復興事業の経営マネジメントを考える【前編】

最先端の園芸施設による農業支援

山元町最先端の園芸施設

宮城県亘理(わたり)郡・山元(やまもと)町は、いちごの生産を主要産業としている。しかし、町内に129軒あった農家のほとんどが津波に流され、1年経った4月初旬で再開できているのも10軒程度にすぎない。

山元町では、津波が沿岸から最大で4キロメートル内陸へ押し寄せ、住居の約半数が全半壊。人口の約5%が津波で亡くなった。もともと高齢化率は32%。今回の震災で高齢化が10年早まったと言われる地域の一つでもある。

この山元町で昨年7月から「いちご農園復興」の新しい試みが始まっている。これは、産官学が連携しICTを駆使した最先端園芸施設を建設し、農業技術の研究・革新を通して、いちご農家が収益を上げる環境を整える、というもの。開発した技術は標準化され、地域全体で営農を続けられる環境の整備を目指す。この試みの仕掛け人であるGRA(ジーアールエー)グループの岩佐大輝さんに話を伺った。

市場分析から導かれた3つの事業戦略

GRAグループのあゆみ

「10年で100社1万人の雇用を創造する」をビジョンに掲げるNPO法人GRA。実現のために取り組んでいる柱の1つが「山元いちご全国化プロジェクト」だ。

山元町は、宮城県南の沿岸部、福島県の県境に近い位置にある。GRAの活動は、震災直後に岩佐さんが単身、故郷の山元町に足を運び、3月12日に「山元町安否確認のポータルサイト」を開設したことに始まる。宮城県南はボランティアなどの支援が手薄だったことも受け、岩佐さんは自身が通っていたグロービス経営大学院の仲間に呼びかけてNPO法人GRA(当時は任意団体)を結成。東京からボランティアチームを送り出し、農地のガレキ撤去や側溝のドロだしなどを継続的に実施。山元町の農業復旧を支援してきた。

いちご農園を自分たちで始めたのは昨年の7月頃。現地の農家を支援してきたが、多くの農家が復活できずにいる現状を目の当たりにし、「若い自分たちが、いちご農園を始めたら良い刺激になるのではないか」と思ったのがきっかけだった。

しかし、一方で、農業の復旧だけでは不十分、という意識もあった。そもそも山元町のいちご農家には、若い世代の後継者がいない、家族を養うのに十分な収益の確保が難しい、などの問題が震災前からあった。さらにTPPによる国際的な農業自由競争化の流れもある。もと通りにしただけではどこかで行き詰まってしまうだろう……。岩佐さんらは突破口を探し、現状を分析。すると伸びしろが見えてきた。それは大きく3点、「マーケティングとブランディングに力を入れ、施設園芸を人柱ビジネスから規模型ビジネスにすること」、「単位農家あたりの規模を拡大し、農家それぞれが主体性と影響力を持てるようにすること」、「いちごの付加価値を下げる収量至上主義をやめ、美味さ至上主義にすること」だ。また、大量生産が難しい夏秋期にはカリフォルニア産のいちごが国内に出回っていることもわかった。夏秋期での国産いちごの出荷も商機がありそうだ。

先端園芸施設の施設内配置図

先端園芸施設の施設内配置図

分析結果を踏まえ、山元町の1万平方メートルの農地に最先端大規模園芸施設を建設することを決めた。ICTを活用し、日照時間や二酸化炭素濃度などの環境を制御。生産支援システムの導入試験も通して、良質ないちごの生産を追求する。建設費2億5000万円は、農水省の「被災地の復興のための先端技術展開事業」から拠出され、岩佐さんが今年1月に設立した農業生産法人GRAが運営する。

また、これと並行して研究成果を実践する園芸農場を今年の夏頃に着工する。これも農業生産法人GRAが、独自の大規模先端園芸事業として山元町内で始める予定だ。総事業費は5・5億円を見込む。「事業が波及していくためには、一つの場所で圧倒的な結果を残すことが重要だと思っています。この事業がフラッグシップとなって、山元町での成功が横展開されていくことを期待しています」と岩佐さんは話す。

全てをスタートさせる事業者の「志」

GRAの事例は「復興」を強く意識した実践である点で印象深い。現状を分析し、高齢化、収益、流通などの震災前から抱えていた課題を明確にした上で、商機を見いだし、そこに到達するための筋道を立てた。資金調達、マーケティング、マネジメント、現場が持つベテラン農家の知……。そして、何よりもそれらの原動力となる強い「志」。

どんなに綿密な分析や計画も、それを引き受けてやり通す意思がなければ実らない。「生まれ育った故郷でたくさんの人が亡くなりました。生きている自分ができることをしなければという思いがあるんです」。

>>【後編へ】

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です