遅ればせながらの「発刊によせて」

さまざまな方のご協力を得まして、第三号の校了を終えました。

1号発刊から約1ヶ月半、有難いことにたくさんの過分なお褒めの言葉を頂戴し、
購読希望の申し込みも毎日全国各地から届いております。

ここで改めて、皆様にご挨拶をさせていただきたく思います。
本来ならば第1号発刊のタイミングでするべきところですが、
なにぶん数人のメンバーで始めたもの、ご察しの通り今日まで
髪を振り乱して取り組んできました。ということで、どうぞお許しくださいませ。

私は夫(NPO・HUG代表理事)と共に2009年から約2年間、世界を旅して回っていました。
大きな地震と津波が東北沿岸部を襲った日は、南米のチリにおりました。
私にとって、地震も津波も帰宅困難も買いだめも、テレビやネットニュースの中の出来事でした。
昨年10月に帰国し、早速友人に連れられ夫婦で被災地を回りました。

そのときに感じたこと、それは言葉には表せません。なぜなら
「放心」に近かったからです。

大量のがれきが片付けられたのであろう後の、何も無くなった町。
地盤沈下でひたひたと海水が覆っている土地。

リアルに温度を持った感情など出て来ず、かつ他人事でした。
「どうするんだろう。誰が、どれくらいの時間とお金をかけて、復興するんだろう」。

それから現地の方々に会い、お話を伺うことができました。
あるNPOのリーダーの方がこうおっしゃいました。

「もとに戻すのではなく、震災前よりいい東北、
たくさんの若者や家族が住みたいと思う東北にしないと、未来はないんです」。

私は体に熱が通ってくるのを感じました。
その言葉を聞くまで、「復興」とはどこかでインフラ側の、ガーガー工事して街をつくって
という形をイメージしていたんだと思います。「震災前よりいい東北」。それは
とっても素敵な夢だと思えたし、なんて大変な所を目指すんだ!と脱帽しました。

それから何人もの、復興の担い手である方々にお会いしていくうちに
現実として見えてきたことがありました。

現地で頑張る方々は毎日本当に忙しく、情報の収集も発信もままらない。
だから素晴らしい活動が世間にあまり知られていない。
同じような問題に取り組んでいる人が県内にも県外にもいるというのに
手を結び協力することもなかなかできない。支援の資金も届かない。

それで、新聞を始めることにしました。

地域や県を、また業界を横断した形での情報発信をし、
現場の人々が「なるほど!」「それいただき!」と思う、直接役立つものにしたい。
そしてできれば、「詳しく教えてください」「一緒にやりませんか」などの
地域・県をまたいだ声の掛け合いや協働が生まれてほしい。
新聞を読み「ここは素晴らしいな」と思う団体を見付けた方が直接、
資金提供したりボランティアとして参加するなどの協力につながったら嬉しい。
そんな理想を持って。

12月のある日、私は単身宮城にいました。
ガリバーさんが実施している復興支援者への無料車両貸し出しサービスを
利用させていただき、仙台で数件の取材をした後、女川へと向かいました。
無料化している高速道路を走り、石巻から女川へ。もう何度目かの
女川の町はその日も何もなく、晴れた空に冷たい風が吹いていました。
コンテナ屋台村で食事をし、NPOの運営する学校を取材し、
真っ暗になった道を仙台への帰路につきました。
津波で崩壊した建物が並んだままの誰も居ない商店街、
しばらく行くと横手にピカピカした大型ショッピングモールが現れました。

ふと、車の中で、急に涙が溢れてきました。

疲れ。一人の寂しさ。無事に取材が終わった安堵。
そういった類のものかなと思ったのですが、それだけではありませんでした。
うまく整理ができないのですが、
ショッピングモールへの違和感。取材したNPOの資金繰りの苦労。
なんとも言えない切なさ。どんなに頑張っても、何か、抗えない大きな力があるような・・・ 
この復興は、本当に皆が笑顔で暮らせる未来の東北へ向かって進んでいるんだろうか・・・ 
私のやっていることなんて、意味があるんだろうか・・・そんな、やりきれない気持ち。

前日に福島で取材したある人が笑顔で言った言葉が蘇りました。
「もう二度とあの土地には帰れないんだから。前を向くしかないよ」。
その声が明るくて、吹っ切れていて、だからこそ逆に切なくて。
震災以来恐らく初めて心底思いました。
人が亡くなって、街が無くなって、悲しい!悔しい!

そして、たくさんの人の姿が浮かんできました。
手を振って送り出してくださったガリバーの担当者の方、
「お疲れ様!」と笑ってくれた高速の料金所のおじさん、
仮設商店街で寒い中設営作業をしていたNGOの人たち、
昇降口で子供たちを出迎えていたボランティアの人たち、
今まで3県で会ってきたたくさんの顔、手、背中。

高い報酬があるわけでもない、褒めてもらえるわけでもない、
それどころか時には心ない声さえあびることもある、
自身も被災して大切な人を亡くしたり家がなかったりする人もいる、
それでも震災からずっとずっと、立ち向かい続けている人々。

岩手のあの人は、宮城のあの人は、福島のあの人は、
一人の帰り道にふと、立ち止まったことはないのだろうか。
どうしようもないやりきれぬ気持ちになって、涙が出たことはないのだろうか。

そして最後に残ったのは、勝手ながら、いとおしい気持ちでした。
NGOもNPOもボランティアも減少してきた、今のこの3県で、
わずかな報酬、またはボランティアで、未来のために踏ん張る人々がいる。

いわば尊い「手弁当」が集まった東北。
その弁当は、きっと、皆で食べたほうが美味しいはずなんだ。

少しセンチメンタルになりますが
もしかしたらこの日感じたことが、私の、新聞を作ることに対する
一番の動機になるのかもしれません。

なにぶん手作りの新聞です。
知識も浅く、不勉強も多く、至らない所だらけかと思います。
でも、立ち返る場所と思いだけはあります。
各地の復興のリーダーたちの顔を思い出しながら、
時にお名前を出しながら、皆で確認しあっています。
「この記事は〇〇さんの役に立つだろうか」と。

岩手の、宮城の、福島の、あの人の気持ちが、少しでも楽になるように。
帰り道に涙を流す代りに、今やっていることを信じられるように。
皆が持ち寄った「手弁当」を、東北の空の下一緒に食べている感覚になれるように。

まだまだ始めたばかりですが、これから皆様のご指導やご意見を
いただきながら、共に進ませていただければと思います。

長くなりましたが、ご挨拶に代えて。

初代編集長 
本間美和

3件のコメント

  1.   松井睦夫 返信

    今朝(5月21日)朝日新聞朝刊で本間美和さんの記事、拝見しました。早速に購読させてください。8000円も直ぐに送金します。よろしければ既刊分もお送り願えれば嬉しいです。
     私は浜岡原発40㌔圏の浜松市に住む78歳です。 天災、人災、放射能、風評の四重苦に耐える東北に何かがしたい、そう思いながらも実際には、見て見ぬふりの日常に、何処かで区切りを付けたい、との思い
    一入です。どうぞよろしくお願いします。

  2. 金子昇司 返信

    今日初めて貴紙の存在を知りました。
    今を知る事の意義、そして広く知らせる事の意義は尊いと思います。

    被災した人達と支援されている人達の努力が、もっと広く、もっと深く、もっと強く、つながる事を願います。
    希望を持ち、前に進む事ですね。
    これからも宜しくお願い致します。

  3. 石丸綾子 返信

    千葉県在住で医者をしております。支援活動で得た隣人に会いに、また今後の支援活動のために月に一度東北行を続けております。最初は一人でドンキホーテでしたが、今は10人を超えるようになりました。本間様と想いは同じです。東北と首都圏をつなぐ活動の一環として東北市の首都圏での開催を計画しております。6・11の朝日新聞に「声」として掲載されたのをきっかけに消防団や地域の方からのご支援も得られることになりました。が、何分にもこのような活動は初めてで、一度ご挨拶を兼ねてご相談させて頂く機会を頂ければ幸いです。

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