[寄稿]復興現場で課題解決に挑戦する若者たちを増やす

(本稿はワカツク渡辺一馬氏からの寄稿文です)

私は、インターンシップやボランティアのコーディネートを通じての若者育成事業を展開している非営利組織(一般社団法人ワカツク)の代表を務めています。この組織織は震災を契機に立ち上げました。

「自分みたいな素人でも役に立てるんですか?」
2011年春、被災地への学生ボランティアを募るために、仙台市内の大学を行脚していた時、何度も学生から聞かれました。

当時、現地に行って、寄り添って、にこにこして、話をする。それだけでも避難所の雰囲気が変わる。学生が思いつきでやったプロジェクトが喜ばれる。学生がやるなら地元の大人たちも手伝おうというムード。

あの震災の後、自分たちの存在意義を見いだし、活動を続けている若者、そして、これからの生き方を考えはじめた若者とたくさん出会いました。私たちは、その若者に機会を与えることや支援することを通じて、彼らのまなざしを高め、この地を復興する担い手になって欲しいと想い、日々活動しています。

こんなことを言う私は、もともと「いじめられっ子」で、小学校時代、朝がこなければいいのに、と現実逃避をしていたことを憶えています。

いじめられていた9歳の時、テレビで二つの映像を見ました。チャンネルを回すと、片方ではアフリカの貧しい子どもたちが、もう一方ではアメリカの裕福な家庭でのクリスマスが映っていました。アフリカの子たちはご飯も満足に食べられない。お父さんもお母さんもいない。彼らの目のまわりにはハエがたかっている。目にのぞみがない。泣く力すら残っていない。まばたきすらできない。もう一方のアメリカの子たち。楽しそうににこにこしている。何も疑うことなく生きていける。ふと、私をいじめてくれた同級生たちを思い浮かべてしまいました。

そこから「泣く子の多い世の中じゃなくて、笑っている子が多いといいな」と思い始めました。いじめる側の子たちも、いじめられる側の子たちも、金持ちでも、金がなくても。みんな幸せになれば。

9歳でたててしまった夢「世界中の子どもたちを笑わせたい」。9歳の私がこの夢を叶えるために選んだ職業は「アメリカ大統領」。日本人ではなれないのに。

中学でいじめはなくなり、その後は日々が楽しくなった。夢は薄ぼんやりとは持っていたけどそのための活動はせず、何となく、大学に行くかなと。そんな気持ちだから、受験失敗。一浪し、新設の宮城大学へ。

宮城大学は私達が初めての学生。先輩がいないので、サークル活動をしたければ、自分たち自身でサークルをつくるところから。そして、サークルをつくって、大学事務局に部室を貸してくれと訪ねたら「前例がない」と断られる。そんな時に、当時の野田一夫学長が「自分たちで問題解決してみなさい。それが高等教育を受ける者の義務だ」と。そこで、みんなでサークル活動のルールを決め、部室が借りられるようなった。その後、大学祭、学生会の立ち上げ・・・。それらの活動が学生起業へとつながっていきました。

起業後、あらためて自分の夢「世界中の子どもたちを笑わせたい」と向き合い、その夢を実現するために、世界を変える人材を数多く生み出す仕組みを創る、と決意。その仕組みの一つとして、大学生当時に私が経験させてもらった「課題解決の現場」に若者が挑む、インターンシップ事業を開始。若者自身が、外に対して何かをやることが、結果として彼らの成長につながる。年間数十人もの学生が新しい挑戦を始めて、自分で何かやろうとする、当事者へと成長していきました。

そして、この震災。
まだまだ、復興の入り口に立っただけですが、若者たち(私自身も)は「問題解決」のための挑戦をはじめています。その挑戦を支援して、復興を加速させると共に、この東北を、若者が成長できる土地に変えていきたい。
この想いを実現するため、学生時代に立ち上げた企業を整理し、新しい団体をつくって走り始めました。

設立にご尽力いただいた、せんだい・みやぎNPOセンターの加藤哲夫さんからもらった「被災地では、これから課題が見えなくなってくる。本当の課題を見つけられる若者をどうやって育てられるかが鍵だ」との言葉は、私たちの活動の大切な原点となっています。

企業時代に培ってきた若者人材育成の手法をより洗練させ、先行する社会的課題に取り組むリーダーの元で、次の課題を見出す若者を育てる。この春から夏にかけて10人のリーダーの元で20人若者が挑戦しており、これからの夏から冬にかけて、その数倍規模で若者が挑戦していきます。

東北の復興の現場で、もがききった若者たちの中から、世界を変えていく人材が生まれてくる。それは、阪神淡路大震災からの復興に携わった当時の学生たちが、東日本大震災の現場で復興のキーマンとして大活躍していることからも明らかです。

石巻で職場を失った方への就業支援の現場で奮闘する若者、仙台で震災を契機にあぶり出された教育の貧困問題に立ち向かう若者、一次産業のファンを増やそうとネット上の「村」を運営している若者・・・。インターンが始まった当初と比べて彼らはとてもたくましくなっていますが、それよりも10年後がとても楽しみです。きっと、今の本気の現場で課題解決しようとした経験が、彼らの視点を高く、強くするはずです。

2012年3月25日、「東北1000プロジェクト(http://www.tohoku1000.jp/)」というサイトをオープンさせました。再来年の3月までに、東北から未来を創っていく1000個以上のプロジェクトの掲載を目指しています。(2012年6月12日現在55個のプロジェクトが掲載)
これは、各プロジェクトの広報支援や、プロジェクト同士の情報共有ためのサイトであると同時に、直接的に私たちがコーディネートする現場以外にも、若者が挑戦できるプロジェクトが数多くあり、それらを発掘し若者とを繋げていくための仕掛けでもあります。今後は、復興の現場で何かを学んだ若者たちが、次の現場を創ろうとするときの支援機能もこのサイトには持たせていく予定です。

これから定期的にこの場をお借りして、私たちの周りで起きている若者たちの挑戦や「東北1000プロジェクト」の現状を報告していきたいと思います。

一馬さん_trimmed文/渡辺一馬・一般社団法人ワカツク代表理事
大学卒業と同時にデュナミス代表に就任し、インターンマッチング等、数多くのプロジェクトに関わる。震災後はワカツクを創業し、課題解決できる若者の育成のため「東北1000プロジェクト」ほか様々な復興支援活動を行う。1978年生まれ。