いま被災地に必要なのは“まちの人事部”。「釜石の復興に関わる機会」を提供するサービスを3つ立ち上げて感じること[まちづくり釜石流]

いま、被災地に本当に必要なのは“まちの人事部”です。私は2012年10月に東日本大震災によって大きな被害を受けた岩手県・釜石市に移住し、まちの復興プロセスに関わる機会を提供するサービスを立ち上げ、20名の採用・移住をコーディネートしてきました。実際の案件形成や移住者とのコミュニケーションを通じて、都市から地方へ人口移動を促す際に大切にしている価値観をお伝えします。

いま被災地に必要なのは“まちの人事部”

図1

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図1は、ヨソモノが釜石の復興プロセスに関わることのできる機会(=「余白」)を表しており、青色枠は釜石で独自に立ち上げたサービスです。縦軸はヨソモノが釜石に滞在する期間を、横軸は関わり方やセグメントを意味します。「Starting Over 三陸」は市内民間企業のUIターン採用を支援するウェブサイトで、企業経営を担う幹部候補人材を釜石に誘致することを目的としています。このコラムに度々登場する「釜援隊」は、市から委嘱を受け、復興まちづくりを担うNPOらとともに、コミュニティ活性や産業支援に取り組む14名の復興支援員の総称で、「KamaPro」は地域の“本気のやりたい”を発掘・応援するインターンシッププログラムです。
この3つのプロジェクトに共通する切り口は、地域課題に対して「解決策の初期仮説」と「実行支援を担う適切な外部人材」をセットで提供するという点にあります。このどちらかが欠けてもうまくいかない。たとえば、NPOや行政機関に“すごい人が釜石にきます。お手伝いできることないですか?”と漠然とヒアリングしても根本的なニーズを掴むことは難しいでしょうし、“こんなことをやりましょう!”とプランだけ持っていっても、実行リソースがないと文字通りの絵に描いた餅になってしまいます。「課題を抱える組織・人と一緒に悩み、解決に向けた道筋を考える」「実行までコミットできる外部人材をリクルーティングする」といった仕事は、人材業界でビジネスをされている方からすると当たり前すぎて、“えっ?”となるかもしれませんが、自治体経営の領域において決定的に不足している役割なのです。

この2年間、釜石の地域課題解決に向けた人材マッチングに関わってきて、行政・コミュニティ・民間の分野を跨いで機能するような“まちの人事部”の必要性と可能性を強く感じています。これは、膨大な復旧・復興事業に加え、震災前からの人口減少や少子高齢化と向き合わなければならない被災地において、行政や企業が自身のリソース、あるいは単独では解決できない問題が表出し、地域課題が多面化・複雑化してきていることの証左とも言えるでしょう。

被災地は、被災地としての姿を失っていく

図2 釜石市は、橋野高炉跡の世界遺産登録を目指している

図2 釜石市は、橋野高炉跡の世界遺産登録を目指している

時間の経過とともに、被災地を訪れるボランティア参加者は減少しており、釜石市社会福祉協議会で把握しているエリア内のボランティア受入れ数は3年間で実にマイナス85%に達します(注1)。まちを埋め尽くしていたガレキが撤去され、工事機器を積んだ大型車両やダンプカーがせわしなく行き交う風景は、私が釜石に赴任した2年前のそれと比べても全く別物です。被災地が“風景としての被災地”の姿を失っていく過程のことを、ある人は「風化」と呼び、また、ある人は「復興」と呼ぶのかもしれません。被災地という場自体が持つ力が弱まってきているのです。(図2)

震災から4年が経過しようとするいま、明確に言えるのは、ヒト・モノ・カネといった外部リソースを今後も地域内へ還流させるためには、単なる「復興」ではない新しいキーワード(=価値)を被災地側から提供していく必要があるということです。
釜石には支援する側とされる側を二分することなく、フラットな関係性を尊ぶ自由な風土があります。釜石は、かつて港や鉄を通じて人が交流する拠点となり、震災後は復興プロセスへの関与を通じて人が集うまちになりました。いまも昔も、活躍の場を求めて若い世代が集まるまちでありたい。“オープンシティ”を合言葉に、釜石を訪れる人・企業も、釜石という地域も互いに育ち合う、そんな開かれたまちを目指していきます(注2)。

都市部の若い世代は“人生にマニュアルが存在しない”ことに気づきはじめている

2014年に内閣府が実施した世論調査では、都市住民の農村漁村への定住願望が大幅に増え(平成17年 20.6%→26年 31.6%)、これまでニーズの小さかった30代(17.0%→32.7%)、40代(15.9%→35.0%)においても顕著な伸びが見られます(注3)。このような社会トレンドが、被災地・中山間地域において外部人材を地域に還流させる仕組みを構築していく上で追い風となることは間違いありません。
背景には様々な要因があると思いますが、定性的な感覚から言えば、“人生にマニュアルは存在しない”ということに若い世代が気づきはじめているのかもしれません。私は1986年生まれですが、同世代コミュニティにも“安定している”と言われるような定職を捨て、ビジネスを起こして社会課題と向き合ったり、一次産業に関わるような生き方を選択する人たちが一定数います。

かつて日本には「いい大学に入って、いい会社・役所に入れば一生安泰」という時代があったそうですが、被災地に限らず、長期間にわたって経済活動が停滞し、世界一のスピードで人口減少・少子高齢化の進展する日本では、“昨日よりも生活や社会がよくなっていく”と実感することが難しくなっています。ノマドワーカーに代表されるような新しい働き方が脚光を浴びる一方で、不確実な時代を生きる私たちは前提とすべきものが分からぬまま、見聞きする選択肢が多いがゆえに、“異なる生き方”への衝動と“安定した生活”の狭間で自己を位置づけていかなければなりません。
都市部の若い世代はそんな微妙なバランスの上に自己のキャリアを形成していて、ピンとくるキッカケさえあれば、モチベーションの高い層が縁もゆかりもない田舎に移住をする。そんな肌感が16人の採用枠に130名以上の応募を頂いた釜援隊の採用PR活動(応募者の過半数が大卒者・市外出身者)の土台になっているのです。

重要なのは”自分の大切な人をここに移住させたいと思うかどうか”

最後に、「地方創生」で話題となっている都市から地方へ人口移動を促す施策立案において、私が大切にしているシンプルな基準をお伝えします。それは“自分の大切な人をここに移住させたいと思うかどうか”です。人を動かすのは人の言葉であって、家や仕事は、移住を考える際の必要条件ではあるけれども、十分条件ではありません。

ありていに言えば、地域への移住を促すことは,誰かの人生に関わるということです。「どうせこんなまちには誰も来ないでしょ…」「自分の子どもは、ちゃんと東京の大企業に就職させて…」と内心思っている人間が、机上の企画立案をやってうまくいくわけがない。人口移動はそれだけエネルギーを使う真剣勝負なのです。まちの魅力を感じて既にUIターンした方と、潜在的UIターン者(今後移住するかもしれない人)の間に良質なコミュニケーションが生まれる場をつくる。いま釜石というまちに関わり、暮らすことの意義を考え、磨き、発信する。そんな、少し地味に映るかもしれませんが、「まちの価値」が血の通った言葉で表現される空間において、人の心は動くのです。

連載コラム「まちづくり釜石流」では釜援隊の活動を中心に、企業連携や外部人材活用を推進する釜石の復興プロセスを共有し、人口減少時代のまちづくりの未来を綴ります。

文/石井 重成 釜石市復興推進本部事務局兼総合政策課 係長(官民連携推進担当)

注1 釜石市「かまいし復興レポートVol.22」を参照
注2 『小さな組織の未来学』市長インタビューを参照:
   http://www.nikkeibp.co.jp/article/miraigaku/20141208/427345/
注3 内閣府「東京在住者の今後の移住に関する意向調査(2014年)」を参照