災害公営住宅に「交換と自給」のコミュニティモデルを

トヨタ財団では、助成プログラムを通じて復興公営住宅におけるコミュニティづくりを支援してきました。3年間にわたる支援から浮かびあがった「重要な点」として、同財団のプログラムオフィサーである本多史朗氏は復興関係者に向けてあるメモを共有しました。本稿はそのメモを転載したものとなります。

契約講-被災地の根っこにある小宇宙

被災地の行政官の方たちと話すと、実に不思議な話を伺います。行政官の方に、復興公営住宅が建築された地域の実情についてお尋ねしても、余りご存じない。そして、「うちの自治体は、地元の行政区のお力を借りないと業務が回りません。ですので、行政区に任せています」といったお答えが返ってきます。

この行政区というのは何かと、お尋ねします。すると、「地縁組織」だという説明は帰ってきます。が、それ以上のことはわかりません。ただはっきりしていたのは、自治体の行政官というのは、行政区の中までには立ち入らないことです。住民の中に入らない行政官というのは、筆者からすると、何とも言えない不思議な感覚です。それは、被災地にくるたびに強まるばかりです。

岩手県沿岸部のある氏神を祀る神社。氏子が集う集会所も見える。大津波に襲われながらも、沿岸部の神社の本殿はほとんど無傷で生き残っている。

岩手県沿岸部のある氏神を祀る神社。氏子が集う集会所も見える。大津波に襲われながらも、沿岸部の神社の本殿はほとんど無傷で生き残っている。

数か月前の岩手県沿岸部への訪問の際に、この謎が解けるきっかけに出会います。あるNPOのスタッフの方-数世代にわたってその土地に住む家柄の方です-の案内を受けて、リアス式海岸の入り江沿いにある小規模な復興公営住宅を巡ります。すると、入り江の集落ごとに小さな神社があるのです。要は鎮守の氏神です。地形的に、高い崖や丘の上に置かれており、集落全体を見回すことができる。なるほど氏神というものが、地元のまとまりの中心にあることがよくわかりました。

これに続いて、宮城県の沿岸部を訪問すると、土地の古老から、この氏神を核として、その周りに講、講中、契約会、契約講などと呼ばれる集団があることを教えていただきます。以下では、契約講という言い方に統一します。神社の氏子の集まりです。それは人口の流動性が高い大都市圏で長い時間を過ごした筆者から見ると驚くべき性格を持つ集団です。大まかに整理すると、次のような性格をもちます。

①氏神に対する信仰とそれに基づく祭祀・暦を共有する集団です。しかも、この集団の母集団たる家族は、数世代に亘って固定されています。他所から来たものが、参入することはほとんどありません
②共有地である山林のような経済的な資産を保有・管理しています。
③神前で奉納する神事を執り行う芸能集団です。これらの芸能に用いる道具、装束、神輿は、氏神を祀る神社の収蔵庫、宝物庫に収められています

宮城県沿岸部のある神社の寄付者の一覧。数世代に亘る氏子集団と重なり合う。寄付額に応じた位階があることも読み取れる

宮城県沿岸部のある神社の寄付者の一覧。数世代に亘る氏子集団と重なり合う。寄付額に応じた位階があることも読み取れる

数世代に亘る濃密な人間関係を持つ、強力な宗教―経済-芸能集団です。極めて独立性が高い小宇宙と言えます。なるほど、これは地元自治体の行政官であっても、容易にはその内部に入ることができません。第一、これらの契約講が位置するのは、沿岸部の役所が位置する自治体の中枢部から距離的にも離れた外縁部です。更に地形的にも、リアス式地形の入り江にあるため、アクセスが容易ではありません。一車線の曲がりくねった山道を走り、ようやくたどり着くことができる場所もあります 。役所から見れば完全にアウェーです。場合によっては、言葉の語彙やアクセントも異なります。彼らが「地元の行政区のお力を借りないと業務が回りません」と話し、その中に入り込もうとしないのも、良くわかりました。

この「契約講」的なものが、沿岸部被災地の根っこにある、暮らしの基本的な単位です。筆者が首をひねった「行政区」という枠組みも、実態としては、しばしばこの契約講であることにも気が付きます。自治体側から見ると、行政機構の末端に位置する行政区ですが、契約講の側からすると、末端ではありません。契約講そのものが宇宙です。

交換と自給の小宇宙

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宮城県大崎市のある市場で売られていた漬物類。全て手作りである。この市場でも、貨幣を介した売買ではなく、交換の気配が色濃く漂う。

更に契約講について情報を集める内に、また驚くようなことが浮かび上がってきます。全てではありませんが、契約講の内部でのモノや役務のやり取りには、貨幣が媒介しないのです。モノとモノの交換、あるいはモノと役務の交換という関係が基本なのです 。確かに、これだけ長期の、かつ濃密な人間関係に支えられた集団内部でしたら、貨幣は不要です。その代り、それぞれの家の戸主の手元には、契約講内部でのモノとモノの交換、あるいはモノと役務交換についての数世代分の記録があると言います。その記録を参照して、戸主は契約講のメンバーとの間に、過剰な貸しや借りを作らないようにするためです。そして、この長期間にわたる交換の記録それ自体が、契約講内部のいざこざを抑止する力を持っていることも想像に難くありません。

加えて、交換されるモノそれ自体も自給します。蕨、蕗といった山菜、野菜、魚介、茸、木の実、イノシシ、雉… 周囲の山海には豊富な資源があります。宮城県サポートセンター支援事務所鈴木守幸事務所長の協力の下、東北学院大学本間照雄教授が中心になって取りまとめられた「長清水の歩んできた道―人々の暮らしの記憶」は、宮城県南三陸町のある集落の住民の方々から生活史を聞き取りした傑作です。そこにも上のような山海の恵みに加えて、「米から麦から、大豆、小豆までみんな植えていたし、おかずになるものは自分のウチでとったものを漬け物にすれば足りるもの」(同書50頁から)という、住民の方の語りが引用されています。

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なるほど、復興公営住宅に入居された被災者の方々が「復興公営住宅では、何でもかんでも現金でないと手に入らない」とこぼされるのは、こういう自給的な背景があったからだとよくわかります。ここまで述べてきたことを取りまとめれば、契約講の性格は次のように描くことができるでしょう。いうまでもありませんが、「所風 」-ところふう、と読みます。その土地固有の流儀-とよばれ、被災地でも地域によって契約講の成り立ちと名称は、大きな違いがあります。例えば、沿岸部に行くと、ほとんどが神社の氏子集団ですが、そこから内陸に入ってくると、寺の檀家集団になる場合もあります。このスケッチは、その違いを意識的にカットし、契約講の性格をシンプルに示してあります。理解を簡単にするためです。

それから、この契約講においては、女性からなる講―例えば観音講などと呼ばれます-を、設けている所もしばしば見かけます。女性の間での合意作りの枠組みでもあると同時に、女性間の交流の場ともなります。この点は、次の項で説明することと密接にかかわってきます。このような独立した小宇宙としての契約講も、ここ数十年の間に、貨幣経済の浸透と交通などの生活習慣の変化が相まって、自給的な性格は以前より弱まっています。

それでも、なお、被災地の沿岸部被災地の根っこにある、暮らしの基本的な単位としての性格は失われていません。東日本大震災の発災により、当然のことながら、被災地の契約講にはダメージが加わり、そのメンバーの中からも犠牲者が多数出ております。そして、各地の仮設住宅、あるいは復興公営住宅へと移動されている事例もしばしばです。しかし、契約講の中枢である氏神を祀る神社の本殿はほとんど無傷で残っています。依然として、土地と人々のまとまりのシンボルとしての役割を果たしています。

復興公営住宅のコミュニティづくりの一つのモデルとしての契約講

筆者は、ここまで契約講について説明してきました。これは、契約講が、東日本大震災被災地で現在進んでいる復興公営住宅におけるコミュニティづくりに関する一つの有力なモデルになりうるからです。その理由は次の通りです。

●契約講は、沿岸部の被災者の方々にとって、もっとも慣れ親しんだコミュニティのあり方であること
●被災地の自治体において、復興公営住宅におけるコミュニティづくりに積極的に関与するキャパシティや意欲の乏しい所を散見する。そのような場合は、復興公営住宅の側で、契約講のようなまとまりを作る必要があること
●とりわけ、貨幣を用いない、モノとモノ、モノと役務、役務と役務の交換関係を作ることは、復興公営住宅の入居者にとって大きな助けとなること

とりわけ重要なのが、最後の点です。復興公営住宅に入居された被災者の方々は、元から現金収入は決して多くはありません。数万円程度の老齢基礎年金のみを頼りに暮らしているという入居者のお話もよく聞きます。そこへ持ってきて、大きく減免されているとはいえ復興公営住宅の家賃、更には共益費といった現金への必要性は深まっています。そのクッションとして、例えば見守り、買い物、郵便物の投函-復興公営住宅の内部にポストがあるところは多くはありません-といった役務とモノ、あるいは役務と役務の交換関係とそれに基づく相互協力の関係を作ることができると、好ましいはずです。

その一方、契約講をモデルとした復興公営住宅におけるコミュニティづくりには、当然のことですが、ハードルもあります。次のようなものです。

●人間関係が寄せ集めで、もろい⇒上でお話しましたように、契約講には、氏神という共通の信仰や祭祀を始めとして、人間をまとめ上げるための仕組みが何重にもあります。そのもっとも強力なものは、数世代に亘る閉じた人間関係です。入居者が寄せ集めとなる復興公営住宅の場合、この仕組みがありません
●契約講という仕組みを客観的に見ることができない⇒長い世代に亘って、契約講の中で暮らすと、それが「空気のような」当たり前の存在になります。そして、人間は「空気のような」当たり前の存在を客観的に見て、説明するのは苦手です。そして、それを意識的に再構築することは難しいものがあります
●外側の人たちとのコミュニケーションに慣れていない⇒契約講内部では、濃密な人間関係がありますが、その外部とのコミュニケーションには決して慣れておいでではいません。寄せ集め状態の復興公営住宅を訪れると、入居者がすれ違う時でも、挨拶をしない、素知らぬ顔をする、自己紹介をしないという風景は当たり前のように見かけます。見知らぬ外部の人たちとのコミュニケーションには、また別のスキルが必要となります

岩手県釜石市の復興公営住宅の傍で見かけたインフォーマルな菜園。このような菜園が広がると、モノとモノの交換関係の元手が生まれてくる。

岩手県釜石市の復興公営住宅の傍で見かけたインフォーマルな菜園。このような菜園が広がると、モノとモノの交換関係の元手が生まれてくる。

これらのハードルを考えに入れると、貨幣を媒介しない交換関係が復興公営住宅に一朝一夕のうちに、できると期待するのは楽観的に過ぎます。何よりも、人間関係の醸成が必要です。

その一方で、もっとも手っ取り早いのは、野菜などを中心としたモノとモノの交換関係を作っていくことだと考えます。復興公営住宅の周辺を見回すと、いたるところに菜園が作られている事に気が付きます。入居されている被災者の方々にとって、自分が食べる野菜を栽培するということが、身体の深い所にしみ込んだ習慣となっているのでしょう。殊に、このように菜園を作り、野菜を栽培しているのは女性であることが多いです。

これらの写真は、岩手県釜石市のいくつかの復興公営住宅の内外で見かけたインフォーマルな菜園です。このような菜園が復興公営住宅の内外に広がっていくと、先に述べたようなモノとモノ、モノと役務の交換関係の元手が出来上がることとなります。これをきっかけに、復興公営住宅の人間関係を耕し、相互協力に繋げていくというのが、もっとも現実的なステップだと考えます。集会所を利用しての、菜園からとれた野菜、あるいはそれを加工した漬物の交換市を開くのも一案です。その際には、このような野菜を栽培し、市に出品し、また復興公営住宅の内部でのネットワークを持つことが上手な女性入居者の方が果たしうる役割は、大きい筈です。このような女性中心のネットワークが、婦人会のような枠組みに進化していけば、先に述べた観音講の再現となるでしょう。

(公財)トヨタ財団 東日本大震災特定課題担当)本多 史朗
※本稿は本多氏個人によるもので、トヨタ財団の公式見解を示すものではありません。