界をどんどん広げていった。

可能性を超えて来た高校生たち

短期留学時の様子(左から2番目が永山さん)

短期留学時の様子(左から2番目が永山さん)

TOMOTRAを立ち上げたのはTOMODACHIイニシアチブが提供するアメリカ短期留学に参加した高校生たちだ。彼女は翌年、自分もアメリカに行って東北の高校生たちと共に地元について考えたいと、このプログラムへの参加を決めた。そして同じプログラムに参加していた僕はアメリカ行きの飛行機の中で彼女と出会った。僕の左側で今まで自分のして来た活動や自分の地元についての想いを語る彼女は後輩とは思えないぐらいの「熱量」と「説得力」を持っていた。

彼女にこのアメリカ留学を通して得たものを聞いた。まちづくりについて学び、地元ついて仲間と語り明かしたこの3週間で彼女は何を得たのか。それは「可能性を超えて来た高校生たちとの出会い」だという。このプロジェクトには東北3県から100人の高校生が参加した。みな東北に対して「何かしたい」という強い想いを持っている高校生たちだ。中には既に行動を起こしている高校生たちも多く、普段学校にいるだけでは決して出会えない仲間たちがいた。無理だと言われてもトライしようとする、失敗する可能性や、成功する可能性など超えて「自分たちにも何かできるはずだ。だからやりたい。」と行動する高校生たち。そんな彼らから彼女は大きな衝撃を受けた。以前にも増して「自分には地元のために何ができるだろう、自分は何がしたいんだろう。」と考えた3週間だった。

帰国後も彼女は積極的に様々なイベントに参加している。そこで東北だけでなく全国の仲間と出会うこと、「可能性を超えて来た高校生たち。」と出会うことで「自分」についても深く考えたいという。またそのような高校生向けの企画へ参加する中で彼女は「陰で支えてくれている人たち」について考えるようになった。自分たちがより充実した時間を過ごす為にプログラムを綿密に作るスタッフ、当日も自分たちの知らないところで沢山の人たちが関わり合い自分たちの時間を作っていることを知った。辛そうな表情など見せずに、彼女たちの前では笑顔で振る舞う「支える側」の存在を。

しかし、アメリカで同じチームで活動してた高校生から話を聞くと彼女はそのような気づきを得る前から「支える側」として行動して来たのではないかと思う。プレゼン作りでは、夜遅くまでかけて誰もやりたがらなかった英訳を一人でこなした。その後のプレゼンも誰よりも積極的にチームを率い本番を成功させた。確かに他の高校生たちも一生懸命だったと思うが、同じチームメイトから見ても彼女の「陰の努力」は確実にチームを支えていたという。

私にしかできないこと

12月、ある合宿で久しぶりに彼女と再会した。彼女はアメリカでは考えてもいなかった「彼女にしか出来ない」アクションを計画していた。

彼女がかつて通っていたいわき市立三阪小中学校が今年の3月をもって周辺の2校と統廃合することに決まった。彼女がアメリカから帰って来て約一ヶ月後の突然の決定だった。自分の通っていた学校がただの白い箱になっていくのをただ見ていたくない。せめて最後に卒業生と共に楽しい思い出を作りたい。そんな想いが「何かしたい」と思っていた彼女を突き動かした。

「みなさん、学生時代にやりのこしたことはありませんか?」
彼女はそう言って語り出した。例えば学校に泊まったり、気が済むまで落書きをしたり、学校の中をバイクで走り回ったり(笑)、「廃校になってしまうからこそできる」楽しい思い出を仲間たちと一緒に作りたいという。ゴールデンウィークに開催が予定されているこのイベントでは卒業生たちの希望にそってプログラムを組む。現在は模擬授業をしたり給食を再現したりすること、廃校後の校舎の利用について考えるワークショップを実施することなどが決まっている。

彼女は一回限りのイベントでこのプロジェクトを終わらせず、その後の校舎の有効利用にも繋げたいと考えている。「廃校」というマイナスイメージの言葉を一人の女子高生が「廃校だから、0だからこそできること」というポジティブな言葉として創りなおす。そんな新しいアクションに全国の仲間の高校生たちや地元の大人たちを始めとした様々な人々が注目している。

学校は「人の集まる場所」だ。地域のコミュニティの中心に位置し地元の人は誰もがこの学校の門をくぐって大人になった。過疎化が進む三阪地区の中で、彼女はこの学校を「卒業生たちが戻ってくる理由」にしたいという。長期的にどのように校舎を利用するかはまだ決まっていないが、3月に行う廃校イベントでは、集まってくれた卒業生たちとともに三阪小中学校の「その後」を考える。彼女は「陰で支える側」として全力を尽くしながら。

”始めること”から始めよう

最後に彼女の言葉をもってこの記事を終わりにしたい。
好奇心と冒険心を持ちつつも努力家な彼女にはこれからも沢山の素敵な偶然の出会いが届けられるのだと思う。

「何か始めて下さい。そうすれば”何か”が変わります。」

彼女は母の姿がきっかけで生徒会長に立候補し、また震災により届けられた「いわき生徒会長サミット」への参加を契機にどんどん世界を広げていった。2度の渡米や、様々なイベントに参加する中で全国に同じ志を持った仲間が出来た。

そして彼女は「参加する側」から「価値を提供する側」に行動をシフトして来ている。始めの一歩は決して大胆なものではなかったと思う。しかし、その一歩一歩の積み重なりによる「きっかけの連鎖」が彼女の世界を変えていった。

「Twitterで不満を漏らすのもたまにはいいけど、出来ることが少しでもあるなら、目の前にチャンスがあるならまず行動してみて下さい。「アメリカに行く」なんかじゃくてもいいです。”誰かに自分のやりたいことを話す”とかそういうことで良いんです。何か行動すれば”何か”が変わって来ます。”始めること”から始めて下さい。」

文/西村亮哉 福島県立安積高校在学中