いただいたご縁を大切に、社員一丸で苦難を乗り越える[笑顔の架け橋Rainbowプロジェクト]

株式会社 髙砂長寿味噌本舗
株式会社 髙砂長寿味噌本舗
髙砂長寿味噌本舗の創業は、1901年(明治34年)。味噌においてすべての原材料を国産にこだわり、大豆は9割の商品に宮城県産「タチナガハ」を使っています。震災後力を合わせて作った醤油は、2012年の宮城県味噌醤油品評会で最高賞を受賞。大豆と米麹がほぼ等量、さらにひと手間増やして大豆麹も加える高砂長寿味噌の仙台味噌は、2013年の全国品評会で会長賞を受賞し、数ある仙台味噌蔵の中でも一目置かれる存在です。
和食料理人の道場六三郎さん、食生活ジャーナリストの岸朝子さんも髙砂長寿味噌の愛用者です。

被災した工場での避難生活

お話をうかがった髙砂長寿味噌の髙砂光延社長

お話をうかがった髙砂長寿味噌の髙砂光延社長

髙砂長寿味噌本舗の石巻本社蔵は、津波被害の大きかった石巻市の渡波地区にあります。代表取締役社長の髙砂光延さんは、避難途中に津波に遭い、近所の高さ2mくらいのブロック塀によじ登り、なんとか難を逃れることができました。その後、渡波小学校へと避難をするのですが、食べるものも無い中、避難したゆうに1000名を超える人達であふれていたこともあり、震災後4日目には避難所を出て、石巻本社蔵へもどることに。
木造3階建の工場の3階は屋根が落ち、1階は浸水していました。かろうじて残った本社売店2階で約10名の従業員と共同生活をはじめます。最終的には、約2ヵ月間、この本社売店で避難生活を送ったのでした。

再起の決意はお客様の声から

お客様から寄せられたメッセージ

お客様から寄せられたメッセージ

現在の生産拠点となっている被害の少なかった東松島工場の作業風景

現在の生産拠点となっている被害の少なかった東松島工場の作業風景

髙砂長寿味噌本舗では、2005年に東松島に味噌工場を建てていましたが、震災後は電話がつながらず、しばらく東松島の工場とは連絡を取ることができませんでした。
4月に入りようやく連絡がとれると、高砂社長は、高台にあり被害の少なかったこの東松島工場を拠点とした操業の再開を決定します。
そして、2011年の5月に工場の再稼働をはじめました。
震災直後、もう店を閉めようと思っていた高砂社長が、再起を決意したきっかけは多くのお客様の声だったといいます。
「髙砂さんのお味噌じゃないとだめだから、待っているから。」
多くのお客様からいただいたこの声が、高砂社長の心にもう一度立ち上がる活力を与えてくれたのです。

現在も開催されている直売会

松島蔵と呼ばれるこの東松島工場の前で月に1回の販売会が開かれ、あら汁やコーヒーなども無料配布される

松島蔵と呼ばれるこの東松島工場の前で月に1回の販売会が開かれ、あら汁やコーヒーなども無料配布される

高砂社長(右)と営業統括部長の髙砂和典さん(左)

高砂社長(右)と営業統括部長の髙砂和典さん(左)

東松島工場のすぐ向かいには、大規模仮設団地があります。東松島工場の再開を機に、工場の敷地内で毎月定期的に炊き出しと直売会を行い、豚汁やおでんの無料配布も行いました。
最初は髙砂長寿味噌本舗だけでしたが、回を重ねると、参加を希望する被災企業が集まり、多い時では8~11社でイベントを行ったこともありました。
仙台などでも復興イベントはありましたが、高速料金、駐車料金、出店料金などの費用がかかります。しかし髙砂長寿味噌本舗でのイベントの出店料は無料で、「お客様に安く提供してほしい。」という希望だけでしたので、被災企業にとってもうれしいイベントとなっています。
また、この地域は高台の工業団地の近くで、店舗も近くに無いため、このような直売イベントは、仮設住宅の住民にとっても、かかせないものとなっています。
「(直売イベントを)小さいけれど長く継続していくことで、仮設の方の表情が、だんだんと明るくなっていくのがとてもうれしかった。継続することって、大切ですね。」
「継続できたのも、支援をいただいたり、他の企業の力があったりしたからこそです。こうやって、周りの皆さんに支えられているんだなという事も実感します。」と、髙砂社長の息子さんであり営業統括部長の髙砂和典さんはいいます。

この仮設住宅には現在でも多くの方が暮らしており、この直売会イベントは、今も基本毎月第4土曜日に行われています。

震災後の「縁」で繋がる販売活動

感謝の思いを込めた「感謝の味噌」

感謝の思いを込めた「感謝の味噌」

感謝の思いを込めた「感謝の醤油」

感謝の思いを込めた「感謝の醤油」

毎月工場の敷地内で行われる直売会のイベントには、何度も北海道のアルバイト情報社や健康機器のスーパー電子、ささもと建設など多くの企業の社員が交代で応援に来て、炊き出し支援や社内販売など今でも続けていただいております。
また、和典さんが震災後に通して知り合った大手自動車会社は、運営するサーキット内に復興支援の場所を提供してくれたり、本社でバザーを行ってくれたりとさまざまな応援をしてくれました。
企業だけの応援ではありません。全国から来てくれた学生のボランティアや、各地で行った販売で商品を購入してくれた学生たちが、学園祭で復興支援販売コーナーを作り、今でも応援をしていただいております。
震災のあった2011年の12月に神戸で行われたルミナリエで大学生が商品を販売してくれたことがきっかけで、大阪の販売会社2社から商品を取り扱いたいという依頼を受けたこともありました。
「震災で大きな被害は受けましたが、震災がなかったら知り合うことが無かったであろう多くの方と知り合えたことは宝です。このご縁を大切にしていきたい。」と、髙砂社長。
震災後1年間は、味噌や醤油のパッケージに「希望」のラベルを、そしてその後設備が少しずつ整ってきてからは、「感謝」のラベルを貼り、その気持ちを商品に込め販売をしています。

新商品開発と伝統の長寿味噌

地元企業とのコラボで生まれた「長寿味噌仕立てのマドレーヌ」

地元企業とのコラボで生まれた「長寿味噌仕立てのマドレーヌ」

松島蔵の壁には、高砂長寿味噌を愛用する道場六三郎さんの書による社名が

松島蔵の壁には、高砂長寿味噌を愛用する道場六三郎さんの書による社名が

髙砂長寿味噌本舗では、震災前から味噌の加工品として「味噌カステラ」や「味噌味の柿の種」の販売をしていますが、震災後には味噌を使ったドレッシングや、チョコレートなど、自慢の味噌、醤油を使った加工品の新商品開発にも力を入れています。
「まだまだ厳しい状況ですが、多くの方からいただいたご支援にお応えできるよう、原料も吟味し、手間もかかりますが、裏切ることない商品づくりを、従業員一同力を合わせて頑張っていきたいので、これからも忘れず見守っていただきたい。」と、和典さん。

先日、某テレビ番組でも取り上げられていましたが、仙台味噌は活性酸素を除去する作用のある抗酸化力がとても高いといわれています。まさに老化を防ぐ長寿の味噌といえるかもしれません。
ぜひ一度「髙砂長寿味噌」を口にしてみてください。その独特の風味は、あなたを「髙砂長寿味噌」ファンにしてしまうことでしょう。

味噌_フッタ 2
株式会社 髙砂長寿味噌本舗
住所:宮城県東松島市大塩字緑ケ丘4-5-6
電話:0225-83-7007
URL:http://www.takasagomiso.jp/

記事提供:NTTdocomo「笑顔の架け橋Rainbowプロジェクト」