亡くした仲間に胸を張れるようにまちづくりに生きる男性の夢 「友人の弔いのために、今を生き切る」

[3.11からの夢] 岡本翔馬 33歳 認定NPO法人代表|岩手県陸前高田市

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東日本大震災と向き合い3月11日を「はじまり」に変えた30人の夢を掲載した書籍『3.11からの夢』とのコラボ記事です。

私が死に、彼らが生きていた方がよかったのか

もし彼らにもう一度会えるとしたら、もしくは私が死んで仮に天国めいた場所が有るとしたら、胸を張って会いにいけるようになること。それがごくごく個人的な3.11からの夢であり、叶えなければならないこと。

東日本大震災があらゆる人の運命をねじ曲げ、命を奪いました。あの時私は、東京の建設会社に勤めていました。意匠設計、いわゆるデザインの世界に生きたいと思っていた私にとって、陸前高田は好きではあっても、住む場所ではありませんでした。自分の歩みたい人生のために、故郷である陸前高田を顧みることは、ほとんどなかったのです。

東京に住む友人たちと連絡を取り合い、なんとか段取りをつけて陸前高田へ戻ったのは、震災から3日の夕方。海から約5キロの場所に瓦礫が折り重なっているのを目にした時に感じた「あの感覚」。暗く、重い、強制的に黒く塗りつぶされるような、今まで経験したことのないものでした。

陸前高田は壊滅的な被害となりました。家業を継ぐために、家族のために、陸前高田にいた多くの同世代たちが、消防団の避難誘導などに出たまま帰ることはありませんでした。一方で、私のように好き勝手に生きている人間が生き残り、人のために生きていた彼らが死んだ。この皮肉!「私が死に、彼らが生きていた方が、よっぽどこの陸前高田のためになったはず」。そう考えていました。

それから10日間ほど避難所運営の手伝いをして、仕事のため東京に戻りました。朝の通勤ラッシュに巻き込まれた時、すさまじい違和感に襲われました。東京では、ほとんど日常を取り戻しており、いつも通りのスピードで世の中が回っている。一方陸前高田では、明日の水や食料を手に入れるので精一杯という状況だったのです。あまりの差に心が追いつかず、「自分はどっちの人間なんだ」と自問自答する日々が続きました。その末、2011年5月に会社を辞め、故郷に戻ることに決めました。

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今は、いくつかのNPOの立ち上げをしながら、仕事としてまちづくりに従事しています。自然災害で亡くなる命を減らし、次の命を守るため。若者たちがやりたいことを、地元でもできるようにするため。復興の先に「より良いまち」を創るため。テーマはそれぞれ違いますが、根底にあるのは「私にできることはすべてやりたい」という思いです。1人にできることには限界があり、その限界を5年間で嫌というほど感じてきましたが、「亡くなった彼らの分」も今とこれからを生き切る。そうすることが私にできる一番の弔いなのだと思っています。

東日本大震災は多くの被害を生みました。しかし、そこで終わらせない強さが人にはあり、新しい力となる芽も出はじめています。その芽が育っていくことがこの上なく楽しく、心強くてしょうがない。ゆくゆくは次の世代が、私たちの背中を追い越してほしい。今、たくさんの仲間に支えられているように、今度は私が、次の世代を支えられるようになっていきたい。これがもう1つの夢であり、叶えたいこと。きっとその循環が生み出せたら、この町は前より良い町に育っていきます。

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「私は今、幸せです」と、そう胸を張って彼らに言えるように。これからも走り続けたいです。

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記事提供:3.11からの夢(いろは出版)