地域住民主体のまちづくりを考える【後編】

復興検討委員会の様子

復興検討委員会の様子

昨年10月に組織された35名からなる復興検討委員会を中心として作成された復興ビジョン。町民の意見を徹底的に吸い上げたその策定プロセスの秘訣は「場づくり」にあった。行政vs町民、若手vs年配者といった対立構造を回避し、町民が主体となることができたポイントを整理した。

復興ビジョン策定までのあゆみ

復興ビジョン策定までのあゆみ

住民意見の吸い上げ方の工夫

Point1:町の存在を抑えた委員構成

復興検討委員会の委員は、自治会長や農協、漁協、商工会等の代表者などの町民が25名、有識者や国、県の担当が7名に対し、浪江町職員はわずか3名とした。

Point2:第三者による会議コーディネート

会議の進行を務めたのは、町職員ではなく、町外の有識者。直接的利害関係の無い第三者であり、専門家である有識者ゆえに、時に厳しい事実もテーブルにあげて議論を進めることができた。

Point3:たたき台を出さない進行

ビジョンや計画策定においては、行政側でたたき台となる案を作成し、住民が意見するかたちが通常だが、浪江町は違った。まず町民が自由に意見を述べ、その場で整理をしていく。その後、部会長と事務局がそれを体系的に整理。次の会議の前半で、前回の意見をまとめたものを承認し後半にまた意見を集めるようなプロセスを繰り返したことで、町民自身がつくったビジョンとなった。

Point4:若者の巻き込み

委員の大半は年配者だったが、青年会議所や商工会青年部が主体となり若者の有志を巻き込んだ勉強会を実施した。町職員はそこでも前に出ず、同席しつつその場を側面支援する形で情報共有を行うとともに、若者層の意見を吸い上げた。

Point5:子供アンケート

若者と年配者の意見にどうしても生まれる世代間格差は浪江町にも存在した。それを埋める役割を担ったのが、1月に実施した子供アンケートだった。「3月11日以前に戻って欲しい」「昔とかわらない浪江町になってほしい」自由意見に最もよせられたのは、震災前の元の浪江町への思い。大人の損得勘定ではない子供たちの元のふるさとへの思いは、委員たちの心をひとつにする大きな効果を果たした。

取材を終えて 見直される「町」や「豊かさ」の定義

 今回一連の取材に応じて頂いたのは、浪江町復興推進課の玉川主幹。復興ビジョンの裏に隠された玉川さんと町民たちの「想い」をうかがううちに、こんな質問をせずにおれなかった。

 「町とは、豊かさとは、なんでしょう?」

 「仕事や学校や買い物といった生活の場、目に見える知り合いとのつながり、祭りや自然。これら町を構成する要素が、時を経て風土となり文化となり人柄を育て、共有される価値をつくっていく。それらが、町であり、ふるさとというものだと思います。表面的なにぎわいや経済的なものとはまったく違う別の豊かさが、ふるさとにはあるのでしょう」。一つひとつ言葉を確かめるように語ってくれた。

 震災が無ければ問うことも、気づくこともなかったかけがえのない大切なものが、玉川さんの語るふるさとにはあった。町や地域、豊かさについて、被災地のみならず、日本中の人々が考えていく必要があると感じた。

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