[寄稿]『災害復興法学』の創設 大学における復興教育 “思い”を次の世代へ

(本稿は弁護士の岡本正氏からの寄稿文です)

【すべては、あの時の、あの声から】

 震災から3か月経過した岩手県沿岸部のある避難所でのことだった。
 「小さな工務店をやっていたが、津波ですべて失った。事業のローンやリースの返済が止まらない。もう破産しかないと聞いたが、そうしたらもう何かも終わりだ」。
 無料法律相談のブースで私の前に座っていた方の絶望的ともいえる表情を私は二度と忘れることができない。何の確証もなかったが即座にこう答えた。
 「各地の弁護士たちが、被災ローンの免除や買取り制度をつくるように働きかけています。金融機関と相談すれば月々の支払いを猶予してもらえますので当面は安心です。きっと私たちが何とかしますので、あきらめずにお話を聞かせてください」。
 
 このような相談が特に津波被災地域に多いことは、法律相談分析の結果から明らかになっていた。相談の場では一人の小さな声だったものが、データベースを構築しているうちに、いつしか数百件、数千件に膨らんでくる。数々の問題の中から「被災ローンからの解放」が大きな課題として浮かびあがった。被災地の生の声が、事業者の被災ローン買い取り制度を含む「株式会社東日本大震災事業者再生支援機構法」や、個人の被災ローン減免制度である「個人債務者の私的整理に関するガイドライン」の成立に繋がった。
 このほか、弁護士の無料法律相談を通じて集約した被災地の声を分析し、相続放棄の判断期間延長、災害弔慰金の兄弟姉妹への拡大、各種ADR(注)の創設、義援金差押禁止など、多くの復興支援法制が法律家の提言からつくられていった。

注:裁判外紛争解決手続。法的トラブルを裁判を起こさずに話しあい等により解決する方法。

【復興支援の立法ノウハウを教訓として残す】

 支援活動に従事する弁護士の支えになったのは、阪神・淡路大震災を経験した兵庫の弁護士たちのノウハウだった。17年間蓄積された復興支援の知識、そして当時提言しながらも実現できなかった数々の復興支援法案。これらの叡智を応用することができた。
 しかし、私は同時に大きな不安も抱いた。
 いつの時代にも適応できる完璧な制度をつくることは不可能だ。我が国は災害大国。10年後か、20年後か、それとも30年後か、いつかやってくる「首都直下型地震」や「東南海沖地震」に我々は備えなければならない。その時、阪神・淡路大震災を現実に経験した弁護士たちはもう第一線にはいないかもしれない。そうすると、今度は我々東日本大震災を経験した人間が、大災害下の法制度整備を担わなければならないのだ。そのノウハウはあるだろうか。教訓として何十年も先に残す準備はできているだろうか。

 行政でも、研究機関でも、企業でも、弁護士会でも、教訓を保存し、遺す試みは行われている。法律相談分析結果も、東北大学「みちのく震録伝」や国立国会図書館震災アーカイブプロジェクトへ提供を予定し、時間とともに消えないよう模索している。
しかし、何よりも重要なのは、復興支援や被災地のリーダーたちが生み出した様々な知恵やノウハウの伝承ではないだろうか。将来に向けて災害復興における法制度の課題を検証し続けることではないだろうか。それは、人から人へ受け継がれるべき‘思い’でもある。復興支援を担う若い世代へこそ伝えなければならない。

 できるだけ永続的にこれらを伝えるにはどういう場が適切か。私の出した答えは、教鞭をとることだった。

【若き法律家へ未来を託す「災害復興法学」の創設】

 実績もない一介の弁護士がいきなり法科大学院の門を叩いても相手にされないだろうと思った。しかし、門を叩かなければ何も始まらない。もとより失うものがないなら、震災の記憶を未来に残す役割こそ大学の役割だと、説得してみる価値はあった。
 杞憂に終わったといってよいほどスムーズに受け入れていただいた。大学としても、研究成果を復興に役立てたいと純粋に考えていたことを知り、熱くなった。

 2012年4月、慶應義塾大学法科大学院の春学期全15回の選択講座として「災害復興法学」はスタートした。講義では、地域や時間経過ごとのマクロのリーガル・ニーズの分析結果や自らの経験を前提に、被災地の生の声を伝え、そして法律を切り口に解決策や残された課題を考えてもらうケース・スタディを繰り返した。
 テーマは、東日本大震災を契機に新たな法制度が創られた分野や、未だに法的課題を多く残した分野を選ぶことにした。建物賃貸借契約と罹災法の問題、相続放棄や行方不明者の方の問題、不動産取引と二重ローン(被災ローン)の問題、被災マンションの修繕や耐震化の問題、個人情報保護法の問題、などである。
 現行の法律をそのまま適用するだけでは、越えられない壁がある。個人のニーズや被災地経済の復興にも応えられない。ではどうするか。既存の法令を前提にした判例や学説を展開するのか、それとも新たな立法を提言するのか。いずれにせよ、現行法制を知ることで、その限界も見え、課題が浮き彫りになる。その上で、新たな法制度の必要性を説得的に展開することが必要だろう。立法政策学の基礎はこういうところにあると感じている。
 受講生は約80名。法律系選択科目では最大の受講生を抱えることになった。受講生の多くは、現実に被災地に足を踏み入れたことがない者がほとんどであったが、講義をきっかけに被災地へボランティアに行くことを決意した者もいる。少しでも何かを感じてもらえたらと願っている。
 

【一般教養として災害法制を知る】

 自戒を込めて。私自身、3.11を迎えるまで、被災者支援制度や災害復興法制については、全くの素人であった。多くの弁護士も災害復興に関する法制度をほとんど知らないのが現実だった。被災地で相談を重ね、全く未知の課題に遭遇し、現行法制度の壁を思い知る中で、ノウハウを蓄積していった。
 しかし、これらの災害復興支援制度は弁護士などの専門家だけが知っているべきものではない。復興支援の最前線に立つ行政機関、各支援団体、企業、個人が、それぞれ知識として持っておくべきものであると考える。
 制度の存在を知って、紹介できるだけでも、大きな効果があるはずだ。借金に困っている方がいれば、「被災ローン減免制度があるので窓口に相談してみたらどうですか」、というだけでも一つの家族を復興へ導けるかもしれない。ご家族が亡くなった方がいれば「災害弔慰金は受け取っていますか、問い合わせてみたらいかがですか」ということも是非お伝えしておきたい。
 このような支援と復興の基礎知識については、むしろ教育の早期の段階から、社会教養として知っておくべきではないだろうか。復興教育としての「災害復興法学」は法学部やロースクールの枠にこだわるべきではない。

【災害復興支援と法律家の役割】

 「法律は人々の社会経済の活動の営みから生まれた。社会経済を円滑に循環させるために法律があるのならば、その営みが災害で失われた時こそ、再び法律と法律家の出番であるはずだ」。尊敬する先輩弁護士の言葉だ。
 法律家は、この1年半の間に、被災地の生の声を聴き、そしてその声をもとにした数々の提言から、新たな法制度をつくりあげた。これからは、この法制度を社会経済の隅々にまで行き渡らせなければならない。あのときの、あの叫びは、声は、ひとつたりとも無駄になっていない。確実に国を変え続けているというメッセージを届け続けるために。
 同時に、法制度をつくりあげた政策立案の技術、あるいは、どうやって制度改正や立法の課題に気付けるのかという実務的視点も、未来の復興支援の担い手のために残さなければならない。
 『災害復興法学』はそんな思いで来年度も開講される。

【これから】

 私が、1年半の間、東日本大震災のことを常に頭の片隅に置けたのも、被災地に暮らし、日々支援活動に従事する復興リーダー達を目の当たりにしてきたからである。たとえば、広大な岩手県沿岸部をたった数人で駆け回る同世代の弁護士たちもその中にいる。東京にいた私は、次の世代へ直接の被災体験を語り継ぐことはできない。であるなら、私は、彼、彼女らのサポーターになるべく研鑽を続けるしかない。

okamoto文/岡本正(おかもとただし)弁護士、慶應義塾大学法科大学院講師、日弁連災害復興支援委員会幹事
2003年弁護士登録。田邊・市野澤法律事務所。東日本大震災無料法律相談の集約と解析による可視化を提言し、日弁連災害対策本部室長に就任(2011年4月~12月)。現在は4万件以上の事例が集積されているデータベースは、復興支援の立法政策にも寄与した。12月、政府の原子力損害賠償紛争解決センター総括主任調査官に就任。2012年4月、慶應義塾大学法科大学院に「災害復興法学」を創設。福島大学東京サテライトでも教鞭をとる。2009年~2011年内閣府行政刷新会議事務局上席政策調査員。近著に『3.11大震災 暮らしの再生と法律家の仕事』(共著、日本評論社)。1979年生まれ。