多様な関係者が協働 地域の魅力を発信する「東北風土マラソン」【前編】

 今春、宮城県唯一のフルマラソン大会となる「東北風土マラソン」の第1回大会が開催された。ランニングブームの後押しもあり各地でマラソン大会が開催されているが、この大会は、「ランナーも、ランナーじゃなくても楽しいお祭りマラソン」をコンセプトに、順位や記録を競うだけでなく、沿道で提供されるご当地グルメを味わったり風景を楽しみながら走れる点が特徴だ。スタート・ゴール地点では物産展や日本酒のきき酒コーナーを同時開催。さらに、ランナー向けの酒蔵ツアーや被災地訪問ツアーも併催するなど、観光団体、スポンサー企業、地元事業者などが一体となって地域の魅力を発信し、復興途上の東北に観光客を呼び込む新たな取り組みでもある。
 多くの関係者を巻き込んだ挑戦は、どのようにして成立し得たのか。大会開催にあたり中心的な役割を担った三者に話を聞いた。

ランナー、ボランティア1,500人が登米へ
市内すべての宿泊施設が満室に

全国から1,200人以上のランナーが参加。

全国から1,200名以上のランナーが参加。

 4月27日午前8時、登米市長沼フートピア公園の特設ステージでサンプラザ中野くんが「ランナー」を熱唱しはじめたのと同時に、スタート地点に整列したランナーが走り出した。この日全国から登米市に集まったランナーは1,200人以上、ボランティアは300人以上。大会前日には登米市内の宿泊施設が全て満室になり、近郊の道の駅は通常の2倍以上の売上を記録した。

 マラソンのコース途中ではランナーに南三陸の「たこの唐揚げ」、登米の「はっと汁」、気仙沼の「フカヒレスープ」など東北各地の名物と、日本酒の原料となる仕込み水が振るまわれた。さらにゴール地点では、完走者には升と宮城県産の米、日本酒の利き酒チケットを配布。米どころ、酒どころの宮城県で開催される大会ならではの完走賞だ。大会後に実施したアンケートでは、「満足」と回答したランナーは97%に達した。

ゴールでは宮城の米を升と一緒にプレゼント。

ゴールでは宮城の米を升と一緒にプレゼント。

 主催者の一人である発起人会代表の竹川隆司さんは、自らも国内外のフルマラソンを完走したことのあるランナー。震災当時、仕事のため滞在していたニューヨークで、日本人だというだけで「大丈夫か?」「頑張れ」と声をかけられたことをきっかけに「東北と世界を繋げたい」と考え、東北でマラソン大会を開催することを思い立ったという。「東北の現状と魅力を世界に向けて発信するとともに、東北に人を呼び込み、観光業や第1次産業の活性化に繋げる」という目標を掲げ、開催地と協力者を探し始めたが、初めてのイベントで効果は未知数。しかも、マラソン大会となれば交通規制や安全対策も必要になる。開催地選定は困難を極め、構想から約2年を要した。そんな状況の中で、「やります」と手を挙げたのが登米市観光物産協会だった。

地元になかった企画力を活用し、まちを元気に

登米市観光物産協会の阿部さん(右)と三浦さん。

登米市観光物産協会の阿部さん(右)と三浦さん。

 いわば「よそもの」の竹川さんの想いに共鳴して開催を決定し、地元の取りまとめ役を買って出た登米市観光物産協会。会長の阿部泰彦さんは、「登米は農業や工業も盛んで、将来性のある、元気のいいまち。ただ、商業に元気がなく、登米市を訪れる交流人口を増やしたいと考えていた」という。

 事務局長の三浦信一さんは、南岩手、北宮城の観光関連団体・部署が連携する「岩手・宮城県際広域観光推進研究会」の副会長も務めており、東北各地の事業者から、沿道でランナーに配る食べ物の提供やゴール地点の物産展への出展を取り付けた。県外からやってきた発起人会のスタッフと地元の事業者の間で意見の相違が生じた時には間に立って仲裁するなど、異なる立場の関係者間のコミュニケーションを円滑にする役割も担った。

 観光物産協会を中心にコース近隣の住民に声をかけて事前の説明会を実施するなど、地域の理解と協力を求める活動も行った。また、初めてのイベントにも関わらず交通規制や駐車場に関する事故やトラブルもなく運営できたのも、協会に地元でのイベント開催のノウハウがあったからこそだろう。

 阿部さんは、東北風土マラソンが登米にもたらしたものを「竹川さんたちの企画力は登米にはなかったもの。東北風土マラソンの企画書や資料は、今後登米で開催される花火や夏祭りなどのイベントでも参考にしています。今後も登米としては彼らの力を借りていきたい。登米市は9町村が合併できた自治体で、地域ごとの祭やイベントは盛んだが、全市を挙げたイベントが少なかった。東北風土マラソンは、登米市最大のイベントとして今後も取り組みたいと考えています」と語る。

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