「値づけ、流通、情報発信、一つ一つ見直して新たな三陸を」斉藤和枝さん

斎藤和枝さん

斉藤和枝(さいとうかずえ)さん
(株)斉吉商店 専務取締役
夫と共に気仙沼市で水産加工会社「斉吉商店」を経営。津波で甚大な被害を受けるも、復興ファンド「セキュリテ」を活用し、ダイレクトマーケティングに挑む。商品は「金のさんま」をはじめ全国にファンを持つ。

 もし震災前に一番大切なものを聞かれたら、間違いなく工場だと答えていたでしょう。約10年前に覚悟して今までにない額の借金をして建てた自慢の工場。毎日朝晩、用がなくても工場の前を通っていた程です。

 もう少しで借金の返済が終わるというときに、津波で全て流されてしまった。でも今思うのは、あの工場が一番大切なものではなかったということです。当然工場がなくては商品はつくれませんが、最も大切なのは人であったり技術だと、はっきり分かりました。

 また、この1年で若い人たちと接する機会が増えました。気仙沼には大学がなく、進学する高校生たちは町を出て行き、大半がそのまま外で就職します。若い人が少ない町でした。それが震災を機に多くの若い人や大学生が戻って来てくれるようになりました。

 接して思いましたが、本当に若い人たちは素晴らしいですね。彼らが生き生きと誇りもって仕事をでき、収入だけでなく豊かに暮らせるステージを、私たち大人は創らなければならない。優秀な子が100人中の30人でもいいので地元に残り、地方を照らす人材になってほしいと思います。

気仙沼に生まれた新たなエネルギー

 若者が帰ってこなかった大きな理由は、教育や私たち親の世代にあったと思います。高校で生徒に配る進学に関する冊子には、大学の学部や大企業の紹介はあっても、地元の産業である水産業は載っていなかった。親も「継がなくていい」と言っていたんです。大変だしこんな儲からないことやめておけって。震災前から、後継者の問題や経済的苦境での閉塞感がありました。

 でも今、若い人が戻ったり、多くの支援を頂いて、新しいエネルギーが町に生まれています。上をふさいでいた屋根に穴が開いて、そこから空が見えたような感じです。漁師町の気仙沼には、昔から威勢のいい競い合いの文化があるんですが、復興においても「あいつが何か始めた」「負けてらんねえ」といい意味で競い合い、それぞれが自身の経験を生かした新たなチャレンジを始めています。

 斉吉では今までの業務用ラインを縮小し、個人向けビジネスに集中します。何が正解かはまだ分からないけれど、ご支援のお陰で可能性は広がっています。前は一気に何かを変えるなんて無理でしたが、今はできる。それで徐々に将来が見えてくれば、更にエネルギーも増していくでしょう。

三陸ブランドを確立し地方の再生を

 私たちの今年の方針は「工夫と整理整頓」です。もう以前のものはないんだから、今を基準として積み上げていく、そのために何を持っていて何をしたいか1つ1つ整理して、昔から三陸にあった問題の打ち手を考えていきたいんです。

 それで思うのは、やっぱり三陸の産物は素晴らしいということです。これまでは原料だったり半製品の状態で外に出してきましたが、例えばこれをもっと変えなければならないと。支援に来た人たちが皆一様に三陸の幸に感動してくれますが、裏を返せば価値を伝えて来られなかったということです。アワビ、ウニ、ふかひれ、マグロに牡蠣ですよ。儲け云々の前に、価値あるものを正しい価値で取引するやり方を、我々は学ばなければならないと思うんです。

 そのために、1つはブランドづくりとその発信だと思います。例えば博多の明太子は有名ですが、身のたらは三陸や北海道産です。一方、三陸の牡蠣は手塩にかけた最高級品も普通のものも同じような値段で取引されている現状です。今まで外部に任せていた商品への価値づけを産地で行い、顧客に直接届るという、三陸全体ができてこなかったことに挑戦しなくては。今までの生産コスト積み上げ型の値づけや流通形態を見直すと共に、ネーミング・パッケージを含めた商品力向上が必要だと思います。

 三陸沿岸は、全部なくなってしまったからこそ新しいものを作り出せる時。全国の人と一緒に試行錯誤して、成功や失敗のモデルを作っていけばいいと思います。そして関わった人がそれぞれの地方でその経験を元に活躍して、生き生きとした地方づくりをしてもらえればと思っています。

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