[寄稿]既に当事者であること。東日本大震災ではなく、東日本放射能汚染災害であること。

(本稿は福島県の玉川職員からの寄稿文です)

1)「当事者意識」「東日本大震災と東日本放射能汚染災害という2つの災害」

 
残念だけど当事者にはなれないという言及を拝見します。分かります。ただ、よくよく見つめていくと、その意識自体が誤解と感じます。
それは今回の災害を「東日本大震災」と括ることから生じてもいます。
 
自然災害、それは人智の及ばない部分です。いわば直接の被災者以外は当事者になりえません。
 東日本放射能汚染災害、これは私たちが原子力というエネルギーを使うことを肯定した時点、電力を使い続けるということを継続している時点から、生じている問題なのです。
 
東日本大震災は天災です。一方、東日本放射能汚染災害は人災なのです。
 この震災リスクがある日本で、原発を設置する。そこからこの災害は生じています。
 
そして、いかに反原発・脱原発を唱えてこようと、原発が前提となる電力を使い続けてしまうことによって、結果、原発を肯定してきた側面があります。
 
原発推進、反原発、いずれのアクターについても、原発を前提とした電力を使い続けてきたことについては、違いはないのです。私自身、無自覚に電力を使ってきたように思います。
 
せんだいみやぎNPOセンターの前代表理事であった、故 加藤哲夫さんは、非常に悔やんでいました。チェルノブイリの反省を踏まえていたはずが、結果、この事態を生んでしまった。その途方もない無力感。
 電気を無自覚に使ってきたことは、原発を肯定してきたことといえます。
 
その面から見えるのは、放射能汚染災害を生んだのは、エネルギー消費社会の恩恵を享受した企業や経済、そして生活の利便性向上を追求してきた私たちのライフスタイルでした。
 
だからこそ、被災地を含めてこの問題に関しては当事者なのです。
当事者でないという言明をする時点で、無自覚の罪が生じています。
 
おそらく当事者でないと言明できるのは、完全にエネルギーを自給してきたまれな方々。そして原発がない沖縄の方々のみでしょう。
 
 
無自覚でいること自体が、地獄を生む状況を支えるということ。問われているのはまさにこの点です。
 
この東日本放射能汚染災害を、「私たち」日本国民として、どう共有し、どう克服していくか。そしてエネルギー消費の在り方、エネルギー生産の在り方をどうバランスさせていくか。持続可能性という概念を、どう実現していくか。それらが問われているのではないでしょうか。
 
 
2)汚染地から移住、お金で済むという問題ではないこと。既に日本が当事者。
 
日本の中では簡単にこの問題は風化します。一方、国際的な観点で見た場合はどうでしょうか。
 
放射能汚染地域が狭い日本に存在すること、それ自体によって、我が国にとってどれだけのリスク、マイナス要素になるかという観点で考えることが必要です。
 
海外に居住する友人が言っていました。フクシマ産ではなく、日本産自体が避けられていること。西日本であろうと、九州であろうと、結局はJAPANでしかないのです。
 
このままでいけば、日本は国際競争力を失っていきます。当たり前と感じる豊かさ、それも「当面」なのかもしれません。
 
 
 
3)正面から受け止め、克服することで拓ける未来・可能性
 
一方、この災害をいかに正面から乗り越えていくか、それ次第で日本国に対する国際的な信用は高まっていくと私は考えます。
 
人口減少・少子高齢化に襲われてきた日本。何もなくとも経済はマイナスで移行するはずです。
 
この災害をキチッと受け止めることで、ロシアとは日本は違う、先進国はしっかり対応するのだという姿を示す機会となり、それが日本に対する信頼感、社会的な価値を高める素地となるのでしょう。結果として、日本の経済成長に確実につながると確信します。だれもがクリアしない課題を克服するということは、まれなイノベーションがあるということだからです。
 
FUKUSHIMAではなく、東日本放射能汚染災害、日本国放射能汚染災害と理解することで、すべきことは見えてきます。
 
当事者意識ではなく、すでに当事者であることの確認こそが今必要なのではないでしょうか。

tamagawa2_sqw文/玉川啓(たまがわあきら)
福島県庁総務部財政課 主任主査
2010年に福島県庁より浪江町役場に出向。震災前の浪江町では、企画調整課主幹として、志ある町民・職員とともに行革や協働のまちづくり業務に携わる。
そのさなか、東日本大震災が発生。災害対策本部行政運営班長、復興推進課主幹として第一線で災害対応に当たるとともに、町民協働のモデルともなる浪江町復興ビジョン、子どもアンケート、浪江町復興計画の取りまとめに携わる。また各省庁との調整業務、行政と民間を結ぶコーディネーターの役割を担い、震災関係支援者と行政関係者をつなぐ活動も展開。
2013年より3年間の浪江町勤務を終え福島県庁へ復職。身の丈にあった情報共有にも取り組んでいる(Facebook、最大シェア数17,000。フォロアー6,600人)。