【インタビュー】立場を越える。~被災自治体との協働~

福島ではまず問題の把握から必要

ー釜石に続いて、福島県にも行っているようですね

最近双葉町とプロジェクトをはじめました(→プロジェクト詳細HPへ)。釜石と同じように復興支援員制度を活用し、町外から町役場に支援マンパワーが提供されることになります。釜石と違うのは、双葉町は全町避難地域だから、避難生活をながく続けないといけないという点です。しかも町民は、いわき市、福島の他のエリア、埼玉をはじめとする日本全国、とそれぞれに3分の1ずつわかれて住んでいる。

―それだけばらばらになっていても双葉町への帰属意識って維持されるのでしょうか?

維持はされます。ご高齢の方々は新しく別の場所に住みたいとは思いません。若い世代は町から離れることも考えますが、賠償が決着していませんから、町民であることを維持します。いずれにせよ、町になかなか戻れない中でばらばらに長い間過ごすことになります。この問題をどうするか。

―どうするんだろう...

・・答えはまだありません。町の中でもこの問題を担当として考え続けている人は少人数しかいないのです。その様子を外から拝見させて頂いて、とにかくまずは町役場と共に考えてみよう、とプロジェクトをスタートしました。例えば町役場から町民や町の外に情報発信をおこなう広報担当の方は実質一人で切り盛りされています。町役場をエンパワーメントする必要を感じています。

町の人は世の中から捨てられている、と感じている人も少なくないと思います。絶望した気持ちでいる方もおられると思います。たまたま避難先に支援するNPOがいたとしても、サポートをうけているのは少数であって、多くの方は門戸を閉ざされています。親戚を頼って避難されているとしても、いつまでも世話になれないと考えるのが日本人です。今は出ている家賃補助もいつまで続くか誰も分かりません。でも世の中はアベノミクスと浮かれているように見えますから、孤立の思いを深められているのではないかと思うのです。

まずは問題の把握が第一歩で、問題解決は先の先。いずれにしろ、日本人としてこの問題に真正面から取り組んでいるのが少数なのはおかしい、そんな思いで続けています。繰り返しますけど、答えが見つかっているわけではないし、RCFとしてもどこまで関わって良いものか、悩みながら前に進めています。

―今はなんとなく遠巻きにしているけれど、RCFが入ることでもっと多くの人が関わるようになって動きが出てくるかもしれないですね。

はい、そう思って、やろうと。これは難しい問題だけれども、踏み込んでいこうと思っています。

自分たちはお客さんでもないしヒーローでもない

2年経って支援者が疲れています。特に住民、被災者のみなさんとの関係に疲れちゃっている、という話をちらほら聞きます。被災地に入っているのが、自己実現が理由になっているからではないか、と思います。

―今この時期に復興の現場に自分の身をおくことが自分の人生にとって大切だと思う、という意味での「自己実現」の気持ちがあることはむしろ自然なのでは?

最初に来た理由としてそれがあってもいいのですが、自己実現の機会が得られないとだめだと思ってしまっている、という感じでしょうか。仕事でもそうですが、成果をだすことで結果として成長するということであって、成長するために仕事をするんじゃないですよね。つまり、成長したくて会社に入るのはいいけど、会社が成長させてくれないからいたくないというのはだいぶ違う、そういう話だと思います。

復興の現場では、当然ながら放っておかれるし、被災地の人たちも頼ろうとはしません。被災地に入ったら歓迎してくれると思っていたのに、とギャップを覚える。初期のころのボランティアならわかるけど2年経ってそういう気持ちがあれば辛いでしょう。このあたりの心の持ち方と疲れちゃうというのは繋がっていると思っています。

自分たちは、お客さんでもないし、ヒーローでもない。復興における一つの役割として仕事しに現場に行く。RCFではそのような気持ちを持っていこうと思いますし、それがプロフェッショナルであることだと考えています。