社内SNSが企業と東北をつなぐ

武田薬品の研修から学ぶ「今だからこそ育める」関係性

製薬大手の武田薬品工業が、東北での社員研修に力を入れている。主にがん治療薬を扱う日本オンコロジー事業部が昨年、2度にわたって福島県南相馬市小高区を中心に訪問。参加した社員の満足度は高く、他の部署に波及するなど社内で関心が広がっている。震災から6年を前にして「風化」が叫ばれる世間の風潮とは裏腹に、同社が東北に熱い視線を注ぎ続ける理由、そして社員の意欲を引き出す秘訣はどこにあるのだろうか。そこから見えてきたのは、小さな「きっかけづくり」と地道な「情報共有」の重要性だった。

NPO法人コーヒータイムのスタッフとともに、ボールペンを製作。医療関係者向けの講演会で配布している(提供:武田薬品工業)

社内SNSから見える東北の今

日本オンコロジー事業部が拠点を置く東京・日本橋オフィスの一角で、社員らがパソコンの画面を食い入るように見つめていた。見慣れたスーツ姿ではなく、普段着を身にまとった同僚らが草刈りをしたり、住民と交流している様子が映し出されている。「肌で感じることが大切」「力強さに逆に勇気をもらった」などと、熱の入ったコメントもずらりと並ぶ。

社員の視線の先に映っていたのは、昨年11月に南相馬市小高区で行われた研修の様子だ。社員間の情報共有ツールに利用している社内SNSに、参加者が写真や感想などを投稿していたのだ。あの日からまもなく6年。震災関連の報道に触れる機会が減ってきているからこそ、画面越しに飛び込んできた情景がかえって新鮮に映ったのかもしれない。

田んぼでボランティア活動を行う社員たち。腰をかがめ、真剣な眼差しを向けている(提供:同)

同事業部による研修は、昨年6月に続いて2回目の開催だった。公募で全国から集まった社員が1泊2日の日程で小高区などを訪問し、現地で活動するリーダーや住民との意見交換、手付かずだった家屋の清掃作業などを実施した。

「同じ日本に生まれた宿命だ。一緒に乗り越えたい」。すべては、三好集(つどい)事業部長の強い思いから始まった。震災当時、アメリカに赴任していた三好さんは、赴任中に何度か被災地を訪ねた後も、海の向こう側から「何かできることはないか」と思い続けていたという。2015年に帰国すると、真っ先に現地を再訪。復興途上の現場を目の当たりにするとともに、「忘れないで」といった住民の声が胸に突き刺さった。特に、原発事故に直面した福島は厳しい状況に置かれている。「福島で社員研修ができないか」。三好さんの頭に浮かんだ構想はその後、トップダウンによって一気に実現へと動き出した。

研修は三好・事業部長の強い思いから始まった。「プラスのエネルギーを受け取ってほしい」と話す。

「一度訪れたいと思いながら、行けていなかった」

研修プログラムの設計過程では、CSRを担当する部署と連携した。同社は、総額30億円超に上る現地NPOなどへの資金拠出や、従業員ボランティアの派遣、企業内マルシェや社内フォーラムの開催など、数々の支援プロジェクトを展開している。そこで、支援団体を招いた社内向け報告会で情報を集めたり、CSR担当者と一緒に支援先を訪問するなどして現地のニーズを収集。こうして、現地の事情に寄り添ったプログラムを練ったという。プラニングマネジャーの山野大喜さんは、「ボランティア作業だけでなく、現地リーダーとの意見交換や住民との交流、正しい情報・知識を得るための座学など、バランスよく組み立てることを意識した」と話す。

社内マルシェも好評で、多くの社員が訪れる(提供:同)

その後参加者を募ったところ、すぐに多くの社員から手が挙がったという。動機は様々だが、「被災地を一度訪れたいと思いながら行けていなかった」「福島の現状を自分の目で確認したかった」といったように、復興の進捗を自らの目で確かめたいという意向が目立った。

2回の研修には、それぞれ20人ほどの社員が参加。全町避難の続く浪江町から避難し、二本松市で障がい者向けの福祉事業所を運営しているNPO法人コーヒータイムのほか、南相馬市ではコワーキンングスペースや仮設スーパーなどを経営する小高ワーカーズベースなどを訪問した。また、清掃などのボランティア作業や放射線被曝について学習する機会も設けた。

「患者中心」の原点を見つめ直す

研修後に社員の声を集めたところ、満足度が非常に高いことがわかったという。社内SNSに熱心に投稿する様子も、それを物語っている。では実際に、社員はどんなことを感じたのだろうか。

小高ワーカーズベースの代表から話を聞く社員たち。逆境を乗り越える術などを学んだという(提供:同)

小高区は昨年7月に原発事故による避難指示が解除され、「住民ゼロ」の逆境から新たなまちづくりを進めている(関連記事)。そこで活動するリーダーや住民の思いに触れ、社員は「苦しい状況でも、前向きに取り組んでいくことの大事さを再確認できた」「できない理由を見つけるのではなく、どうすればできるのか?真の原因は何なのか?を考えることは仕事のうえでも重要だと感じた」などと感銘を受けたという。

三好さんは「社員に与える影響は大きく、顔つきが変わったように見える。物事をマイナスに捉えるのではなく、プラスの視点で前向きな姿勢に変わっている」と手応えを口にする。また、現地の住民らが「患者さんの姿とオーバーラップする」(三好さん)ような感覚になる瞬間があるという。社員が日頃の業務で対峙するのは医師や病院で、患者と直接触れ合う機会は限られるのが実情だ。同社や医薬品に限らず、広くメーカーにとって商品・サービスの提供先は末端の消費者であるのは当然だが、そうした感覚が日頃の業務に忙殺されるあまり、次第に薄れてしまうリスクもつきまとう。研修は、メーカーの原点ともいえる「患者中心」を再確認するような機会にもなっているという。

社員のこうした変化の先には、企業価値の向上も見据えている。ジェネリック(後発)医薬品や人工知能(AI)の普及をはじめ、製薬業界も時代の変化の波に直面している。三好さんは「より専門的なスキルが求められるようになってきており、過去の慣例に執着するのではなく、新しいビジネスモデルや付加価値のある活動が必要」と考えている。「創造的復興」に取り組む東北で「物事を違う視点で見る逆転の発想」(三好さん)を学ぶことは、会社の将来にとっても価値があるというのだ。

社員の意欲と行動を引き出すには

震災から6年の節目が近づいてきている。復興支援を続けてきた各企業にとっては、社内で東北への眼差しや温度感の足並みを揃えることが、段々と難しくなってきているのが実情だ。

住居の清掃作業にも汗を流した。社員の共同作業は、日頃のチームワーク向上にもつながるはずだ(提供:同)

日本オンコロジー事業部は、全国に約230人の社員を抱える。研修は社員育成の一環ではあるものの、三好さんの「スキルアップを過度に求めているわけではない。プラスのエネルギーを受け取って、笑顔で働いてくれたら」というスタンスが社内に好影響を与えているように見える。これが、堅苦しい緊張感や使命感をいい意味で柔らげ、社員の意欲と行動を引き出しているのかもしれない。実際、参加した社員からは「周りの人も変わるように、私が伝えていきたい」といった感想が多く寄せられており、その熱が社内SNSで共有されることで「次から次へと行きたいという声が上がっている」(三好さん)という。

さらに、この研修は社内の別の部署にも波及し始めている。研修には毎回、CSR担当者も同行しており、その様子は全社共有の社内イントラネットで配信されていた。これをきっかけに、新たに経営企画部も研修を実施したのだ。日本オンコロジー事業部も今年も研修を計画しており、東北と関わり続ける決意を鮮明に打ち出している。

同事業部の一連の研修には、初めて被災地を訪ねたという社員も少なくなかった。一度でも現場を踏む機会さえあれば、それが伝播して大きなうねりを引き起こす。そんな可能性を示しているように思える。そして、東北と「今だからこそ」育める関係性について、多くの企業や個人が改めて思いを馳せるきっかけとしたい。

文/近藤快